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2004年2月27日

NOTOHARA・WHO? 新コーナー・ホスト能登原さん徹底解剖
株式会社アイ・ティ・イノベーション 取締役

能登原 伸二さん能登原 伸二(のとはら しんじ)さん
株式会社アイ・ティ・イノベーション 取締役
株式会社ジャパンエナジーの情報システム部門において、長年、情報システムの企画、開発、運用までの幅広い業務に携わり、ITによる業務改革、収益向上を支援してきた。また、その実務を経験する中で、システム開発における開発方法面の必要性を認識し、C/S向け開発方法論の制定、導入を推進。常に顧客と共に考え、行動し、成果を上げることをモットーとしている。

工場制御系システムからキャリア・スタート

能登原伸二さん

― 能登原さんは日本鉱業(現ジャパンエナジー)というユーザー企業のシステム部門出身なのですね。

能登原
もともとコンピュータの仕事をやりたくて名古屋工業大学で情報工学を専攻しました。出身地の倉敷市水島には日本鉱業のコンビナートもあり、制御用のシステムに携わりたいと漠然と思っていたのです。入社後の仕事は確かに制御系でしたが、石油系ではなく金属系でしたね。

最初は亜鉛精練の前工程をやっている工場の仕事でした。鉱石を港で陸揚げしてトラックで工場に運ぶのですが、それを自動的に量る「秤量システム」です。そのときは新人だったので、担当というよりただついているだけでしたが。小さい制御システムをいくつか担当した後、4年目に金属加工工場のFA端末をアセンブラで開発し、初めて主体的に関わったヘビーなシステムをなんとか稼働させました。

手痛い失敗プロジェクト体験

― そこで自信がついたところで、今度は業務アプリケーションの生産管理システム開発を担当された。制御系に比べると、事務系は簡単だと最初は思っていたそうですが。

能登原
日本鉱業の関連会社で、工場の規模が拡大したため、きちんとした生産管理システムを作ろうということになったのです。私は主に制御系システムをやっていて、人事や会計などの業務アプリケーションは本社の事務系出身者が中心になって作っていたんです。事務系の人たちは技術的なことにあまり関心がない。 横から見ていて「もうちょっとうまくできるんじゃないの?」と思っていたんですね。

― 確かに、事務系の方々は、入れる中味に関心があるわけで、システムそのものに興味があるというわけではないかもしれません。

能登原
「こんなの簡単だ、技術さえあればできる」と思ってしまったんです。その時私はまだリーダーではなく、PLは他にいましたが、新しいことが体験できるというのがこのプロジェクトの魅力でした。そのころリレーショナル・データベース(RDB)は新技術で、日本鉱業の汎用機はRDBではなく階層型のデータベースでした。RDBという新しい技術に挑戦しよう、きっとうまくできると思ったのです。しかし、ふたを開けてみると、これがすごくたいへん(笑)。納期内に機能はだいたい満たしたものの、パフォーマンスが出なくて、ユーザー部門から「どうにもならない」といわれてしまい、結局半年近く延期しました。

― エンジニアとしての能登原さんには、これがだいぶこたえたと。

能登原
こたえましたね。このころはVAX(DEC社)の能力もまだ低くて、汎用機でやればもっと速かったはずです。いまのコンピュータならちょっとくらい設計が下手でもたぶん大丈夫でしょう。要するに、このときは新技術へのリスクというものをちゃんと見ていなかったんです。いまだったら新しい技術だけでやらずにちゃんと考えます。新技術での検証やリスクヘッジがなかったのが失敗でした。

― その時にプロジェクト管理への興味が芽生えたのですか。

能登原
いや、その時には「DBの技術を身に付けていなかったから失敗したんだ」と考えてDOA(データ中心設計)の勉強をやろうと。もっとDB設計のやり方があるはずだと勉強しましたね。ただ、この失敗から「プロジェクトを失敗させないようにやろう」と思ったのは事実です。そのころからDOAだけではなくプロジェクト管理の方法論についても考えるようになりました。

プロジェクトリーダーとしての経験から方法論構築に

能登原伸二さん

― つぎは能登原さんがPLになっての購買系システムの構築ですね。

能登原
今度はきちんとDOAで、安定してコストも安くて使いやすいシステムを作ろうと思いました。PLになる機会があったので、それじゃあ自分のやり方でやろうと。理解がある上司がいて、それを話したらやらせてもらえました。上司だけでなくユーザーの人もよかった。いいチームだったのです。今度はそれなりにうまくいきました。しかし、ちょうど汎用機からクライアント・サーバ型の仕組みへダウンサイジングという流れの時期でしたから、周りのプロジェクトにもうまく行っていないものもあった。

その頃僕が考えていたのは、クライアント・サーバ型のシステム開発方法論をつくって広めれば、クライアント・サーバ型の失敗が減るということでした。自分でリーダーをやり、「自分のチームの開発がうまくいったから、よかったよかった」で終わるよりも、そちらの方が会社に貢献できるんじゃないかと思い始めたのです。そこで会社に提案しました。その時に僕の上司が知っていてコンサルに頼んだのが林さんのジェームス・マーチン社だったのです。

― それが林さんとの出会いになったと。

能登原
そうです。ジェームス・マーチンの方法論をジャパンエナジーの方法論にカスタマイズしました。それをある大規模プロジェクトに一年間導入してブラッシュアップしてから正式導入しました。その後は「2000年問題」の事務局と平行してジャパンエナジーのインフラ管理担当をしました。そして2000年の6月末に会社を辞めて、7月からアイ・ティ・イノベーションに移りました。

ITコンサルタントへの転身

― ジャパンエナジーを退社した理由は?けっこう思いきった決断ですよね。

能登原
石油業界再編に伴う構造改革の一環として、ジャパンエナジーが早期退職者を募集したんです。ちょうどタイミングがよかった。その時に頭に浮かんだのが論語の「四十にして惑わず」でした。僕はその時ちょうど40歳だったんです。「30歳で立てなかったので40歳で立とう、一度はIT業界の真中で挑戦してみようかな」と思ったのです。コンサルに転身するのに、方法論をやったのもよかったし、リーダーとして実際の経験ができたのもよかった。DOAをやったのもよかった。失敗を含めて全部の経験が意味を持っていると思っています。ユーザーサイドや情報システム部門の立場に立って考えることもできるというのは、コンサルとしての強みですね。

― いまやっているお仕事は?

能登原
一番多いのはプロジェクト管理方法論の導入支援と、プロジェクトマネジメントオフィス(PMO)の設置と運営のコンサルです。会社全体としてはPMの育成の仕事が多いです。

― 今後の目標は?

能登原
仕事上はITプロジェクトの成功率を高めるために、役に立つと思うものを何でもやっていく。それをトータルでできる会社にアイ・ティ・イノベーションを成長させたいです。内面的にはもっと人間性・人間力を磨きたいですね。プロジェクトマネジャとしても会社を経営していく上でも必要だと思います。孔子のいう「七十にして己の欲するところに従いて則を超えず」のように、普通にやっていることがそのまま世のため人のためになる境地に将来達すればいいなあと思っています。

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