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2004年8月27日

服部 祐二さん(4)
双日システムズ株式会社 執行役員 兼 SI事業部長

服部 祐二さん服部 祐二(はっとり ゆうじ)さん
双日システムズ株式会社 執行役員 兼 SI事業部長
SE歴は10年以上。現在は事業部経営者として腕を振るいつつ、ハイリスクプロジェクトや先行投資型プロジェクトのプロマネ、主要顧客に対する営業担当としても活躍。


プロフィール:近畿大学農学部 食品微生物学科卒。大手食品会社、独立系ソフトハウスを経て双日システムズ(旧・ニチメンコンピュータシステムズ)入社

システム構築のために業務知識を身につける楽しさ

服部祐二さん

能登原
それで1993年8月に、現在の会社、双日システムズ株式会社(前・ニチメンコンピュータシステムズ株式会社)に入社されたわけですね。

服部
ええ、そういう経緯です。たまたま、最初は北米材丸太の輸入業務システム開発のプロジェクトをやらせてもらいました。部下が7,8人くらい、協力会社の方も含めて最大で10人くらいだったと思います。

能登原
最初からマネジャということで入られたんですか。

服部
もうそのときは33歳くらいになっていますから、入って数ヶ月で課長代理になっています。

能登原
このあたりのプロジェクトになると、もう汎用機ではなくなっていますか?

服部
中型機ですね。最初は画像処理をマッキントッシュでやろうという話もあったんです。輸入業務ですからよい木材かどうかを判断しなければなりませんが、そのためにはカナダで切り倒した木材の写真を撮って、丸太の断面を見るんですよ。断面を見て目が均等に詰まっているほうがいいんです。カナダは寒いから年輪の目が詰まっているんですが、変に南側だけ日当たりがよかったりして年輪が間延びしているのはよくない。日本の木材業者はそこを見て、よい木かどうかを判断し高いお金を払うかどうかを決めるんです。ですから丸太の断面でランクやグレード分けがあるんですよ。

能登原
それは知りませんでした。

服部
カナダからアメリカの東海岸にカスケード山脈というのがありますが、丸太も「カスケード」というランクがもっとも上等なんです。その下に「セミ・カスケード」とかあるんです。これは面白い業務でしたね。
結局マッキントッシュで処理する件に関しては、デジカメで写真を撮ってファックスで送り、業務システムとは接続しないでやろうということになりました。商品そのもののグレードを示すラベルは業務システムで管理しなければならないんですけどね。単位が「何本」じゃないんです。体積でやります。「スクリューブナー」って単位なんです。

能登原
えっ、どんな単位なのか見当もつきません(笑)

服部
わからないでしょ(笑)。貿易の通関上の書類ではブレレトンスケールで統一されていて、スクリューブナーとの変換率がちゃんとあります。日本に上げると「石(こく)」という単位になるんです。

能登原
加賀百万石の「石」ですか?

服部
そうそう。それが東日本と西日本でサイズが違うんですよ(笑)。京間と江戸間の違いみたいに、中部地方を境に東側を「JAS石」っていって、西側を「平石(ひらこく)」っていうんです。サイズは平石のほうが若干大きい。アメリカ・カナダ側で4箇所ぐらいから船に積み込んで、日本で福岡、愛知、東京、仙台、北海道など5箇所くらいに降ろすのがひとつのラインなんです。通関業務などの業務知識を得るチャンスがあるのが非常に面白かった。

能登原
確かに面白そうですね。

服部
その次にやったのが南洋材輸入業務システム開発プロジェクトです。本当は北米材が終わってからのはずだったんですが、たまたま担当者がバスケットボールで半月板を損傷して入院しちゃったんで、北米材プロジェクトを途中で止めて、南洋材を先にスタートさせたんです。
北米から輸入するのは住宅用のよい木材ですが、南洋材がまた北米材と全然違うんですよ(笑)。南の木ですから目が詰まってなくて、ぼやーっとしている。安いから扱いも雑です。木材は虫がつくので一番外側の皮をむいて船に積まなければいけなくて、普通は「皮むき料」を現地の業者に払うんですが、南洋材は一部地域では原住民が家の薪にするために、夜の間に勝手に皮をむいて持って行ってくれるんですって。

能登原
それは便利というかなんというか…世界は広いですね。

服部
皮を手でむいたりするし、船に積むと木材同士がこすれて、そういうくずが散らばってすごく汚くなるんです。船会社に清掃料と廃物処理料を払わなければいけないんですが、船会社によっては「海に捨ててくるからいいよ」とか剛毅なことを…今ではもう許されませんが。

能登原
会社の雰囲気とか文化みたいなものはずいぶん違いましたか?

