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2006年7月10日

細川 努さん(1)
株式会社日本総合研究所 次世代カードシステム事業本部

細川努さん細川 努さん
株式会社日本総合研究所
次世代カードシステム事業本部
1964年中央大学法学部法律学科卒業(株)日本総合研究所において流通系・金融系システムの構築に携わる傍ら、現場においてもオブジェクト指向、データモデリング等の開発手法の普及や、アーキテクチャ設計等の確立に努めてきた。
最近は、稚内北星学園大学東京サテライト校にて客員教授として、学生にシステムアーキテクチャ論を教えている。技術士(情報工学)、システムアナリスト、システム監査技術者。

法学部出身がいきなりSEに
負けず嫌いを梃子に奮闘

細川努さん

能登原
私が細川さんに最初にお会いしたのは、97年か98年くらい、ERwinユーザー会だったと思います。そのころ、僕はオブジェクト指向については、ちょっと懐疑的なところもあったんですが、ERwinユーザー会で細川さんにレクチャーしていただいたんですよ。J2EFの話とか、細かいところもその集まりでだいたい細川さんのお話からだいぶん勉強させてもらいました。

私は本を読むのも好きなんですけど、耳学問を非常に大切にしています。噛み砕いて説明してくれるところに、思いとか本質が隠れているような気がします。「実は、やってみたらこうだったよ」とか、ああいう集まりでは本音で語り合えますしね。その時に、「どうして細川さんって、いろいろなことをよく知っているのだろう」と思った記憶があります。

細川
いえいえ。何をおっしゃいます(笑)。

能登原
その細川さんの原点というか、どうやって成長してきたのか、私も知りたいですし。そういう趣旨で今日は対談させていただこうと思います。

細川
かしこまりました。よろしくお願いいたします。ちょっと緊張してしまいますね。

能登原
いやいや、もういつも通り、好きなことを言っていただければ大丈夫です。

細川
私自身の経歴からお話しすればいいですか。

能登原
はい。細川さんのご経歴はちょっと変わっていて、法学部を出られているんですよね。

細川
もともとはコンピュータではなくて法務をやりたかったんです。入社したときも法律をやるつもりでいたんですけど、「まずはコンピュータのことを知らないといけないよね」という感じで配属されて。当時はまだSEという言葉が輝いていた時代でして…

能登原
はい、まだ輝いていましたね(笑)

細川
そうしたら「いや、君はもうSEだから」と言われて。「ああ、そうですか」って(笑)。
コンピュータのことは全然分からないのに。

能登原
それでいきなりSEになってしまったんですか?

細川努さん

細川
ちょうどその時は、その前の大きなプロジェクトが落ち着いて、もうそれが保守フェーズで安定稼働をさせていけばいいという状況であまり仕事がなかったんですよ。その中で、情報学科出身の人は新人でも達者にやっていたけれど、私は全然分からなかったんですよね。悔しくて、当時、日立のメインフレームのマニュアルがセンターにドンと置いてあったので、暇な時に一生懸命に読んでいるうちに、ある程度コンピュータの基礎は分かってきた。情報処理試験なんかもかろうじて受かり始めて、「あ、俺ってコンピュータのこと、分かっちゃうかも知れない」(笑)と、調子に乗ったわけなんですよね。
それから、法務からはお声掛かりのないままにSEを数年続けていました。

能登原
その時に実務で担当したのは日立のメインフレームですか。

細川
ええ、それから次の仕事ではIBMのメインフレームを使いました。で、「日立からIBMに移るって大変かなって思ったら、たいしたことないじゃん、これって」って、ここでも調子に乗っちゃってですね。それからメインフレームで業務系の、いわゆる当時のピカピカのSEを目指そうと思っていたんです。「お客さんの言うことはよく分かります」「システムのことはどんどんお任せ下さい」みたいな感じで考えていたんですけれども、それをずっとやっていたら、20代後半になってメインフレームがだんだんお呼びでなくなってきたんです。

能登原
そう、ダウンサイジングの時代になりましたね。

細川
そういう事態になって、「あなたは業務しか知らなく技術はダメだから…」というふうになった時に悔しくて「何で新人の時、メインフレームをやったのか」というような感じになったんです。それでオープンのほうに行きました。仕事はメインフレームだったんですけど、たまたま自分の席の近くにUNIXなんかが置いてあって。それで自分でCのプログラム作ったりしました。

能登原
それはもう仕事と関係なく?

