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2008年1月18日

川島 信幸さん(4)
株式会社豊通シスコム GIT事業本部 企画総括室

川島 信幸さん川島 信幸(かわしま のぶゆき)さん
株式会社豊通シスコム
GIT事業本部 企画総括室
ソフトハウス、NEC販売特約店でアセンブラやOSのEDITION、ボードの開発を経験後
1997年 豊通テレコム(現豊通シスコム)入社、福利厚生サービス開発後
2002年に現在の部署(GIT事業本部)へ異動、PM品質向上活動に従事
2007年10月より企画総括室のメンバーとして、人材育成、品質向上活動等を担当

より魅力的で楽しい仕事かどうかで道を選ぶ

川島信幸さん

能登原
それだけのものが、「もう、これ止めようか」といわれていた状態から生まれたとは思えないですね(笑)。

川島
本当にそうなんですよ。MC-NETという端末は、都内に数箇所しか入っていなくて、あまり使われていなかったんです。

能登原
MC-NETはもともと事業側のために作られたのですか。

川島
ええ、豊通テレコム(豊通シスコムの旧社名)にメディアコミュニケーション部があって、そこで「新サービスを何かやりましょう」という動きのうちの一つでした。

能登原
それは、何かをガイドする仕組みだったのでしょうか。

川島
はい、コンテンツの申し込み用です。端末の中に海外旅行やパックツアーの絵があり、自分で好きなものを選んで申し込むという仕組みです。一応オペレーターコールがあって、それを押すとセンターとつながって、センター側のオペレーターの顔が映るという仕組みになっていました。ユーザーが操作の仕方が分からないときは、センター側から画面を切り替えて、センター側が操作していくという機能もありました。Webなのでセンター側からURLを切り替えていけばいいですから、結構やりやすいんです。そういった仕組みで作り込んでいました。

能登原
その仕組みはどこの部署で作っていたのでしょうか。

川島
メディアコミュニケーション部です。一部のソフト開発は、外部委託していました。もともとはその外部委託先の一社としてMC-NETに携わっていました。ところが、東京のの担当が名古屋に戻ることになって、技術者がいなくなってしまったんです。そこで私が豊通テレコム(豊通シスコムの旧社名)に転職しました。
MC-NETをしばらくやることになったのですが、「MC-NET、全然売れないよ。端末増えないじゃん」という話になったわけです(笑)。

能登原
それは、コンテンツが売れないと困りますからね。

川島
それで、当時同僚が「この先、事業としての広がりがないから、もうMC-NETを止めたいです」と社長に直訴しました。うちはそういうフラットな会社だったんです。そこで、会議が開かれて「彼らは止めたいって言っているけど、どうするの?」という話をしていたときに、「いま二人でこういう将来があると考えているから、これをやらせてください」と逆提案したのです。

能登原
まさに、瀬戸際だったのですね。

川島
そうですね。「じゃあ、やってみれば」と言われて、そこからスタートしたわけです。結局その「止めたいです」と言った同僚は別の部署に移りましたから、残ったのは3、4人ぐらいでした。その人数でやって、デモを置いてみたら仕事が取れてしまったんですよ、なぜか(笑)。

能登原
すばらしい(笑)。

川島
たぶん豊田通商の子会社だからというので、トヨタ自動車様はこのシステムを作ることを許してくれたのだと思います。かなりトヨタ自動車様に入り込んでやらないといけない案件ですから。

能登原
それはそうですね。内情まで知ることになりますから。

川島
他者と比べて、優位性があったのですね。

能登原
いや、それは川島さんのスキルが高かったからじゃないでしょうか。お話を聞く限りでも、なかなか難しいシステム開発ですよ。

川島
このときのメディアコミュニケーション部の部長が今の専務で、私が豊通テレコムに入ったときの面接官でした。

能登原
御社に引っ張っていただいた方だったんですね。

川島
はい。「うちに来ない?」と言われたときの面接官です。「私は何か将来性が見えないと、会社に入る気がしないんですよね」と、偉そうなことを言ったら、そのときの部長さんが、わざわざ私のために名古屋から神奈川県まで来てくださったのです。将来構想の絵を持ってきてくださって、「今後はこういうところをこういうふうにやっていきたいんだ」と一生懸命説明してくれたので、「ああ、いい人なんだな」と。「分かりました。じゃあ今の会社を辞めて行きます」ということになりました。前の会社の社長からは怒られましたけど。

