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2005年1月21日

工藤 千温さん(2)
株式会社ティージー・アイティサービス
計画部 戦略企画G グループマネージャー

工藤 千温さん工藤 千温さん
株式会社ティージー・アイティサービス
計画部 戦略企画G グループマネージャー
大学では小学校教員養成課程に在籍するものの、1991年株式会社ティージー情報ネットワークに入社。新人SEとして一から教育を受け、メインフレーム周辺基盤の維持管理業務を担当する。2度の産休後、1999年から運用用務の企画および全体調整業務に異動。2002年サポートセンターでリーダー職に。同年7月、サポートセンターを含む運用サービス部門が株式会社ティージー・アイティサービスとして分社化され、コールサポート業務アウトソーシング実施プロジェクトリーダーに。2003年上記プロジェクト完了と同時に現職となる。

2度目の産休から復帰したら、社内状況が激動していた

能登原
そのあとお子さんができて、産休を取られていますね。

工藤
ええ、入社3年くらいで結婚して、5年目で上の子、さらに3年後に下の子を出産しました。ですから1年足らずの育児休暇を2度取らせていただきました。

能登原
職種はずっと同じだったんですね。

工藤
そうです。その間ずっとそのメインフレーム系OSチームにいて、産休から戻って来た後も少しの間は在籍していました。

能登原
その頃にはもう経験を積まれてベテランですね。

工藤
そうですね。ただこのチームは障害対応などで休日や夜間に呼び出されることもよくありました。私から「外してください」ということは一切言わなかったのですが、「やっぱり子どもを抱えていると厳しいだろう」と会社側が配慮してくれた感じで、別のチームに移りました。産後は時短勤務もさせていただいていたので、時短勤務をしている人間に障害対応をさせるのは無理だろうという配慮があったのだと思います。

能登原
通勤時間もけっこうかかるんですか?

工藤
いや、もう職住接近です。私は大学からずっと千葉市内で、そのまま千葉に住みついちゃったって感じですね。ディズニーランドや房総方面など遊ぶところもいろいろあるし(笑)。

能登原
なるほど。

工藤
都心に出るのも意外に楽なんですよ。総武線も京葉線もあるので。実家は中央線の豊田ですが、千葉から東京に行くよりも豊田から東京に出る方が時間がかかるし、車で行く時も千葉からの方が早いですね。湾岸で行けば都内に入ってから内回り、外回り、一般道と選択できる。京葉道路もあるし。豊田は中央道が混んでたら終わり(笑)。そんなこともあって、まあこのまま千葉に住んでしまおうという感じで。

能登原
千葉市街からここ、幕張までは近いんですか。

工藤
すぐです。30分くらいですか。

能登原
じゃ、東京方面から来る方がずっと遠いんですね。メインフレームのOSチームのあとはどちらに移られたんですか。

工藤
当時、運用をやっている部署の中に、初めて企画セクションみたいなのができたんです。運用業務の全体を横串で見たりとか、問題改善を図ったりするようなチームですね。私は99年にそこに配属されたのですが、実はその前年の98年、ちょうど私が産休をとらせていただいていた間に、社内でトラブルが続発して安定稼動が叫ばれた時期だったんです。

そこで「安定稼働3カ年計画」というのが策定されました。その「安定稼動3カ年計画」を実施するに当たっては運用全体での問題管理、改善計画を行っていく必要があるということで、特殊なタスクホースが組まれていたんです。多分その活動を中心にしてやっていくというセクションが必要になったのだと思います。

能登原
それはやっぱりメインフレームからオープン系に移ってきた時期でしょう。
どこの会社でもだいたい同じ問題が起っていましたよ。

工藤
そうかもしれませんね。メインフレームオンリーの時期からだんだん分散化しましたから。ダウンサイジングで分散システムに行く中で運用管理が難しくなりました。障害対応やネットワークの部分が重くなってきたんです。障害がすごく多く出て、「何でこんなに障害が多いんだ」とかなり親会社から責められた時期がありましたね。

当時はまだアプリケーションの維持管理部隊も同じ会社の中にいたので、情報通信部と一緒に障害を半分にする目標を立てて安定稼動に取り組みました。いろいろやって、あっという間に半分になりましたね。

能登原
すばらしい(笑)。これは本当に全国的な問題だったような気がしますね。私もある会社の情報システム部門にいて同じ経験をしました。その頃から2000年対応も始まっていませんでしたか?

