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2005年1月 7日

工藤 千温さん(1)
株式会社ティージー・アイティサービス
計画部 戦略企画G グループマネージャー

工藤 千温さん工藤 千温さん
株式会社ティージー・アイティサービス
計画部 戦略企画G グループマネージャー
大学では小学校教員養成課程に在籍するものの、1991年株式会社ティージー情報ネットワークに入社。新人SEとして一から教育を受け、メインフレーム周辺基盤の維持管理業務を担当する。2度の産休後、1999年から運用用務の企画および全体調整業務に異動。2002年サポートセンターでリーダー職に。同年7月、サポートセンターを含む運用サービス部門が株式会社ティージー・アイティサービスとして分社化され、コールサポート業務アウトソーシング実施プロジェクトリーダーに。2003年上記プロジェクト完了と同時に現職となる。

初体験のプロジェクト(しかもタイト)でリーダーに

工藤千温さん

能登原
工藤さんとお会いしたのは、ティージー・アイティサービスさんが行っていた東京ガスのインフラ運用業務を、7つくらい同時にアウトソーシングしようというプロジェクトの時でしたね。私は2003年の2月くらいからコンサルとしてお手伝いさせていただきましたが、その時に、工藤さんはコールサポート業務のアウトソーシングのリーダーでいらっしゃいました。

工藤
はい。能登原さんには週1回の定例会議でお会いしていました。

能登原
私はPMOのメンバーで、工藤さんはプロジェクトのリーダーだったんです。主なコンサル業務としては、PMOのメンバーと「どうやって進めるか」とか「どういう標準でやろうか」というようなプロジェクト運営のルール作りとプロジェクトリーダーの方々への支援でした。

7つのプロジェクトにはそれぞれリーダーがいらっしゃって、週1回の進捗会議には一緒に集まって、そこで「問題がないか」とか、「対策はどうしようか」というコンサルを続けていました。プロジェクトごとに別々にやるよりも、そこで一緒にやった方が他のプロジェクトの進め方に影響、触発される部分もあるし、上手くやっていることとか、いいアイディアを人から盗めるということもあります。それにリーダー相互にプレッシャーもかかりますしね。期間的には1月の半ばくらいから5月まで5、5か月くらいですか。

工藤
その間は、ほぼ毎週お会いしていましたね。

能登原
非常に納期が厳しいプロジェクトで、工藤さんも他のリーダーの方々もものすごく仕事していました。

工藤
ええ。そうですね。そのプロジェクトは、かなり経営戦略的な意図が強いプロジェクトで、それを何本も一度に走らせなければならないという状況だったものですから。当社が2002年7月に分社設立した時にいくつかの経営戦略が立てられたのですが、その中に「コストミニマム化のための分野別アウトソース」というのがあったんです。今までオペレーショナルな、かなり労働集約的なところに社員のリソースを当てていたのですが、アウトソースをすることで、コスト削減を図り、また社員をもっと上流の仕事にシフトさせようというものでした。

能登原
しかもすごいのが、リーダーの皆さんはみなプロジェクト運営が初めてだったことです。全員、これが初めてのプロジェクトだったんですよね。

工藤
みんな運用の人間なので、プロジェクトリーダーどころかプロジェクトっていうものをやったことがないんですよ(笑)。ずっと日々の業務を回していて、プロジェクト的な仕事はしたことがないし、ましてやプロジェクトマネジメントなんてやったことがない。そういう人間がみんな引っ張り出されてリーダーになっていたという状況だったんです。なんらかのガイドが必要だったので、うちの企画部門が能登原さんに来ていただくよう設定しました。とにかく経験のないリーダーたちがみんな試行錯誤で、短い納期でやらなければならない状況なので、なんとかそれを上手く進めるために、まとめてやり方を教えたりとか、進捗管理をみんなで一度にやって、お互いにどうやっているか状況確認をしたりというやり方になったのでしょうね。

要するに、社内でそれまで持っていた業務をアウトソースするプロジェクトなので、当然、業務のプロセスも変わりますし、アウトソーサーとの契約等の実務もありました。

能登原
どういうアウトソース先にするかという選択も非常にシビアですよね。

工藤
コスト削減が第一の目的ですから、アウトソース先は競争入札で決めました。

能登原
工藤さんのところはそれまで非常にサービスレベルが高かったので、ユーザー側から「安くなるのはいいけれどレベルが下がらないか」という、非常に厳しい目で見られる部分もありましたよね。

工藤
それはどのアウトソーシング・プロジェクトにも共通していたのですけれど、特に私のところはコールサポートといって、エンドユーザーと、直接やりとりをする業務だったものですから。それまではコストとサービスの内容やレベルの関係が定義されていなくて、要するに、大枠の予算の中で「とにかくやれることは何でもやろう」というサービスだったんですね。どのくらいの経費でどこまでのことをやるというような取り決めは一切なかったので、悪く言えば「なあなあ」、「まあまあ、お願い」(笑)っていう世界でしたね。

