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2005年2月10日

工藤 千温さん(3)
株式会社ティージー・アイティサービス
計画部 戦略企画G グループマネージャー

工藤 千温さん工藤 千温さん
株式会社ティージー・アイティサービス
計画部 戦略企画G グループマネージャー
大学では小学校教員養成課程に在籍するものの、1991年株式会社ティージー情報ネットワークに入社。新人SEとして一から教育を受け、メインフレーム周辺基盤の維持管理業務を担当する。2度の産休後、1999年から運用用務の企画および全体調整業務に異動。2002年サポートセンターでリーダー職に。同年7月、サポートセンターを含む運用サービス部門が株式会社ティージー・アイティサービスとして分社化され、コールサポート業務アウトソーシング実施プロジェクトリーダーに。2003年上記プロジェクト完了と同時に現職となる。

部下のためにも、このプロジェクトに「乗る」と決めた

工藤千温さん

能登原
工藤さんは2年前の4月からマネジャになられたんでしたよね。

工藤
そのときはまだマネジャじゃなくて、上にマネジャがいるリーダーの立場です。そのとき初めて5人の部下を持ちました。

能登原
部下を持って、仕事に対する意識はどのように変わりましたか?

工藤
リーダーになった時は、私自身のテンションが上がりました。サポートセンターに配属になったというのも初めてだし、リーダーという立場に就いたのも初めてだったので。それで、サポートセンターに入ってまず感じたのが、いろいろな問題があるけれど、それをどうにもできずに抱えたまま日々の業務を回しているという印象だったのです。サポートセンターは「電話を取って答える」というある意味労働集約的な仕事なので、目の前のことにみんな追われているんですよ。この時はまだOS(アウトソーシング)の話は全く知らなかったけれど「黙って問題を抱えていないで解決しないといけない」とすごく思いました。そうしないと部下の5人もかわいそうだし、サポートセンターもよくならない。

この5人は社員で、あとは協力会社から20人くらい、延べで30人くらいメンバーがいたんです。その人たちの一番上という感じの立場でした。5人の社員と協力会社のその他大勢という構図です。

能登原
実質は20〜30人のリーダーになったという感じですか。

工藤
まあ、そうですね。ただ協力会社の方は実務レベルできちんとリーダーの方がいて、その人たちが回していくので、基本的にはそのリーダーの方とコンタクトを取れば実務そのものは問題なかった。

なにより問題だったのが、うちの社員5人が協力会社の人の指示で仕事をしているような状況だったことです。協力会社の人のほうが業務経験が長いですから、もちろん同じ仕事をしていれば当然そういう構図になります。でも「社員なのにこれじゃまずいよ」とまず思いました。その5人も自分たちのキャリアパスをちゃんと描けずにいて、ずっとこの仕事をやるくらいのイメージしか持っていないように見えました。それはよくないなと強く思いましたね。

そこでサポートセンターの中でもスーパーバイザー的な仕事に社員を当てていきたいと考えて、「そういう方向でやっていくよ」と、メンバーに話をしました。5人をちゃんと社員らしい立場に引っ張り上げていきたいと思ったんです。

能登原
5人の社員の方の年齢と性別は?

工藤
男性が2人と女性が3人、年齢は私よりも4つくらい下ですか。もっと下の人もいましたね。10歳くらい下の人もいました。入社3年くらいの。

能登原
それでは部下の方たちもキャリアについての悩みや迷いが出てくる時期ですよね。リーダーとして、どう部下を引っ張っていこうとか、リーダーシップを発揮しようと思われましたか。

工藤
テンションは上がっていましたが(笑)、そんなにリーダーとして肩肘を張ったような感じではなかったです。ただこの5人が若いメンバーで、私自身が経験してきた仕事にくらべると低いレベルのところで立ち止まっている感じだったので、その時の自分なら引上げることができると思ったんです。やっぱり上に立つ人間とその下にいる人間ってある程度「差」が必要で、上の人間の持っている知識や能力の「天井」が高くないと下の人間が上がって来られないじゃないですか。幸い私と部下の間には差があって、「まだ私の教えられることがたくさんある」という状況だったのです。それをまずひとつひとつやろうと。

能登原
なるほど。でもその4か月後には分社して、例のコールセンターサポート業務が始まるんですよね。

工藤
4月にリーダーになった時には、既に分社の話は囁かれていたというか、もう決まっていたということです。でも分社の意味については全く知らなかったわけです。その後にOSが待っているとか、そういうのは全然知らなくて、「会社が分かれるのであれば、うちは運用だから、運用側の会社に行くことになるんだろう。」というくらいの受け止め方だったんですね。それで、7月に分社した時もまだ「会社の名前が今日から変わるので、みんな電話出る時には気を付けて。」と、そんな感じだったんです。