工藤
2000年対応は、私が99年の4月に復帰したあたりからだったかな? いや、まだホストチームにいる頃だったと思うので、産休前だったかもしれないです。ユーティリティーとか開発系の標準サブルーチンみたいなのとか、日付の変換ツールとかいろいろあって、そういうのを全部2000年対応にしていました。

能登原
あれは基本から直して最後にアプリケーションなんですよね。だからメインフレームが最初で、OSから順番にやっていかなきゃいけない。

このへんになってくると、技術的な変動期とも重なって、会社の組織も工藤さんの仕事の中味もずいぶん変化したんじゃないでしょうか。

工藤
いろいろ、そのあたりからすごく流れが速くなっていった感じがありますね。
入社してから安定稼動3カ年が叫ばれるくらいまでは、けっこう時間がゆったり流れている感じがあったのですが、それが叫ばれてから会社の中も年単位とか半年単位でいろいろなものが見直されたりとか、組織の括りがいろいろ変えられてみたりとか、会社としても試行錯誤段階に入っていったという感じでした。

能登原
ダイナミックな変化の時期に入ったんですね。

工藤
そうですね。情報システム部門の苦悩が始まった(笑)みたいな感じですか。

能登原
それって、東京ガスさんを取り巻く環境変化の影響もあるんでしょうか。

工藤
まずひとつは、97年の1月にCISという東京ガスの情報管理系で一番大きいシステムが再構築されたんですよ。20年くらいずっと使っていたシステムを新しくオープン系に対応したものに変えるというので、新CISが動き始めたんですけど、そのプロジェクトがたいへんで…

能登原
CISは何の略ですか。

工藤
カスタマー・インフォメーション・システムです。お客さま情報が入っているデータベースがあって、当然それは料金の情報とかも全部リンクさせているし、請求やお客様センターとの問合せのシステムなど全部を含みます。

そのシステム構築費用が予算をオーバーし、しかもカットオーバー当初、トラブルが続くという状況で…東京ガス本体で情報通信部の仕事のやり方に対しての見方が厳しくなってきたようです。

そうした中でオープン系の波もあってトラブルは増えるし、何とかユーザー部門の信頼を回復していかないといけない事態になったんです。「情報通信コストはすごくかかってるのに、効果が見えにくい」という評価を情報通信部が受けつつあって、そういう空気が非常に濃くなって行った。

うちが分社した経緯も、結局「情報通信コストがかかり過ぎだからコスト削減をするために、分離会計をしなきゃいけない」ということだったようですね。一体、本当のところは東京ガスのシステムを維持管理していくのにどのくらいのお金がかかるのか、しっかり把握しなきゃいけないというのがまずあったし、単純に「お金かかりすぎでしょ?」といわれたわけですね。きちんと運用の部分を分離させてコストを管理して削減をしましょうよ、と。

能登原
その流れで、工藤さん達のプロジェクトまでがつながるんですね

工藤
そうです。だから当社を分社化する時は、どうやってコスト削減するかというところまで経営にある程度約束してスタートしています。労働集約的で外のアウトソーサーを使った方が安くできる仕事はアウトソースします、そして今その仕事をしている社員は管理とか上流の仕事にシフトをして付加価値の高いサービスを提供できるような体制にし、しかも低コストにしますというような約束で分社したわけです。おそらく運用だけでなく構築も含めたIT推進体制をどうするかという議論は、東京ガスの中ではまだ続いているのだろうと思いますけどね。