服部
転職していきなりこのプロジェクトに入ったので、結構独立していて自分なりのやり方をやらせてもらえたんです。当時は会社自体が100人切るくらいの規模でしたが、他の90人が何をやっているのか知らない状態が2,3年続きました。

能登原
たまたま独立した部署だったんですか、それとも全社的にそういう感じだったんでしょうか?

服部
当時他の90人のほとんどは保守をやられていたみたいです。中堅どころがいない会社だったので、私を含めて30~40歳の人間をどっと5,6人まとめて採用したんです。

能登原
それだからご自分のやり方でできたんですね。服部さんは業務についてもよく勉強されてますね。

服部
勉強というわけじゃなくて、リアルな部分が面白いんですよ。コンピュータのシステムを通して2,3年ごとにいろいろな仕事を経験したい。「この業界ではこういうふうに商売をやるのか」って。

能登原
技術が面白くてそちらにのめり込む人はよくいますけれど、服部さんは業務のほうが面白いんですね。特にこのころはダウンサイジングの時期でしたし。

服部
プログラムの自動生成ツールとか、いろいろなツールが出てきたときに、この業界で最後まで生き残るには業務に詳しいこと、つまりテクニカルなSEじゃなく自分が思い描いていた昔ながらのSEを目指さないといけないとは思っていたんです。
業務は本当に面白いと私は思いますよ。「覚えよう」と思ったら面白くないのかもしれないけど。南洋材の輸入業務システムなんか、動いて保守して一年くらいしたとき「台風で船が沈んじゃったんですけれどシステムどうしましょう」(笑)とか言われたのを覚えています。そんなことはシステムで想定していないから(笑)。

部下を刺激する「自然体でのチャレンジ」

服部祐二さん

能登原
そして、この会社でもどんどん部下が増えていくんですね。

服部
そうなんです。そのあたりまでは単一プロジェクト系で済んでいたんですが、95年に課長に昇格して、南洋材の、今度は丸太じゃなく製材輸入業務システムを開発した後、隣の部署に移動して、いわゆる保守部隊というか、全社的なシステムの保守の担当になりました。そこでとりあえず、どんなシステムがあるのか見ようと思っていたら、中期経営計画の策定のシステムをつくることになって「お前行け!」といわれて、またPLに逆戻りです。このシステムを検討から開発まで終えて、また戻っていろいろなシステムの保守をしながら、外貨建債権債務期末換算システムの検討に入りました。このシステムは商社独特のものですね。検討はずいぶん膨らんだんですけど、なるべく簡便にしようということで開発はすぐ終わりました。そんなこんなするうち、消費税が3%から5%に上がったり、何かと忙しかったですね。ちょうど2000年対応をやりかけた1999年12月にまた部署が変わって、元の部署の部下からは「逃げた」(笑)とか言われましたが。
新しい部署は部下が24人で、会社の外向けの開発ばかりだったです。しかもその3年ぐらい前からパワービルダーでの開発に取組んでいたので、その関係の開発が非常に多かった。

能登原
パワービルダーはニチメンデータさんが輸入されてましたからね。

服部
そう、兄弟会社です。部下には大きな声でいえないけれど、私はパワービルダーは講習を受けた程度なんですよ。触れることは触れますが。

能登原
このへんになると服部さんのお仕事はマネジメント色が強くなってきて、じかにプロジェクトを見ることは少なくなったのでは。

服部
そうですね。責任を負わなければならない大きいものは別として。億単位のプロジェクトになると進捗会議も出席して状況把握します。自分自身が怖いですからね。部下にあまり教えることはないんですが、業務の設計のところで「一般的にはこうだろう」というのが想像できなくて「こういうときはどうするの」と聞くと言葉に詰まるようなテクニカルな若手が多いんで、支援的な役割もしています。

能登原
服部さんくらい業務を楽しんでいろいろやってきていると、新しい業務でもだいたい予想がつくでしょうね。バリエーションも多いし、人の何倍も勉強になっているんじゃないですか。

服部
ひとつの会社にいて同じ年齢になることを考えればそうかもしれません。またうちの会社は事業部門制を引いているんで、毎月の数字を出さなきゃいけないんですよ。いま、部下が110人なんですが、当然、110人の社員の給料やボーナス、厚生年金、退職金の積み立てなどなど、お金の管理は全部事業部門責任なんです。通勤費から家賃まで負担しなければならないので、会社をひとつ経営しているようなものです。商売自体の契約の管理もしていますし。

能登原
弊社は20人しかいないですから、110人となると小さな会社より大変ですよ。人材の育成もやらないといけないですしね。

服部
でも私のすぐ下になる人たちが育ってきたので、だいぶ楽になってきました。最初の24人のときは大変でした。

能登原
服部さんの下の課長の方たちも非常によいですね。

服部
その下の主任クラスもいいですよ。

能登原
何か育て方のコツというか、方針みたいなものがあるんでしょうか?

