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2004年6月30日

服部 祐二さん(1)
双日システムズ株式会社 執行役員 兼 SI事業部長

服部 祐二さん服部 祐二(はっとり ゆうじ)さん
双日システムズ株式会社 執行役員 兼 SI事業部長
SE歴は10年以上。現在は事業部経営者として腕を振るいつつ、ハイリスクプロジェクトや先行投資型プロジェクトのプロマネ、主要顧客に対する営業担当としても活躍。


プロフィール:近畿大学農学部 食品微生物学科卒。大手食品会社、独立系ソフトハウスを経て双日システムズ(旧・ニチメンコンピュータシステムズ)入社

スキル診断から始まった縁

服部祐二さん

能登原
双日システムズさん(旧ニチメンコンピュータシステムズ)が弊社のお客様で、それが服部さんと知り合うきっかけでした。最初はスキル診断を利用されたんでしたっけ?

服部
そうですね。

能登原
それが一年半くらい前になりますか。そのあと弊社のプロジェクト管理の方法論をカスタマイズして、それをニチメンさん(当時)のプロジェクトに応用して成果を上げていこうというプロジェクトが昨年の9月ごろから少しずつスタートして、10月から12月まで3ヶ月間実施しました。それを私が担当させていただき、ニチメンさん(当事)側のリーダーが服部さんだったわけです。

服部
そもそもはうちの社員が何かのセミナーの折に林社長の名刺をいただいていて、「面白そうな人がいるから一度会ってみませんか」ということでアイ・ティ・イノベーションにお邪魔したんですね。普通のコンサルタントだけではなくて、スキル診断で業界のベンチマークが取れるというのが非常に珍しくて、それをやると自社の強みや弱みがわかりやすくなる、と思ったんです。強みをさらに強化するとか、弱みを克服するとか、いろいろ経営課題はあると思うんですけれど、それが一目で見れる。私はとにかくスキル診断がやりたかったので…。そのお話をしたのがいつごろでしたっけ?

能登原
スキル診断は春ごろでしたね。

服部
それをやってみたら、見事に強みがなかったんですよ(笑)。林社長には本音で、旧ニチメン・コンピュータシステムズという総合商社の完全子会社で情報システムオンリーの会社の成り立ちから、業務関係、営業関係、それから技術者が非常に成長しづらい環境にあるんじゃないか、ということも含めて「こんな環境です」というお話をさせていただきました。ただ、親会社が一部上場の企業で、兄弟会社といったらおかしいですけれど、別の事業会社がいくつか顧客なので、一般的な独立系の企業からしたら圧倒的な強みがあるんじゃないかというお話をいただきました。それから下流工程は中国に、という流れになっているので、上流工程ができるとか、または中国などの会社の方を使ったマネジメントができるというスキルが必要だろうと。でもうちの会社にそういう経験をしている社員っていたっけ?という話になって、社員のスキルの棚卸とプロジェクトマネジャを育成するための、2日か3日に圧縮した講習会をやっていただいたんです。

能登原
なるほど。私が服部さんにお会いする前にそういうことがあったんですね。

服部
受講者には30歳を過ぎている人間はわざと選ばずに、27,28歳とか次世代の技術者たちの中から選んで受けさせました。PMとかPLって技術力じゃなくて人間力ですから、向いている社員に体系立てて研修を受けて理解してもらおうと考えたわけです。そのあとに、「実務練習をしませんか」とお誘いいただき、候補者の中から2人がアイ・ティ・イノベーションさんのお世話になっています。開発作業をやっているのではなく、プロジェクト管理支援みたいなことですね。

能登原
これは、弊社で一緒に手伝っていただきながら勉強していただくというプログラムです。今私の下にも入っていただいて、ある会社さんのプロジェクトのマネジメント支援をやっています。その会社のマネジメント管理チームの中に、一緒に参加しているわけです。

服部
能登原さんとの関係はそのへんからですよね。

食品会社で新製品開発をするはずが…

能登原
現在のお立場からは意外なことに、服部さんはもともとは食品微生物学科卒業なんですね。

服部
今でいえばバイオテクノロジーです。その当時そんな言葉はなかったですが。食品微生物とは何かというと、たとえばキノコなんかもそうでしたね。マイタケとかシメジとか。

能登原
栽培キノコ。

服部
ええ、それからビール酵母もそうです。卒論では、ビール酵母を分解する菌がいたので、それに耐える菌を探したんです。母校ではなく大阪府立大学の研究室に通っていました。実は3回生で卒業単位を全部とっちゃったんですよ。4回生は卒論だけになったので、それなら違う大学の研究室に行ってみるか、ということで、教授の紹介で私ともう一人が大阪府立大学に行ったんです。それが、研究しても結果が全然出ないんですよ。結果が出たらノーベル賞取れるかもしれないけど(笑)。いろいろな山の中にいって土を取ってきて、土の中にいる菌を分離して、見たことのない菌がいたら、耐性があるかどうかを調べて…

能登原
食品微生物ってそういうふうに研究するものなんですか。

服部
何ヶ月やっても結果が出ないんです。で、卒論ですから結果が出ないというわけには行かない。とりあえず1月ごろに自分の大学に戻って、結果の出る簡単な研究に切り替えて卒論を書いたんです。