能登原
その一連の流れの中にあるということですね。

子どもを抱えながら働き続けるためのモデルと戦略

能登原
大きな変化の中にあって、しかも時間の流れが速くなってきている。その時に工藤さんは、自分はこれからどうやっていくべきかを考えられたと思うんですよ。そのあたりはいかがでしょう。

工藤
まずホストチームを離れた段階で、自分の先行きが一瞬見えなくなったのは確かなんです。どうしようかなって。子どもを二人抱えていて、まだ小さくて、どうしても仕事にだけのめり込んでいけない時期ですから。仕事に集中的に自分のパワーを割いていくことができない状況の中で、今までやっていたものだったら何とかできたかもしれないけれどそれも外れてしまったんで、新しいものを探しつつ、しかも力もセーブしつつ何かしていかないといけない。

多分99年の7月に企画的なセクションに移った直後くらいから2001年くらいまでの間は、「とにかく何でもいいからニーズがあるものに応えよう」という感じでしたね。自分としては。

能登原
何でもいいからニーズに応える…?

工藤
つまり、子どもを抱えてスピードダウンして走っている状況の中で、会社にとって重荷になってはいけないと思ったんです。重荷になっては自分も続かないし、これから子どもを産んで仕事をする後の人も続かなくなる。だから重荷にならずに、今のセーブしている自分の状況でも何らかの貢献が出来て、会社から「あなたには、いてもらう価値がある」って思われればそれでいいやって。

能登原
その発想はすごいですね。

工藤
そうですか?私としては自然だったんですよ。全部やろうと思ったってできないし、だけど仕事をずっと続けて行くつもりはあるわけです。そしたらやっぱり「子どもがいると使えないよね」って言われたくないじゃないですか。だからといって無理もできない。今は何でもいい、隙間みたいな仕事でもいいし、とにかく何らかのかたちで貢献していることが認められる仕事をしようっていうのが自分で見つけた折衷点だったんです。

とにかく今は完走っていう目標だけのために、あえてこれがしたいという希望や意思は持たない。でも、ちゃんとその組織に存在し続ける位置っていうのはキープするっていうか。

能登原
それは大人の発想です。

工藤
でも私は本当にそれしかないと思ったんです。母が看護婦だったので、私は生後2か月から保育所で育って、母はずっと3交代勤務をし、父と近所の人の協力を得ながら私と妹を育ててきたんです。だから私にとっては働き続けるということがあたり前なんです。私にとってのあたり前は、結婚もし働きながら子どもを育てて、仕事も最後まで全うするということなので。自分は母とは違う職業を選んだけれど、その中でそれをどう実現していくかという、そういう思考なんですよね。

能登原
お母様が働き続ける先輩のモデルとして機能していらしたんですね。工藤さんにとって専業主婦は当たり前ではなかった。

工藤
そうですね。考えもしなかったです。

能登原
でもサービス部門には、女性もけっこういらっしゃいますよね。割とみんな仕事を任せてもらっているという感じがします。

工藤
けっこう女性の方がパワーがあったりするんですよね(笑)。

能登原
今回一緒にやらせていただいて、割とボンと仕事を任されてやられている女性に多く接したので、それはやっぱり会社の方針があったんじゃないかと思ったのですが。

工藤
いや、方針はないですね(笑)。ただ、当社は男女の性別ということに対しては非常にニュートラルです。情報業界は比較的そうなのかもしれないですけど。それは情報通信部の文化で特にいいものかもしれない。

能登原
私もそのニュートラルさは感じますよ。

工藤
「できる人には任せよう」というのに性別は関係ないですよね。だから私はそこに対しては肩肘を張る必要がなかったし、ずっと入社した時から「ちゃんとやっていればちゃんと認められる」と思っていました。