能登原
サービスのレベルを評価するシステムもあまりなくて、何となく日々の業務が流れていくという感じですか。

工藤
そうそう、そうなんですよ(笑)。だからアウトソースすることで品質が下がるんじゃないかと、顧客側からの懸念としては再三言われたんですけれども、じゃあ、今までどこまでやる約束だったかというと、そんなものはごくわずかしか存在しないわけです。そこをどのへんで折り合うかという感じですよね。

能登原
コールサポートの対象となるエンドユーザーは、みな社内の方ですか。

工藤
当社は東京ガスの100%出資子会社で、顧客は100%、東京ガス、もしくはガスグループの企業です。グループ内企業を通して外部の企業の電話を受けたりという業務も数%あるのですが、あとは全部、東京ガスグループ内対象のサービスです。

空前の売り手市場に後押しされてSEに方向転換

能登原
工藤さんはこのプロジェクトでリーダーとしての成長が目覚ましかった。初めてのプロジェクトでここまでできるようになるのかと、正直なところ私は驚きました。それでこの対談をお願いしたのです。あとでプロジェクトのお話を詳しくお聞きすることになりますが、まずはこれまでのキャリアについてお話を伺おうと思います。

工藤さんは大学では小学校の教員養成課程にいらしたのですね。それなのに小学校の先生にならずにティージー情報ネットワークに入社された。

工藤
当時はバブルの絶頂期だったんです。私は91年入社なので、たぶん最後の絶頂だったのでしょう。私たち91年の入社組の採用活動をやっている時は、もう本当に上げ膳据え膳という感じで、売り手市場もいいところという状況だったんですよね(笑)。就職活動の時にはたくさんのところからDMが来ましたし、売り手市場だったということが一般企業への就職を決めた一番大きな要因だったと思います。

実は私、小学校に上がった時からずーっと教員になりたいと思っていたんです。母によるとその頃の私は「学校ってこんなに楽しい」って、いつもそう言っていたそうです。

能登原
それは素晴らしい(笑)。

工藤
「学校は楽しいし、ずーっと学校にいたいから先生になる」(笑)って言い続けていたので、他の選択肢が自分の興味の範疇に入ってこなかったんですよね。で、「私は学校の先生になるのだ」と自己暗示にかかったまま、大学まで行ったというわけです。私の通っていた千葉大学というのはユニバーシティですから、サークル活動などを通していろいろな学部の人たちと接する機会があって、大学に入ってから初めて、「あ、意外に世間って広いのね」って思いました。それに親元を離れましたし。

能登原
ご実家は遠かったんですか?

工藤
ええ、実家は東京の日野市です。ぎりぎり八王子との境目くらいのところで、そうすると通うのに2時間くらいかかるんです。最初の1年は通ったんですけど、学校生活にも慣れてきて、友だちも増えて。千葉大学は地方大学なので下宿生が多いんですよ。周りの子もみんな下宿しているので、「じゃあ私も家を出よう」と、2年生から大学の近くに下宿したんです。ずっと、ある意味盲目的に先生になろうと思っていたのが、「意外にいろいろな世界があるんだな、世の中は」って、そこで初めて気がついたという感じですね。

それで実際に就職の時に、このまま先生になるのはもったいないような気がしたんですよ。「学校の外へ出て、もっと視野を広げてみよう」という気になった。先生以外の職業に就こうと思ったわけなんです。それで「何にしようかな」と初めて考えたんですけど、当時SEは足りない、足りない、って言われていて…

能登原
ああ、言われていましたね。

工藤
情報学部などもこの頃はまだなくて、情報産業というところに専門の人材を送り出す学部が少なかったんですよね。そうすると文系にも全部声がかかって「一から教育します」「素質さえあれば経験不問、コンピュータのコの字も知らなくて結構です」というのがどこの会社も売り文句だったんです。送られてくるパンフレットの中の「SEに向いている人はこんな人です」という記事を見て「あ、けっこう向いてるかも」と思いました。例えば、物事を筋道立てて考えるのが好きだとか。それに「顧客に対してその人の抱えている問題を解決する方法を提案する仕事」というSEの仕事のイメージが、すごく自分の興味と一致したというのがあって、じゃあやってみたいと。

能登原
現在、まさにその通りにやられていますね。

工藤
私は技術的な話はあまり知らなかったし、コンピュータそのものには全く興味はなかったんです。どちらかというと、SEという仕事はお客さまの業務のプロセスとか業務上の課題とかをITを使って解決するために筋道を立ててさしあげるとか、ソリューションを提供するっていう、そういう仕事だという認識だったのです。