能登原
そういうご経験をしていたんですね。

服部
卒論もそうだし、食品微生物学科にいたんで、当然のごとく食品会社に入ったわけですよ。新商品の開発ができるものだと思って。そうしたらその会社は「1982年からコンピュータを入れるぞ」と言い出して、10月から私もなんだかわからないうちに情報システム担当になったんです。

能登原
そのころはよくあった話です。

服部
今でこそ、学生は一人で一台パソコン持っていますけど、このころはパソコンという言葉も一般的ではなくて…

能登原
NECのPC98シリーズが出たばかりですよ。

服部
よっぽどのマニアでないと、パソコンとファミコンの区別を知らない時代ですから(笑)、COBOLって何?とかコンパイルって何?という状態です。

能登原
そこから始められたわけですね。大学でもまったくお使いになっていない…

服部
コンピュータという言葉くらいは知ってましたけど。そういう人間がいきなり情報システム担当に選ばれたわけです。これがまた、ソースコードに対するコンパイルエラーとか、実行したときにすぐにエラーがおきるとか、まともに動いたら思った通りの表示が出るとかいうのが、あの卒論のときの、何ヶ月たっても結果が出ないものと正反対だったんですね。コンピュータは自分がこうしたらこうなると、すぐに結果が返ってくるものだから。逆にそっちに面白みを感じたわけです。

能登原
じゃあ、最初はプログラマーからのスタートだったんですね。

服部
だって、何も知らないですもん。勉強したこともないし。メーカーの担当者が栃木県まで来るわけです。

能登原
栃木ですか? 情報システム部は栃木にあったんですか?

服部
たまたま私が新商品の開発をするための工場のつもりで行ったのが栃木工場だったんです。分散式というか、本社は経理だけはコンピュータシステムが入っていて、そのころもすでにデータ伝送はしていましたが、新たに工場と営業とをつなぐ販売管理のシステムを入れるというので、私が工場の中の情報システム担当になっちゃったわけです。そこにメーカーの人が時々来て、いろいろなことを教わるという感じでした。販売管理システムというのはほぼパッケージに近かったかもしれないですね。メーカーの方と、本社から私よりひとつ上くらいの社員が来ていました。その人は私と違って、ちゃんとコンピュータをやろうと思ってきたわけです。その人の下についていろいろなことを教わりました。

能登原
服部さんを情報システム担当に指名された理由というのは何かあったんですか?ほかにも社員の方はいらしたんでしょ。

服部
いましたよ。その工場に同期で13,14人入りましたから。何ででしょうね(笑)

能登原
何らかの方法で適性を判断されたんだと思いますね。

服部
多分そうだと思います。今考えてみれば。

能登原
そのころはそういう職種が出来たばかりで、コンピュータをやりたいと思ってきた人は少ないでしょうからね。でもやってみたら意外に合っていたと。

服部
合っていたというよりも、大学のときに卒論で苦労した、あの何ヶ月やっても結果が出ない研究に比べれば、システムは直したとおりに直るじゃないですか。自分が悪かったらちゃんとエラーを返してくれるというのが、すごく自分にとってインパクトがあって。で、工場のシステム担当になっちゃったらなかなか外に出られない。当時「渋谷系」みたいな独立系のソフトハウスが流行っていて、要は企業からスピンアウトして会社を興した人がけっこういたんです。どうせやるならそういうところに身を置いて本格的にやってみたいな、と思って3年半くらい勤めたところで会社を辞めたんです。

能登原
ずいぶん見極めが早いですね。

服部
早いでしょ(笑)。でも一応3年間は、「石の上にも三年」だから我慢しようと思ったんですよ。あまりころころ会社を替えるのもよくないだろうと。で、結局3年半いたわけです。

能登原
じゃあ、3年半の時点でそう考えたのではなくて、結構早い時点で決めていたんですね。

服部
やるなら本格的にやりたいな、と思い始めたのは2年くらいたってからですかね。そのころは本社から来ていた人や私のひとつ上の担当者も、ほかの工場に異動していたというのもあって、下に若い人も何人かついていたし、自分もあまり同じ部署にいるのもどうかな、と。

能登原
それじゃあ、部署の中心になっていたんじゃないですか。

服部
工場の中の中心だから全体から見ると拠点のリーダーみたいな感じなので、もし本社に戻ってそういう部署の中心になっていたら気持ちが違っていたかもしれないですね。やはり工場側にあるマシンは一種類くらいしかないし、ほかのマシンはどうなんだろうと知りたくなるじゃないですか。だから、独立系のソフト会社に身を置けばいろいろなことができるだろうと思ったんです。

能登原
転職先はどうやって探したんですか?

服部
IT技術者向けの転職情報誌があって、それで探したんですよ。当時栃木県に家を借りていたんですけれど、時々東京に出てきては面接を受けてました。

能登原
それはすごいな。でも服部さん、大学は関西じゃないですか。ご出身も大阪ですよね。

服部
そうそう。だから大阪に本社がある会社に勤めたら、東京を越えてさらに先の栃木工場の担当になってしまったんです。

能登原
それは気にならなかったんですか。

服部
いいえ、別に。私は次男だし、自由に生きるつもりでしたから。

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