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2004年8月 6日

服部 祐二さん(3)
双日システムズ株式会社 執行役員 兼 SI事業部長

服部 祐二さん服部 祐二(はっとり ゆうじ)さん
双日システムズ株式会社 執行役員 兼 SI事業部長
SE歴は10年以上。現在は事業部経営者として腕を振るいつつ、ハイリスクプロジェクトや先行投資型プロジェクトのプロマネ、主要顧客に対する営業担当としても活躍。


プロフィール:近畿大学農学部 食品微生物学科卒。大手食品会社、独立系ソフトハウスを経て双日システムズ(旧・ニチメンコンピュータシステムズ)入社

仕事内容の変化、そしてバブル崩壊

服部祐二さん

服部
結局、そのシステムには他の会社も何社か入っていたんですが、みんな引き上げて全体の保守チームとしてうちだけが残ったんです。チームは7人くらいだったかな。

能登原
稼動して保守に段階が移ったわけですね。

服部
とはいえ、金融は生き物なので、法律が変わったらシステムも部分的に変更しなければならないし、新商品を出したときもその部分を新しく作らなければいけない。ちょうど私たちが保守を担当しているときに、その証券会社がMMFという新商品を作って売り出したんです。中国ファンドのよさを生かしてもっと利回りのよい社債などを組み合わせたものでした。

能登原
MMFはヒット商品になりましたよね。

服部
当時は一口100万だったかな。日々利息がつくという触れ込みで。いまはMRFになっちゃいますけれど。
そういうことをやっていて、業務知識を得ることはすごく楽しいな、と思ったんです。

能登原
このころになると、プロジェクトマネジメントの必要性も感じ始めたんじゃないですか。

服部
ええ、感じたんですけれど、その感じ方がちょっと普通とは違ったかもしれないですね。新規開発プロジェクトの場合、若い部下の気持ちをひとつの方向に向けるのは比較的楽なんです。でも保守になったときにそれが難しい、ということを痛感しましたね。たとえばシステムサイドからの提案で「こんなふうにしましょう」という小さな手直しはチョコチョコできるんですけど、仕事量としてはそれほどではない。
仕事量から言えば、部下に「今日はやることないから来なくていいよ」と言えるんだけど、7人の体制でお金をいただいているわけだから、そういうわけにはいかないし。でも、実際にはあまりやらせることがない。マネジメントという意味では、逆につらかったです。それと、このとき初めて、自分より年上の人が部下になったんです。

能登原
このころは会社自体もだいぶ社員を増やしていたんですね。

服部
ええ、50人くらいに増えてました。私の部下になったその年上の人も中途採用で、このときに初めて一緒に仕事をすることになりました。
それまでにも1989年の4月に、私より2つくらい年上の人を配下に置いたことはあったんですが、傍から見ても「それが順当」という感じで、また、本人も私に対してきちんと部下として振舞ってくれたので特に困ったことはなかったんです。
でも、課長になって保守の体制になったときに、4つくらい上の人が私の下について、年上の部下が二人になりました。それ以外に若い部下が4~5人くらいの体制だったかな。そのとき私は入院しましたね(笑)。尿管結石で。

能登原
それは痛そうだ。やはり精神的なストレスが影響あったんですか。

服部
医者には「原因はストレスだ」って言われましたね。病院で寝ていたら、僕のところにプログラムのソースコードを持ってくるわけですよ。「何とかしてくれ」って。痛いのは最初の2日くらいで、一応点滴で痛みは止まって、手術しなくても石は流れたんですけれど。

能登原
その4つ年上の部下が最大のストレス源だった?

服部
もとからいた年上の部下は私を立ててくれていたので、年上だったということだけが原因じゃないかもしれませんが。それまでが成功体験ばかりで、私もちょっと天狗になっていたのかもしれません。

能登原
でもそのチーム構成だと、若い部下たちとその年上の部下との間の調整が難しそうですよね。

服部
ええ、その人は温和な方だったんですが、チームの若手に対する指導方法みたいなところで私との食い違いができて。なんていうのかな…その人は「若い子を成長させるためにはこうでなければならない」という「あるべき論」を語っちゃうタイプというか。私はクライアントとの関係など、すべてを総合して動いていかないといけないわけで、それがきつかったですね。結局その人は退職されましたけどね。

自分のやりたいこと・適性をもう一度見直す

能登原
そのころ、服部さんは会社でもかなり上のほうで、幹部候補ですよね。ナンバー5くらいですか。

服部
ええ、私より上の人たちは数人いましたが、年もかなり上でしたし。だから私が退職するときに、例のカツ丼をおごってくれた社長に「ゆくゆくは君にこの会社を譲ろうと思っていたのに」と言われました。ちょうど年代的に後継者に適当だったというか(笑)

能登原
すごく見込まれていたわけですね。辞めようと思い始めたのはどのあたりからでしたか?