能登原
それは怒られるでしょうね。川島さんを離したくないでしょうし。

川島
結局、どちらが魅力的か、どちらに楽しい仕事が待っているのかで考えてしまいますから。一番、迷惑を被っているのは家族だと思いますけど。

能登原
いつごろご結婚されたのですか。

川島
僕が26歳で、2社目のソフトハウスのときです。かみさんは1社目の同僚でした。

能登原
じゃあ、いろいろと仕事への理解もおありですね。

川島
もともとかみさんもSEなので、仕事自体のたいへんさは分かっています。

能登原
奥様も昔アセンブラをやられていたのですか。

川島
はい。アセンブラをやっていましたね。

能登原
アセンブラをやっている女性は、なかなか少ないですからね。

川島
少ないですね。

能登原
それは絶対コンピュータが好きですよ。川島さんはだいぶ理解されているはずです。

川島
名古屋には家族と一緒に来ているのですけど、名古屋にはそういう仕事がなかなかなくて、かみさんはもうSEは諦めて、こちらではやっていないです。

能登原
トヨタの関連で何かありそうですけどね。

川島
でも「残業ありき」となるため、SEを続けようとするとかなり厳しいです。

能登原
そうですね。子どもを持つ女性の活用が進んでいる会社でないとだめですね。

川島
私自身も、長時間労働は嫌いなので、定時で帰れるのだったら帰りたいです。

能登原
ほんとうはそれが絶対いいですよ。長時間やっていると、生産性上がらないですし。集中してやったほうが、よい仕事ができると思います。

川島
そうですね。でも、カフェテリアプランの時は、思いっきり残業しました。
長時間労働は嫌いですが、何かまた自分で一からつくっていけるようなものがあったら、頑張れるかなという気はします。

ものづくりの課題解決のためにマネジメントへ

川島信幸さん

能登原
今はご一緒にPM標準を作っていますね。

川島
PM標準が必要だなというのは、トヨタ自動車様のカフェテリアプラン開発の経験からきています。基準をちゃんとして、マネジメントもしっかり定義をしていかないとまずいのだなということが分かりましたから。

能登原
弊社が最初にやらせていただいたのは、自動車部品のサプライチェーンのシステム開発支援でしたね。その仕組みを豊田通商殿が作られたときに参加させていただいて、その関係で御社のPM標準のお仕事をいただいたと思うのです。

川島
そうですね。前任の部長の話では、ホストの仕事が主体だったときは、決まったやりかたで決まった話をしていれば、プロジェクトはきれいに終わっていたということです。でも、2001年くらいから、だんだん親会社もオープン系の仕組みが多くなってきて、ホストをやっていた人間がそのままのやり方でオープン系をやって失敗をしたという、手痛い経験が何度かあったらしいのです。

能登原
はい、そのあたりの経緯は非常によく分かります。

川島
ですから、「どうしてもそこを何とかしたい」という思いがあり、やることになりました。それで担当を任されて、ITIさんのガイドラインをベースに、うちの会社の中でどうやってそれを具体的に回せればいいのかというのを、1年ぐらいかけてやりました。サンプルプロジェクトを対象にしながら作っていって、現在の弊社のPM標準が出来上がったというわけです。

能登原
そういうわけで、自動車部品のサプライチェーンのシステム開発の折に豊田通商殿と御社には非常にお世話になっています。今また東京のほうでも教育研修をさせていただいていますよね。

川島
そうですね。東京はトーメン子会社のメンバーが多いので、その教育もしっかりやらないといけないということで、PM基準書の教育をITIさんにお願いしています。

能登原
川島さんもトヨタのカフェテリア方式の福利厚生の仕組みを作り、それをeサービス部でいろいろなところに広げてビジネスをつくるということをやられたじゃないですか。それが一段落して異動されて、今度は自分でビジネスをつくるというよりも、マネジメントというか、組織をどうやってうまく動かしていこうかという役割を担われることになったということでしょうか。

