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2006年12月22日

塚田 雅一さん(2)
株式会社キリンビジネスシステム 経営企画部

塚田雅一さん塚田 雅一(つかだ まさかず)さん
株式会社キリンビジネスシステム
経営企画部 担当部長
キリンビール株式会社入社後、システム開発部(当時)に配属。
ビール製造計画システムの開発・運用を担当。
RADツール導入においては、開発標準化、運用ルールの整備を担当。
1998年株式会社キリンビジネスシステムに出向。
主にグループ外(外販)のシステム開発プロジェクトに従事。
2003年より経営企画部門を兼務し、プロジェクト品質向上活動、SE教育企画・実施などを担当。

KBSへ出向して、再度開発現場へ

塚田雅一さん

能登原
私がこれまで対談させていただいた方たちも、まず現場を経験して、それからアーキテクト的な立場で仕事を行い、そしてもう一度現場に戻ったという例が多いですね。ある一つの仕事一筋だけではなくて、いろいろなことをやられている。それによって幅も広くなるのかなと思います。

塚田
私も同じように、そのあとまた現場に行きました。

能登原
先ほどのお話とは別の現場ですか?

塚田
ええ。ちょうど98年に、キリンビールからキリンビジネスシステム(KBS)に業務の大きな移管がありまして、システム開発と運用業務が移ることになりました。そのときに私も、今のKBSに出向することになったのです。そのときからまた、現場の仕事が始まった感じですね。

能登原
塚田さんはKBSに移ってからも、社外のシステムの仕事よりもキリンビール本体の仕事をメインでやられているのですか。

塚田
いえ、「自社の実力がグループ外でも通用するのか、証明してみよう」という話がありまして、99年からグループ外の仕事もやらせていただきました。その仕事を私が担当することになったのです。つい最近まで担当していました。

能登原
そのときの心境はいかがなものだったのでしょう。もともとキリンビールで仕事をしようと入社されて、システム部門で経験を積んでから、また他の部門にと思われていたのでしょう? それなのに出向されて、それこそぜんぜん違う社外のシステムの仕事をされているときに、どのようにお感じになられたのでしょうか。

塚田
はい、最初は確かに、システムを少し経験してから他の部署に異動したいと考えていたのですけど、もうその時点になったら、「このままシステムもいいかな」と頭を切り替え始めていました。洗脳されたのかもしれませんが(笑)。キリンビールの仕事ではなくても、KBSで仕事をするほうがもっといろいろなシステムが作れますから、逆に言うと、「チャンスかな」と思いましたね。KBSはユーザー系の情報子会社なので、考え方によってはキリングループの仕事しかしないのが普通ですけど、たまたま時流に乗って少し社外のシステムにも仕事を広げることになった。そこに選んでもらえたということはラッキーだったと思いますし、今でも自分にとってプラスになっていると思います。

能登原
出向された方々の中には「せっかくキリンに入ったのに、何で外へ」と思った方も、きっといらっしゃるでしょうね。でも、塚田さんの場合は、非常に前向きな感じで出向されたということですね。

塚田
むしろ、プレッシャーのほうが強かったです。嫌だというのではなくて、「すごいことをやることになってしまったな」というプレッシャーを感じました。

能登原
「システムの仕事が割と自分に合っているな」とか、「面白いな」と思うことがあったのですか。

塚田
いや、正直言いまして、すごくマッチしているという感覚はないですね。ただ、面白さという点では、システムは全体が見渡せるという点があります。他の部署に行くと、そこのエキスパートとして突き詰めて詳しくなりますけれど、システムをやっていると、他業務とのインターフェイスにも気を配ることになり、ある程度全体が見えてくるものがありますよね。特に私がデータ分析から上がってきた人間なので、そういう構造図を見ると、全体が見えてきます。そうすると会社全体も見えてくるので、非常に面白い、というところはありましたけれど。

能登原
データモデリングをやっていると、データ総研さんの言い方を借りれば、データモデルを業務の流れ順に並べるとか、リソースとイベントを分けるということになるので、業務もよく分かってくるのです。データモデリングを知らない人に説明しても、なかなか、そこを理解していただけないのですが。