細川
ええ、それは空き時間に。主に時間外を使ってやっていました。でも、それが生かされることなく、30歳少し前に急遽、大阪のほうに1年くらい助っ人に行かされちゃったんです。

能登原
それもまたメインフレーム関係の仕事ですか。

細川
ええ。業務がもともとは流通系で販売在庫管理などだったんですけども、その時に、今やっているような、クレジット関係、金融関係の仕事をしました。

能登原
金融関係の仕事というのは、細川さんは昔に一度やられていたんですね。

細川
ええ、一度やっていたんですよ。当時大阪に行ったら、かなり忙しい状況でした(笑)。それまでも残業が多い月はあったんですけれどね、さすがに土日なし、夜の2時、3時がずっと続く。そんなデスマーチ状態を一年間経験しました。そういう状況で、プロジェクトの進め方ですとか、標準化とか含めて良いところ、悪いところをたくさん学びました、それも一つ財産になったかなと。

能登原
まあね、経験したから分かることって、ありますよね。

細川
そうですね。その時もプロジェクトの組み方も含めてかなり工夫はしていたんです。いわゆる要件定義から詳細設計までじっくり時間をかけても、全体的なつじつまがきっちりしていないこともある。そうすると、各機能の関係がどんどん崩れ始めて、それをテストでリカバリーするってすごい大変だということを経験しました。具体的には同じようなデータをあちこちで持ったり、データ間での整合性が取れていないものがあったり。じゃあ、なんとか正しくしようかとしても、巨大なシステムでは生半可なことじゃ直らないです。

能登原
しかもこっちを直すと、別のところにエラーが出ますからね。その大阪の時のプロジェクトはそういう蛸壷化がすごかったと。

細川
いや、ものすごかった(笑)。全体が見えている人なんて、本当に一握りで。
どちらかと言うとそこら辺まではメインフレームを中心とした業務系だったんです。その後、帰って来て以降はオープン系をやったんですよ。

能登原
それはUNIXですか。

細川
UNIXを使ったりPCを使ったりですね。それでも最初からやっていた人と比べるとスタートが遅かった。そこで、「え、俺って出来たはずなのに」と思って、ちょっと頑張って。

能登原
また頑張ったんですね(笑)。

細川
ええ、それで技術的にはメインフレームのことでもオープン系のことでも一通り分かるようになったというところです。ただデスマーチプロジェクトを経験してくると、方法論とか、そもそも要件定義からどういうふうに段取りを取ってシステムを作ったらいいかというあたりで「何が正しいんだろう?」と思うわけです。自分としては一個一個のプロジェクトをやってもなかなか納得出来なかった。当時まだERwinを使っていた人はいなかったし、ましてや設計手法についても、データ中心アプローチならまだしも、オブジェクト指向なんてまだ実際のプロジェクトでの実例が少なかった。そういうところに対して興味を持ったり、実際のプロジェクトで設計手法やツールを活用し始めたりとかしていたのが、だいたい今を遡ること10年くらい前のことです。
結局、私はあまり安住することなくあれやこれやと流浪の民をやってきたのかなと。

蛸壺プロジェクトのつらい経験から
横串的組織での社内共有化を図る

細川努さん

能登原
実は細川さんは、日本総研さんの中でも最初から横串の業務支援とか技術支援チームみたいなところにいらっしゃったのかと思っていました。

細川
それはここ7、8年くらいですね。新しい技術の必要性を社内でいろいろ問うたり、社内でどんどんデータモデルを収集して、設計モデルの蓄積をはかったり。そんなことを最初は現場の部門でやっていましたが、そのうちに本社部門としてやるようになっていきました。

能登原
ERwinユーザー会でお会いする前に、データモデルをやり始めたきっかけが何かあったのですか。

細川
最初はやはり椿さんの本あたりから始めて、あとはIDEF1Xの松本さんの本やアメリカの本を読みましたね。昔経験した巨大プロジェクトではデータの重複や整合性の問題で苦労したという経験があったので、やっぱりデータの大事さというのが身に染みていたんです。

能登原
上手くいかないから、そこを何とかしなければいけないという方向から入って行ったんですね。

細川
ええ。その頃からオブジェクト指向もやっていたんですけど、私にとっては、オブジェクト指向もDOAも手段の違いであって、ちゃんとしたシステムを作るというのが本来の目的と考えていました。結構、同じようなところもありますしね。

能登原
そう、手段なんですよ。

細川
ラッキーだったのは、わりと若手に恵まれていたことです。フレッシュでやる気があって、もうブレーキかける必要があるくらいどんどんいっちゃう。そういう連中が、周りに今もいます。人との出会いというのには、非常に恵まれていたのかなと。