川島
そうですね。特に自分から希望したと言うよりは、今所属している部でそういうことをやる人間がいないので、しかたなくやっているだけなのですが。

能登原
ほんとうはコンピュータに触りたいし、システムを作りたいけれども、ということですか。

川島
はい。去年ACCESSで作る小さな仕組みがあって、たまたまやる人間がいなかったのでやっていました。それが楽しいんですよ(笑)。

能登原
やはり楽しいのですね(笑)。

川島
ユーザーとどういう仕様にしていくのかとか、「それじゃあ、こんな入力にすればうまく業務は流れますか?」という話をしていくのが、やっぱり一番楽しいなと。

能登原
お気持ちはよく分かります。

川島
ユーザーからヒアリングして、実際に動くものを作って説明しに行って、「あ、これは予想以上に使いやすいです」とか言ってくれると、やっぱりグッとくるというか、嬉しいなと思うのです。

能登原
ええ、ありますよね。

川島
実は、そう言ってくださった人は、「これで私は何の心残りもなく辞められます」と言って辞めてしまったんですけどね。

能登原
それはユーザーサイドの方ですか。

川島
はい、ユーザーさんです。親会社の方です。そこの業務がちゃんと回るかどうかが、すごく心残りだったらしいのです。

能登原
でも、その人のノウハウを、川島さんが作られたシステムにきちんと入れ込めたということなのでしょうね。満足されて辞められたと思いますよ。

川島
そうですね。感謝されるのはすごく嬉しいです。

能登原
やはり、川島さんは作るのが一番好きなのですね。

川島
好きですね。いろいろなものを作っていますし。

能登原
ご経歴を聞くと、非常に面白いですね。

川島
世の中に出ている製品という意味では、けっこうたくさんありますよ。

能登原
いや、川島さんほどではないにしても、若いころはやはり、ものづくりがみんな好きですよね。

川島
そうですね。

能登原
30歳ぐらいまで、何かを作りたくてしようがなくて、この業界に入ったっていう人が確かに多いと思います。ただ、そのうちにマネジメントの必要性にも直面するのですよね。ちょっと大きいプロジェクトに入ってやったら、いろいろ問題があったとか、なにか挫折したとか。「これはもう、何とかしないといけない」というので少し目覚めて、もうちょっと組織の改善をしようという動機づけになったというのが、私の見る限り、みんなが辿る道のような気もするのです。

川島
そうですね。ものを作らずに、ただマネジメントだけやっても、たぶん面白くないですよね。

能登原
そう、きっとあまり面白くないでしょうね。

川島
マネジメントをやるのも、中身が分からないとつまらないんじゃないかと思います。ほんとうは、マネジメントとITアーキテクトが一緒になっていたほうがいいのでしょうね。

能登原
そうですね。今われわれアイ・テイ・イノベーションでもそう思っています。だからITアーキテクトをもうちょっと育てたいのです。

川島
ITアーキテクトというのも、最近になって出てきた概念ですけどね。

能登原
ええ、最近ですね。もともとはスペシャリストという概念が先です。ネットワークに強いとか、Javaのフレームワークが得意だとか、データベースのスペシャリストだとかモデリングのスペシャリストとか、いろいろとありました。
今はそれを十把一絡げでITアーキテクトと言い始めているけど、ITアーキテクトというのは本来スペシャリストではなくて、全体を設計するとか、全体に関わるもうちょっと広い概念なのですけどね。

川島
システムの概念的な部分を、きちんと設計する人ですね。

能登原
ええ。それと、ITアーキテクトにもマネジメント能力が少しいるのではないかと思います。ITアーキテクト一人ではできないので、どうしてもスペシャリストを取りまとめるマネジメント力は必要です。

川島
そうですね。ITアーキテクトは、スペシャリストに変な方式を提案されたら蹴れるぐらいじゃないと駄目なのでしょうね。

能登原
まさにそうです。

川島
「こんなやり方があるんだけど、これはユーザーの利用面から見てどうなの」「よろしくないよね、これ」ときちんと言えて、「こんなかたちにできないの?」というところから話ができないといけないかもしれませんね。

能登原
そうですね。

(次回に続く)

構成:萩谷美也子

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