塚田
そうですよね。自分自身は現場の教育で刷り込まれていったのですが、それがどのようなものか、他の人に言葉で伝えることは非常に難しいです。

能登原
私はよく「DOAでやったら、どれだけ生産性は上がるの?」と質問されますし、コンサルタントですから、DOAについて説明させられたりするのですけど、なかなかよい解答がみつからないのです。本当は、同時に同じ人がプロセス中心とデータ中心で同じシステムを作って比較してみないと、きちんとした差は出ない。ですから、効果を説明しにくいのです。

塚田
そうですね。DOAの開発は最初が「重い」というか、工数を必要としますから、最初のほうで生産性を見ると、プロセス中心とそんなに変わらないかもしれません。逆に保守の局面では、しっかりDOAで作っていると、改修がすごく楽になります。ですから、システム全体、ライフサイクル全体で考えて費用対効果はどうなのかという見方をしないと、DOAの効果は見えにくいと思います。

能登原
基幹システムもデータ定義をきちんとされているのでしょうね。やはり保守は楽になっているのですか。

塚田
しっかり作っているところは、楽になっていると思います。

能登原
そういうことを、ぜひ世の中に発信していただくとありがたいです。説得するのが大変ですので。

塚田
そうですよね。でも、どれだけ理解していただけるのか…。「またDOAの好きなヒトが言っているだけなんじゃないか」と言われることも、結構ありますよ。この世界の方法論やツールには、信奉的なのも結構ありますものね。それが非常に難しいところです。

外部クライアントのシステム開発で感じたプレッシャー、そして勝ち得た成果

塚田雅一さん

能登原
先ほど出向になって、キリン本体以外のシステム開発をすることにものすごくプレッシャーを感じられたというお話だったですけど、具体的にはどういうシステムを作られたのですか。

塚田
小売業さんの発注から入庫、在庫管理、会計、経理、POSを含めた店舗管理という、人事以外ほぼ全部のシステムです。そのプロジェクトに加わりました。

能登原
そのときの塚田さんの役割とか、お立場は?

塚田
私はプロジェクトリーダーでした。小売業の要の部分である発注から入庫、在庫管理がメインの担当でした。ですから、もしシステムが「こけて」しまうと、お客様が大打撃を受けます。POSは別格ですけど、その次に大事な部分を構築するチームに加わったということです。

能登原
そうしますと、キリン本体のときとは、具体的なやり取りも違うものになりますね。

塚田
ええ、全然違います。今まではモノを製造する側でしたが、今度売るほうという、ぜんぜん違うビジネススタイルでしたので、すごく勉強になりました。逆に言うと、勉強してユーザーさんに追いついていくことが非常に大変で、ご迷惑をおかけしたところもあるのではないでしょうか。

能登原
発注側で自社の開発をしていたのと、外の開発をなさったとき、一番大きく仕事の中身が変わったと感じたところはどこでしたか。
例えば、私もユーザー企業にいて、アイ・ティ・イノベーションという会社に転職しました。そのとき、私が一番仕事内容で変わったなと思ったのは、営業をしないといけなくなったことでした。例えばそういうふうに、大きな変化があって、実際にそれを克服されたこととか、また変化に直面して面白かったことはありましたか。

塚田
一番変わったのは、気持ちでしょうね。マインドの部分の変化が一番大きかったです。簡単に言ってしまうと「甘え」がなくなったというのでしょうか。グループの会社の場合、知っている人とやり取りすることが多いので、いわゆる「ツーカー」な関係が、ある程度できていました。ところが今度はまったく新しいお客様です。相手がどういう方か分からないし、お客様もかなり構えていらっしゃいます。また、当然「ちゃんとお金を払っているんだから、しっかりしたものを作ってくれるんだよね」というイメージがおありです。こちらにも「しっかりやらなければいけない」、「よい仕事をして認めてもらわなければいけない」という意識が出てきます。当然システムの作り方や段取りのしかたも、しっかりやっていかないと必ずどこかでボロが出てきてしまいますので、非常に気をつけました。