能登原
その点に関して、信頼感があったわけですね。

工藤
私はありましたね。だから腐る必要もないし、逆にきちんとやらなきゃという気持ちもありますよね。
それに私は母が看護婦だったおかげで悩みが少ないと思います。保育所に子どもを預けることに対しても、何の罪悪感もないですから。私自身が生後2か月からそういうふうに育って今の自分があるから、保育園に預けても何の問題もないと思っているわけです。だけどずっと専業主婦のお母さんに大事に育てられて、じゃあ自分がいざ子どもを預けようと思ったらものすごい罪悪感に駆られるというのはよく聞く話ですが、そうだろうなって。私は全然そういうのはないですからその分、得ですよね。だけど、そうじゃない人はそういうところでもいちいち立ち止まっちゃうだろうし、悩んじゃうだろうし。

私はアイネットという前身の会社の4期入社なんです。ですから比較的最初のほうの入社で、結婚して子どもを産んでずっと仕事している例としてはたぶん最初なんですね。私の前に1、2、3期生がいて辞めずに続いている女性の先輩もいるんですけど、私より結婚も子どもも後だった人がほとんどです。

しかもある程度きちんと会社に評価を頂いているので、たまたま私が女性の中では職級的にも一番上の方なんです。そうすると私の後輩には私をモデルにしている人もいるかもしれないと思うんですよね。

能登原
そうでしょうね。

工藤
私自身も「先に行く者の使命」と言うと大袈裟だけれど、そういうものを少しは感じているんです。だから無理をしちゃいけない。私が無理をし、「無理をするのが当たり前」ってなっちゃうと、後の人は続かない。私は私で無理をしないで、だけどちゃんとやるというスタンスで進んでいくしかない、ということになるわけです。

能登原
一緒にプロジェクトをやっていた時に思ったんですけど、お子さんがいるだけにタイムマネジメントというか、この時間を集中してやるとか、優先順位を上手くつけるとかの工夫をちゃんとやらないとなかなかうまくいかないでしょ。工藤さんにそれをぜひ聞こうと思っていたんです。

工藤
とにかく時間は限られているじゃないですか。そういう意味では、当社の他の女性も時間中に集中してますよ、みんな。

時間的な制約がないと、まあ残業時間でカバーしちゃえばいいみたいなこともあるでしょうけれど、子持ち女性は保育所へお迎えに行く時間と戦っているので、集中してみんなやってますね。

能登原
工藤さんは時間の使い方が上手ですよ。はたから見ていると。

工藤
やっぱりそれでも持ち帰っちゃったりすることもありますけどね。

能登原
それは当然あると思いますよ。

工藤
基本的にはやっぱり9時−5時を基本に仕事を組み立てないと、はみ出た分は持って帰らなきゃいけないから、いやじゃないですか。土日に出たりとかしなきゃいけないし。

能登原
家に帰ったら育児が待っているわけですからね。

工藤
そうなんですよ。寝かしつけてからじゃないと持って帰った仕事はできないですから。土日も家にいたら日中はとても仕事ができる状況ではないし。

能登原
とても段取り力がつきますよね。

工藤
それでもやっぱりもっと上手くやらないといけないと思っています。自分が一担当者でやっていた時と、マネジャという立場ではまた違います。自分で仕事をしていた時よりも、よりタイムスライスが短くなっていくんですよね。

自分で仕事をしていた時は、例えば半日単位とか、午後を2つに分けるくらいのタイムスパンでよかったんです。今日の午後はこの資料を作るとか、今日の午前中はこの会議に出るとかって。で、あの資料はいつまでだからこことここの時間で作ればいいとか、そういうレベルでよかったのが、マネジャになると資料のチェックとかそういうのがガンガン入ってくる。もう5分単位とか10分単位とかでどんどん頭を切り替えていかなければいけないシチュエーションなどが増えてきて、最初はもう本当にどうしてよいか解らず戸惑いました。最近は少し慣れてきましたが、でもまだまだですね。

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