能登原
それは正しい認識です。

工藤
要するに「面白そうじゃない?しかも一から教育しますって言ってるし」ということだったんです。教育学部なんて潰しのきかない学部を出ているので、「一から教えてくれないと困っちゃうな」という気持ちもあって。当時、文系からのSE採用は結構多かったんですよ。ずっとお付き合いのあるベンダーさんも文系の人ばっかり固めて採ってましたしね。
で、入社して、ほんとうに一からコンピュータの講習を受けたんです。

能登原
大学のときに少しくらいは触っていらしたんですか。

工藤
いや、もう全然ですね。ワープロ専用機、あれだけ(笑)。
まだ学生でもコンピュータを部屋に置いている人はいなくて、研究室に行くと、工学部の学生は若干使っているかな、というレベルで、文系の学生なんかはほとんど使ってなくて、みんなが触ってるのはワープロ専用機くらいでした。

能登原
小学校教員養成課程でのご専攻は?

工藤
専攻は算数です。高校で理系と文系に分かれるときには理系だったんです。高校の時は教員になろうと思っていましたが、もし教員養成の大学に落ちたら困るから滑り止めを受けておこうと。母がずっと看護婦をやっていたので、その影響もあって、教育学部がだめだったら看護婦になろうと看護短大を滑り止めに受けたんです。今考えてみると、もともと人に接する仕事がしたかったんだと思うんです。

看護は受験科目に生物とか理系の科目が入るんです。あとはもともと数学が得意で、英語が全然ダメで、それで理系を選びました。数学はずっと好きでしたね。中学校の頃から数学は好き。要するに理屈っぽいんだと思うんですよ。

能登原
それはリーダーとして非常に大切な資質ですよ。

研修でやったメインフレームを希望し、女性初のチームメンバーに

能登原
それで実際に入社されてみたらどんな感じでした?

工藤
入社してまず配属される前に、新人教育が3か月ありました。それこそ「コンピュータとはなにか」というとこから始まって、入力装置、出力装置、CPUって言葉を始めてそこで習うわけです。そういうレベルのところから始めて、最後にはシステム開発の工程を一通りやるような演習までを、3か月缶詰めで教育されました。ただ当時はまだオープン系がほとんどなくて、メイン業務はみんなメインフレームだったので、研修も全部メインフレーム。メインフレームのオンラインシステムとかデータベースもメインフレームのデータベースという環境の中で演習をやりました。

研修が終わって配属希望を聞かれた時に、「どうせ何もわからず一からやってきたんだし、研修で3か月習ったんだからそのままメインフレームをやろう」と思ったわけです。他のことは何もわからないですしね。とりあえず「メインフレーム系の仕事だったらいいです」って希望したら、当時のシステム技術部という部署に配属されました。ほとんど女性の配属がない部署で、同期が5人配属されて、女性は私だけだったんです。

そこはインフラ回りの維持管理だとか、新しい技術の導入をやる部署だったんです。私はその中のOSチームに配属になりました。メインフレームのOSと周辺機器の維持管理をやるチームだったんですが、女性が配属になったのは初めてで。

能登原
バージョンアップとか、そういうことがしょっちゅうあったりすると大変ですよね。

工藤
ええ。大変でした(笑)。システムを止められるのが土日しかないんで、平日に準備をして、土日に作業する感じの切り替えで、だいたい日曜の夜中から月曜の朝に作業が入るんですね。

配属された最初のころは、こういうバージョンアップ作業をするとか、何とかのテストをするって事前に聞かされているんですけど、なにをやっているんだか全然わからない。そうすると眠くなっちゃう(笑)。夜中の作業ですからね。先輩たちは忙しそうに何かやっていて、そこに「勉強だから」と言われて行くんですが、見ていても何をやっているんだかわからず「眠いな」と思いながらも朝までやって解散。そんな仕事をしていましたね。

能登原
でもそういう段取りとか準備とかは大切だから勉強になったでしょう。

工藤
ええ、やっぱりメインフレーム系のOSの部分というのは難しいという印象が社内でもあって、「社内でわからないことがあったらそのチームに聞け」みたいなチームだったんですよ。かなり技術的に極めている人が多かったです。

能登原
それはいいところに行きましたね。

工藤
勉強にはなるところでした。メインフレームはシステムの中心にあるものなので、全体を知るにはすごくいいんです。いろいろなものが繋がっているじゃないですか。今でも「最初にメインフレームをやってよかったな」と思います。

能登原
ベンダーのSEとの付き合いや交渉もしないといけないですしね。

工藤
最近はだいぶ変わりましたが、当時はベンダーの専属SEがずっと張り付いているような体制だったものですから、かなりベンダーのSEの方と交流があったし、いろいろ教えてもらったりもしました。

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