能登原
たぶん、そういうのをやりたいと、細川さんが粘り強く要望は出したと思うんですけど、引き上げてくれた上司はいたんですか。

細川
ええ、上司にも恵まれていました。かなりご迷惑をかけましたけどね。わがままをいろいろ聞いて下さって。

能登原
そういう部署ができて、細川さんのために若手を入れてくれたみたいなことがあるのでしょうか。

細川
そうですね。お陰様でそういう動きはうちの中で定着し、今もある程度、横断的に活躍しているのがそのころの若手です。

能登原
その時の部署が「事業化技術センター」ですね。そちらの組織でプロジェクトの経験を生かして横串的にガーッとやられた。

細川
まあ、横串を作るのはいいんですけど、なかなか入らせてもらえないんです。困った時に助けてあげるような形で入るしかない。動かないシステムを動かすような技術的に難易度が高いところにちょっと入るとか、設計もやってあげるとか、そういう何でも屋みたいな感じでずっと来て、やっと困ったら呼んでもらえるようになったんですよ。

能登原
でも、設計の時に「方法論をこうするべきだ」とか、DOAでやるんだったら「ケースツールはこういうのを使ったほうがいいよ」とかノウハウがあるじゃないですか。最初の計画時にもけっこう呼ばれて、あるいはツールの選定の際にも呼ばれたりするんじゃないですか。

細川
いや、なかなかそれが(笑)。最初は呼んでもらえないです。みんな一から自分でやってみたいんですよ。それに他人が使っているものを使いたくないんです。こちらが「○○がいい」と言っても別のものを使ったりとか。

能登原
なるほど、それで最初からは難しいんですね。

細川
で、そのあと、やっぱり困る事態になるじゃないですか。「最初から言うことを聞いときゃよかった」ということになる。そういうことを2~3回繰り返すと、少しずつ仲良くなってくるんですよ。
でも、何か現場に浸透させようとしても、簡単にはできませんよね。たとえば設計ツールを現場で普及させようとしても、なかなか使い方を覚えてもらって実際のプロジェクトで利用してもらうまで2~3年かかったこともありました。

能登原
そうですね。定着化は難しいですね。

細川努さん

細川
ええ、そうなんです。一例を挙げるとですね、アメリカの南北戦争の頃には「後込め銃」と「先込め銃」があったんですよ。ちょうど日本の明治維新の頃です。先込め銃は、発射するたびにいちいち火薬と弾を詰め変えるのです。それに比べて、後込め銃は今の鉄砲と同じで、弾を詰め替えたらすぐ撃てるので圧倒的に効率的なんです。でも南北戦争の頃って、古参兵が先込め銃をずっと使ってきたのでなかなか新しい銃を使いたがらない。古参兵は新兵さんにも先込め銃を使うように教える。

そうすると、何年経っても、旧式の銃を使いたがるんですね。やっぱり現場、戦っている場所でそんなに武器なんて替えられない。それも南軍が負けたひとつの要因だったみたいですね。

能登原
北軍が後込め銃を使っていたから北軍が勝った?

細川
ええ。戦争は良いたとえではないと思いますが、我々の仕事でも、なかなか新しいことを受け入れづらい局面が多く存在します。こうした障壁をうまく取り除きながら、現場においても良い事を積極的に取り入れて進化させることにはどうしたらいいかなと悩んでいます。それはいまだもって、大きな課題ですね。たぶんそれって、もの作りの現場であれば少なからず同じようなことがいえるのではないでしょうか。

能登原
一緒です。改善し革新し続けるという文化を作るのは難しいですよね。特にどの部分が大変でしたか?

細川
そうですね。何か未経験のものを使う際の「踏ん切り」と言うか。どのプロジェクトでも、使ったことのないものを使うのは嫌なものですよね。

能登原
どうしても怖いですからね。

細川
それをどう説得するかが難しいです。

能登原
その部署の中では、新しい手法を使い込んで、パイロット的に実績を残した上で、「これを使ったら?」という役割もあったんですか。

細川
まあ、以前の仕事はそれが主でしたね。

能登原
そういう部隊がないと、いきなりプロジェクトで調整するわけですよ。私も以前それで失敗したので。そういう横串チームが欲しいなと思っていました。あるいはちょっと予算をもらって、1ヶ月くらいそのツールで1回簡単なやつを作ってみて、使える使えないを確認してから採用するかどうかの話をするとか。あらかじめ横串で調べてくれている人がいると、安心感はだいぶ違いますよ。

細川
そのとおりです、私自身はどちらかと言うと現場のほうに移っています。それでもやはり新しいものを使う話になるとけっこう大変です。現場において、どう新しいものを取り入れるか、またそれを定着化させるかって、結局難しいですよね。

能登原
ええ、難しくなっていますね。

細川
ちょっと話は変わりますが、難しいのは現場の中で新技術を活用していくことだけではないと思うのです。最近は、SOA、EAなど、新しい用語がどんどん出てきます。こうした概念をきちんと説明すること自体大変じゃありません?

能登原
全然できないですよ。SOAの意味を各ベンダーに聞くと、それぞれ違う。どうしても彼らはマーケティング上自分の製品に結び付けざるを得ないですからね。だからいっそう難しいのだと思います。

(続く)

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