服部
やっぱり入院したのが大きかったですね。それから景気が悪くなって、中小企業向けの助成金を役所からどう持ってくるかということをやっていたんで、「独立系のソフトハウスって、やっぱり資金面で限界があるな」と思い始めました。
それに社員が50人くらいになると、優秀な人は稼ぐんですが、そうでない若手は稼がない。「ぶらさがり」になっちゃう。そうすると会社全体では業績が悪化してきて、優秀な人にきちんと処遇できない時期が1年くらいあったんです。
それから私個人としては子供が生まれて、もう少し広い家に住みたかった。不動産バブルの時代だったから、当然広い家は買えないので、マンションなんですけど。ローンとかいろいろ手続きが面倒じゃないですか。決断力も度胸もいるし。そのストレスと引越し疲れもあったのかもしれないですね(笑)。

能登原
すごいストレスですよ(笑)それはおいくつの時ですか。

服部
32歳くらいです。結局、辞める直前は若手2人の部下くらいでできる小さなプロジェクトしかやってなかったですね。

能登原
ちょうどバブルが崩壊して、どこも厳しかったですよね。私の知っているソフトハウスもそのころ若手社員をずいぶんリストラしたようです。

服部
しかも入院しちゃったでしょ。家族もずいぶん不安だったと思います。特に上の子が何もわからずニコニコして病室に入ってくるのを見て「ああ、無理しちゃいけないな」と感じたのを覚えてます。それに、「もしかしたら、自分はこの業界に向いていないのかもしれない」と疑問がきざしたんですね。
そもそも、家族の幸せのためには、自分の本当にやりたいこと、やれることをやるべきだと思っていたんですよ。もともとは食品生物学をやっていたわけだし。

そこで転職情報誌を出している某社の横浜事務所に駆け込んだんです。当時の会社の社長は採用のときに適性検査を一応やってはくれたものの、「そんなものはいいから」と結果は教えてくれなかったし、もう一回自分にはどんな職業が向いているか調べたかった。で、3日後に結果が出るから、もう一回来てくれと言われたので3日後に行ったわけです。そうしたら「あなたは典型的なSEですね」って(笑)。今でも、そのときの性格診断の結果を取ってありますよ。

能登原
もうSE以外にないと(笑)。でもこの時期はずいぶん迷われたんですね。仕事自体もハードだったんですか。

服部
いや、今ほどハードじゃないですよ。今ほど家内はいやな顔していなかったですもの(笑)。プロジェクトって、新規開発でも保守でも、忙しくて帰りが遅いときとそうでもないときが明確に分かれるじゃないですか。自分で時間がコントロールできるから、家族と過ごす時間も作れたんです。今はもうずっと毎晩遅いですから(笑)、だんだん家族と約束ができなくなってきた。

能登原
今は責任もはるかに重くなってますからね。話を元に戻しますが、もしかしたら、その服部さんが一番迷われた時期は、仕事の忙しさの質そのものが変わってきた時期なのかもしれないですね。

服部
そうですね。それまではゴールがはっきり見えていた。ゴールが見えている忙しさってぜんぜん疲れないですよね。達成感や充実感がありますから。開発の場合、ここを過ぎたら少しほっとできるぞ、というピークがはっきりしている。それが保守になるとだらだらとゴールが見えない状態になってきたわけです。
それに、やはりバブル崩壊の時期ですから、報酬も少なくなって家族に負担をかけてしまう。本当に自分のやりたいことをやって、その結果収入が少ないんならいいんです。仕方がないと思いますしね。また逆に、私がそれほどやりたくない仕事でもお金がよければ、家族もたぶん我慢してくれるだろうし、報酬がそこそこでも家族との時間を十分に取れるというのならそれでもよい。「時間」か「お金」か「やりたいこと」か、そのどれかが満たされればいいと思ったんです。そこで本当は自分に何が向いているのか調べる気になったんですよ。

能登原
で、蓋をあけてみたら、「これぞSEそのもの」という性格だと出てしまった。

服部
「だったらしようがないな」と(笑)。でも、どうせこの業界で生きていくんなら、もう少し安定していて、お金のことで悩まないところがいいと思って、何社か紹介してもらって面接したんです。

能登原
商社系列のシステム会社というのがその選択肢の中に入っていたわけですね。

服部
実は私の父は商社マンだったんです。大手の商社って、いろいろな部署を2,3年ごとにローテーションさせるんですよ。うちの父は特に何かの業界に強いというわけではなく、外語大を出て入社していたので、建設機械の部署にいたり、そうかと思うと薬品系の資料をうちに持って帰って「これがよくわかんないんだよ」と言いながら、あの六角形のカメノコみたいな構造式を解読していた。そういう姿を見て育ったわけです。
だから、ニチメンという総合商社が100%出資のコンピュータ・システムの会社なら、今まで独立系のソフトハウスでやってきたように、いろいろな業種のシステムを開発できるんじゃないかと考えたわけです。総合商社なら食品系があり、機械系がありで、きっといろいろな種類の開発ができるだろう。他の会社と比べて、そこに魅力を感じたんですよ。そんな経緯で今の会社に入ったんです。実際に入ってみたら予想とはちょっと違ったんですけどね。

能登原
そういうわけだったんですか。転職先の選択には、いろいろなことがやれるのが最大の魅力だった…。

服部
私は特に飽き性なのかもしれないんですけど、2年も同じことをやっていると飽きるんです。なんだか遊び心が出て、すぐ次のことをやりたくなっちゃうんですよ。
例の性格診断にも「高い目標を立てて、それを達成したがる」と書いてあるんですね。慣れてきちゃうと、また違う目標を立てたくなる。

能登原
性格診断、当たってますね(笑)。

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