服部
実は悩んでいるんですよ。人材育成については正解がなくて。うちは事務方に近い仕事もかなり多いんですが、それを次の世代にやらせるのがよいのかどうかも迷っているし。全体的にみて、割とほったらかしているかもしれないな、と最近反省しています。
たまたま1993年のプロジェクトで一緒だった部下は、前のソフトハウスの基準から見て「普通」だと思っていたのですが、実は優秀なほうだったんです(笑)。ずっと保守しかやっていない中では、開発プロジェクトばかりやっているのは珍しいタイプだったらしい。育てたというつもりはないですが、プロジェクトの進め方を見習ってくれたのかもしれないですね。

能登原
服部さんたちの入社自体が成長の刺激になったんでしょう。

服部
それはあると思います。自分たちは外のことを知らないから、どんな仕事をしてきたのか話をしてみたいという若手が多かったみたいです。逆に殻に閉じこもってしまう人もいましたが。興味はあるんだけれど、そこに身をおきたくはない。やっぱり自分の得意な分野でやっていきたいみたいな。だから伸びないんだと思うんですが。

能登原
私がプロジェクトマネジメント標準作りでご一緒したときに感じたのは、服部さんは基本がよくできていらっしゃるので、下からいろいろ聞かれても、基本に戻って答えられる。それもいろいろな経験を積まれているからでしょうね。
服部さんのご経験の中から、あえて成長のきっかけをひとつあげるとどれでしょう。

服部
よい意味でも悪い意味でも入院したときのプロジェクトかな。それまで新規開発だったのが、初めて保守で残ったし。きつい思いもしましたが、仕事は認められましたから。この当時のお客様のつながりで、「服部さんがいる会社だったら」ということで現在大きなお仕事をいただいています。個人的なつながりなので、ここに関しては営業というかアカウントマネジャもやっています。

能登原
仕事への意識が変わったのは?

服部
「やっぱりこの業界しかないんだ」と覚悟を決めて転職したときですね。そこで一皮向けた気がします。

能登原
例のきついプロジェクトより前は、時代の波に乗っている感じだったんでしょうね。業界全体が右肩上がりだったし。でも流れが変わったときに、本当にご自分のやりたいことは何か考えたというのは…。

服部
すごいでしょ(笑)で、結局この業界しかなかったわけなんですが。

能登原
でも、それで腹のくくり方って変わりますから。それにしても、普通はそのほうが楽だから自分の知っている中でやっていこうとしてしまうのを、2,3年で次に行きたいとか、知らないことに挑戦するのは楽しいと考えられるのが、まずすごいですよね。安全圏からいつも一歩踏み出してしまう。実は安全圏も時代によって変わるから、安全圏にしがみついているといつの間にか安全じゃなくなったりするんですけれど、服部さんは挑戦し続けですからね。しかも挑戦が自然体だし。

服部
24人の部署でやっていたときも、「開発工程だけ請け負っていてもぜんぜん上流の経験が積めないよね」というので、いろいろなチャレンジをしてきました。今すごく評判がいいです。そういう結果が出るとうれしいですね。

能登原
最後にマネジメントで一番大事なこと、心がけていることは何でしょう。

服部
マネジメントで大事なのは、データ的な数値と人間の両方です。人と人とには相性があって、せっかくいいものを持っていても、相性が悪いと萎縮したり反発したりして、それを引き出すことができない。人間関係はすごく大事です。とはいえ、数字は一番大事ですが。
短期であれば人間関係も「我慢してくれ」と言うことができますが、長期となるとそうもいきませんしね。チャレンジさせるときも向き不向きを考える必要があります。部長になって2年目くらい2001年くらいから、こういうタイプの部下にはこういうことが向いているんじゃないかとか、このお客様には不評だったけど、こちらのお客様とは合うんじゃないかとか、それを見抜く力が身についてきたと思います。

能登原
それはすばらしい。どうも長い時間ありがとうございました。

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