能登原
要するに、ほんとうに現場なんですね。

工藤
8月くらいになると、私も業務のことが大体わかってきて、現状の問題点も見えてきて、今後の方向性をそろそろ打ち出さないといけないな、という時期だったんです。現場のことがよくわかったので、この先、どうするのか方針をきちんと出して、部下や協力会社の人たちに対して明らかにしていきたいと思っていました。

その頃に私の知らないところでOSの準備が着々と進んでいました。企画セクションでは分社した時からOSすると決まっていて、どう進めるかを検討する段階に進んでいたわけです。

ちょうど「OSを検討するためのタスクホースを立ち上げます」という企画が経営会議にかけられるその前に、当時の運用の部長から、「企画部門がOSすると言っている。コールセンターサポートもその対象に入っている。企画部門がいろんなことを言い出す前に、言いたいことがあるならちゃんと言っておいた方がいいぞ」と言われました。
そのとき私は、なるほどと思いました。

能登原
というと?

工藤
私はOSをするっていうのは悪い話じゃないと思ったんですよ。社員5人をこの業務に塩漬けにしておいてもしょうがないし、OSするという話に私は直感的に「乗った!」と。

5人はたぶんもっと複雑な心境だったと思います。ずっとこの仕事をしていましたからね。でも私はポッと出のリーダーなので、あまり未練はない。積み重ねたしがらみみたいなものもないし、協力会社との関係もまだ3か月程度のものだし、この先のことを考えたらこのOS案に「乗りだな」と思いました。それで、「どうせ乗るんならやっぱり現場であるこちらが進めていく話じゃないとうまくできないだろう」と思ったので、その時に私は私なりの企画書を書いたんです。

能登原
OSについての企画書を書かれた。

工藤
ええ。業務を全部図に描いて「いまコールセンターではこんな業務をやっています。でも日々の電話取りだけに追われて、本来サポートセンターとしてすべき、その後の分析をして、例えば開発工程にフィードバックするとか、改善策を考えて提案するとか、本来社員として担保していかなきゃいけない付加価値の高い仕事は、いま何もできてないんですよ」という状況をまず書いた。そして「だから、この部分をOSする一方、この部分には社員を傾注することでOSを考えたい」と続けたんです。OSをやっていく中で、同時にサポートセンターがいろいろ抱えている問題を解決していきたい。社員5人をとにかく電話取りから外したいというような内容の企画書を書いたんです。

それが、ちょうど企画部門が経営会議に出すと言っていたのと同じタイミングでした。その際、企画部門から「ふたつ企画書を出してもしょうがないから、そちらの書いたのをちょっと見せて説明してくれる?」と言われたんです。そこで私が「基本的に私はOS化に『乗り』です」という話をしたら、じゃあもうこれは一本化しようということで資料を慌てて一本化して経営会議に出したんです。

ですから、もうその企画書を書いた時から、コールサポートは私にやらせようと企画側は思っていたのでしょうね。

能登原
企画部門からすれば渡りに舟ですよね。

工藤
まあ、そうでしょうね。最初「現場にはそういうことを主導してくれるような人はいない」と企画部門は思っていたんですよ。それなのに現場から企画書が出てきたので驚いたという感じだったようですね。コールサポートは私にやらせようということで早々に決まったのですが、他のところは人選を苦労したみたいです。

能登原
運用の部長からのサジェスチョンも絶妙のタイミングでしたね。

工藤
部長としては、企画部門が分社以降あまりに勢いよく進もうとしていることを危惧していたところがあったらしいです。

能登原
多分それはありますよね。普通はあって当然だと思います。一方、工藤さんにはあまり悩みがなかったことがわかりました。

工藤
私はその業務に携わった期間が浅かったので、「もうこんなに問題を抱えているのだから、やるしかない」って直感的に思ったんですよ。だけど他の業務は、みんなその業務を10年とかやってきた人たちですから。OSするってことは、自分の身を切るような思いだったと思います。みんな自分が今まで慣れ親しんだ仕事を否定されるような感じがあったでしょうから。そういう意味では他のリーダたちのほうが悩みが深かったし迷いもあったと思います。

能登原
私も他のOSのリーダーの皆さんと一緒にプロジェクト計画書を作りましたから、それは感じましたね。

プロジェクト・メンバーの人選の理由

能登原
そこで正式に工藤さんがプロジェクトの担当者になったわけですが。

工藤
部下5人の中から2人を選んでプロジェクトのメンバーにしたんですね。そして、残りの3人でラインを回しました。並行してライン業務があり、そちらを止めるわけにはいかないから3人にラインを任せて、2人をプロジェクトに入れたんです。

社員5人のうち2人が男性で3人女性なんですが、サポートセンター員としての経験が厚いメンバーをラインに残し、比較的経験の浅い2人をプロジェクトに入れたんですね。女性3人がライン、男性2人プロジェクトという構図になりました。