能登原
今おっしゃった段取りをつけるとか、きちんとやるというのは、技術的なDOAの話とは別に、プロジェクトのマネジメントの問題になると思います。塚田さんは、プロジェクトマネジメントについて、以前から勉強されていたのですか。

塚田
いえ、前から勉強していたというわけではありませんでした。本当に、一個一個石橋を叩いて渡るような感じで、この次に何をやらなければいけないか、それがどれぐらいかかるのか、WBSを本当にしっかりと作っていきました。「絶対失敗はできない」といいう気持ちがありましたので、プロジェクトマネジメントについては学問から入ったのではなくて、現場での危機感から入った感じですね。

能登原
まだあまり、プロジェクトマネジメントが重要だとは言われていなかった頃ですよね。

塚田
ちょうど言われ始めたぐらいでしょうか。

能登原
では、一人で何とか切り開いていかないといけなかったということですね。

塚田
ええ。実はメンバーにも、あまり経験がない要員や新入社員がいきなり加わったので、「あれをやってね」という阿吽の呼吸ができませんでした。だからなおさら、「しっかり計画を立てていかないとだめだな」という考えもありました。

能登原
ちょっと話が戻りますが、KBSという会社は、塚田さんが出向されたときにすでにあったのですか。それとも98年ぐらいに、新しく作られた情報子会社なのですか。

塚田
88年にはKBSという会社ができていましたが、そのときはシステムを開発・運用することがメインではなくて、お酒屋さんにPOSシステムを販売していくという、キリンビールの営業施策を支えるという位置づけの業務を中心におこなってきました。そこに、98年にシステム開発・運用を移管することになったのです。それからさらに、ビール業界の環境もいろいろ変わって、キリンビールやKBSのビジネス環境も変わってきた中で、99年~2001年に大きくシステム開発と運用に軸足を移していったという事情があります。

能登原
塚田さんが出向されたのは、そういう環境の変化の中でのことだったのですね。

塚田
ですから、必ずしも全員が最初からシステムで叩き上げてきたというわけではなく、いろいろな経験のメンバーで構成されています。

能登原
なるほど。新入社員には、プロパーの方もいらっしゃったのですか。

塚田
はい。1名ですけど。

能登原
そういうチームを、若い人も含めて引っ張っていかないといけない事情があったわけですね。

塚田
そうです。全く新しいグループ外の企業の開発をやって、新入社員のメンバーがついて、まだ開発経験があまりないメンバーがついてという話だったので、かなりプレッシャーがかかりました。そのときは言えなかったですけど「こりゃ、まずいことになったな」(笑)と正直思いましたね。

能登原
そういうチャレンジングなプロジェクトですから、実際にはたぶん山あり谷ありだったと思うのですけど、そこで学ばれたことはどのようなことですか。

塚田
一番大きな段取りとして、かなり教育を意識しましたね。メンバーを育て上げて、次の運用局面に入ったときには、彼らがメインでやってもらいたいという考え方がありましたから。運用局面が始まると、当然保守作業もありますから、開発がないわけではありません。開発のスタイルはどうやるのがよいのか、それと、お客様とのコミュニケーションをどうすればよいのかといったようなことも合わせて教育し、独り立ちさせるという部分を特にに考えたプロジェクトだったと思います。

能登原
そのプロジェクトはハッピーに終わったのですか。

塚田
お陰様で、かなりハッピーに終わりました。

能登原
素晴らしいですね。

塚田
奇跡としか思えなかったです(笑)。自分はぎりぎりまで「これではまずいのじゃないか」と思っていましたが、メンバーがかなり頑張ってくれました。特に最後のほうは、しっかりと自主的に「こういうことをやっていきたい」と危機感を持ってやってもらえたので助かりました。私の力というより、メンバーがよかったのが成功の理由ではないかと思います。私もあるべき時期にちゃんとした内容のことは教えましたけれど、メンバーの飲み込みがとても早かったです。

(次回に続く)

構成:萩谷美也子

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