能登原
即戦力として使えるほうの女性はプロジェクトには入れなかった。

工藤
ええ。女性3人のうち、一番上の人が「どうして私たちじゃなかったんですか」と後で聞いてきましたが、私は「プロジェクトの方に自分がかかりきりになるから、安心して任せられる人を現場に残したかった」と説明して、それで納得してもらいました。まあ、正直なところそうなのです。現場の方にほとんど構っていられなくなるので、現場は現場できちんと協力体制を組んで回してくれるとか、私がプロジェクトの仕事の一部を現場に切り出して投げるようなことがあってもきちんとそれを受けてくれるとか、それができないと困ると思ったので、現場戦力の中心である3人を残しておけば大丈夫だと思ったんです。

プロジェクトに入れた2人はもうプロジェクト経験は全くありませんでしたから、一緒にやらないといけないっていう感じだったのですが、男性だし、今後の期待もありますし、納期に追われる仕事をちゃんと経験して、次のステップにつなげてほしいな、という気持ちでした。

能登原
私も打ち合わせで何度かお会いしています。

工藤
頼りないところもある2人だったのですが、頑張ってやっていました。特に若い方の1人が目覚ましく伸びました。リーダーの私が忙しくてなかなか席にいなかったりして、途中から「自分がやらなきゃしょうがない」って思ったみたいで、ぐっぐっぐっ、てかなり伸びました。

能登原
ラインの3人はどうでした。抜擢されなかったことに腐ったりせずにきちんと回してくれましたか?

工藤
そうですね。私が女性だったおかげもあるのかもしれませんが、その3人が私に対してきちんと信頼感を持ってくれているという良い関係を最初の3か月で築けた感覚があったのです。

というのは、私は会社の動きとか、いま起こっていることの意味や背景とかを、知っている限り部下5人に話して聞かせていました。それはすごく大事なことだと思ったので。その5人は残念なことにそれまであまりそういう経験がなかったようです。だから言われたことをやっているだけとか、置かれた状況で何とかしているだけになってしまう。5人とも、全体の中で自分がどういう位置付けで何を担っているのかを考える機会が与えられていないという感じを受けました。

だからOSについても「何でこんなことになっているのか」と、私の言葉で背景からきちんと話したんですよ。彼らにすれば、「どうして自分たちが一生懸命やってきた仕事を外に出さなきゃいけないのか」という不安もある中で、たぶん私の言葉をちゃんと聞いて理解してくれて、「辛いけどしょうがないな」と思ってくれた。まあ、そこに尽きると思います。

現場の3人には「私はこれからプロジェクトにかかる時間が長くなっていくから、現場の方にはもう入れなくなる。だからあなたたちはもう電話を取らなくていいから、今まで管理職の人がやればいいと思っていた仕事をあなたたち自身がやるんだよ」という話をしました。そういうかたちで彼女たちの地位を現場の中で引上げたのです。

能登原
初めてのリーダーにして、絶妙な人の配置ですね。その後のプロジェクトもいろいろ問題が発生したじゃないですか。でもおおよそのところは工藤さん自身が考えて、うまく対応されていましたよ。

工藤
そうですね。私は今までずっと仕事をする中で、自分の意思で動くことが大事だと考えてきました。自分が部下の立場のときも、ただ「上が決めたことだから仕方ない」と考えるのも、そういう形で指示が下りてくるのも嫌だったんです。だって、そういうふうな落とされ方をしても納得できないじゃないですか。だから私は部下に対してそういうことはしたくなかった。自分が納得できないことをそのまま自分より下の人にやらせるなんて、もう絶対ダメ(笑)って思っていたので。

逆に、自分が納得したらいくらでも説得できるという自信はありました。だってわかるまで話せばいいんですもの。自分の言葉で。自分がわかっているのですから。OSをしなきゃいけない理由もそうでした。私は最初から「乗り」だと思ったから(笑)、納得してて、迷いがないわけですよ。だからメンバーにも話しやすかったし、ちゃんと話すことができたわけです。

能登原
あのとき、工藤さんもそうですが、OSプロジェクトのリーダーはみな、もともとのラインの上司はそのままいた状態でプロジェクトに入ったんですね。だからプロジェクトマネジャと元のラインの上司と2つの意思決定ルートができてしまって、指示系統が明確じゃなかった。本当はプロジェクトに入ったら、プロジェクトを優先すべきなんですが、ラインの長に遠慮して上手くいってないプロジェクトも結構あるんです。これって、実にありがちなんですよ(笑)。

工藤さんのときもプロジェクトにしたことによって、ラインとの関係で権限とか、意思決定のルートが2つになって難しい状況ではありましたね。そうするとやっぱりリーダーが自分で考えて、この話はこういうことだし、こっちはラインの問題だからって、ちゃんと切り分けて説明できるようになっていないと上手く行かないんです。

工藤
私のところも、まあいろいろありましたが、基本的にはもう私が決めていた感じでしたし、プロジェクトが始まる寸前にマネジャが交替して、ラインもプロジェクトも合わせて責任を持てるようになりました。

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