2008年3月 7日
坂入 啓一さん(1)
関電システムソリューションズ株式会社 技術サポート本部 技術部 プロジェクトマネジメント室 システム技術支援グループ
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坂入 啓一(さかいり けいいち)さん
関電システムソリューションズ株式会社 - 技術サポート本部 技術部 プロジェクトマネジメント室 システム技術支援グループ
- 和歌山大学卒業後、1995年に関電情報システム(株)入社。
同年10月 技術開発室に配属。関西電力様からの受託研究、開発業務を担当。1999~2000年に関西電力様システム開発プロジェクトに参画した後、2001年より技術開発部にて再び研究、開発業務に携わる。
2005年、社内研究企画/統括業務に従事しつつ、社内プロジェクトマネジメント標準の策定に携わり、2006年よりシステム技術支援グループの統括業務を担当。
大学ではAIを研究
能登原
この対談は、ご経歴を振り返っていただき、後進の方に「あの先輩はこのようにキャリアを積んできたのだな」と参考にしたり、励みにしていただくのを目的にしています。本日はよろしくお願いいたします。
坂入さんの場合は、コンピューターやシステムに、最初に関心を持たれたのはどのくらいまで遡るのでしょう。
坂入
えっ、そんなところまで遡るんですか(笑)。
能登原
ご出身は関西ですよね。大阪ですか。
坂入
いえ。地元は四国の香川県です。
能登原
高校までは香川県ですか。香川はどちらですか。
坂入
宇多津町という小さな町です。
能登原
存じていますよ。私の地元が、ちょうど向かい側の倉敷市なので。
坂入
ああ、瀬戸大橋を渡るとすぐですね。
能登原
直線距離は非常に近いですよね。
坂入
四国といっても、徳島などよりも岡山のほうが近い感じがします。
能登原
すごくローカルな話になってしまいますが、西日本放送のエリアですよね(笑)。
坂入
そうです(笑)。
能登原
で、高校まではそちらで過ごして。
坂入
そうですね。大学から関西です。情報処理に進みました。
能登原
もうそのころは情報処理という学部が成立していたんですね。
坂入
私の場合は、ゼロ免課程と言って、教育学部の中に教員免許を取らない学科があって、それが情報処理専攻だったんです。当時私がいた学科は教育学部の下にぶら下がっていたような感じでしたが、今はもうなくなっていて、システム工学部という名称になっています。私が卒業したぐらいの時期に学部になりました。
能登原
そうなんですか。教育学部の中に教員免許を取らない専攻があったんですね。
坂入
うちのメンバーでも、教育学部の情報処理専攻という人は多いですよ。今はわからないですが、そのころは、いろいろな大学にそういう学科がありましたから。
能登原
情報処理がまだ新しくて、過渡期の形態を取っていたんですね。大学はどちらですか。
坂入
和歌山大学です。
能登原
和歌山大学はそういう仕組みだったんですね。
坂入
文系に見せて実は理工という、ちょっとした穴場だったんです。
能登原
情報処理が(笑)。
坂入
そういうことです(笑)。
能登原
そのときに坂入さんは既にコンピューター関係の学科に行ってみようと明確に思っていたのですか。教育学部がメインの目標ではなくて。
坂入
ええ、そのつもりでした。と言っても、高校のときはゲームくらいしかしてませんが、パソコンには興味を持っていて、情報処理関係を専攻したいと思って選びました。教員になる気は全くなかった。
能登原
坂入さんが高校のときはもうパソコンだったのですね。パソコン世代ですね。
坂入
マイコンではないですよ。
能登原
ないですよね。われわれのときは、まだパソコンはなかったですから。
坂入
NECの9801とか8801とか、そのくらいです。
能登原
なるほど。そこで情報処理を勉強なさって、すぐこちらの関電システムソリューションズに入られたのですか。
坂入
はい、大学卒業してすぐ入社し、ずっと転職もせずに来ています。一応長男ですし、東京で就職してしまったら何かと不便なので、関西圏で就職をという気持ちもありました。大阪なら3時間くらいで実家まで帰れますから。
能登原
大学のときのご専攻との関わりは?
坂入
大学のときは知識工学とか人工知能とかいった分野に携わっていましたので、そんなに今とつながってはいないのですが。
能登原
AIですか。
坂入
そうそう。いま考えると、あまり立派な研究もしていないんですけどね。
能登原
卒論ではどういうことをされましたか。
坂入
卒論は「遺伝的アルゴリズムを用いた自律型ロボットの経路探索」とか言うタイトルだったような…。
能登原
遺伝的アルゴリズムですか。懐かしいですね。
坂入
人間の遺伝の仕組みをITに活用するというもので、AIの一つの考え方なんですけど、就職してからは全く使ったことがないです。
能登原
AI用の言語でされていたのですか。
坂入
LispとFortranで。プログラミング言語は大学のときに初めて触れて、面白いかなと思いました。
能登原
そうですね。私もそうですけど、最初やったときは面白いですよね。
坂入
そう、最初はね。企業に入って「分かりやすくつくれ」とか、いろいろ言われ出すと、あまり面白くなくなってくるんですが(笑)。
能登原
そうです。たくさん作らないといけなくなると面白くなくなりますね(笑)。
坂入
大学のとき自分で勝手に作る分には楽しかったですね。いろんな方法やロジックで作って、「あ、おれって天才やな!」とかね。
能登原
ええ、ほんとうにそうです。私も情報工学だったので、卒論はメディカルエンジニアリングでした。Fortranで心臓の音をディジタルフィルタで解析して特徴抽出をします。それで、どういう心臓病かを当てるのです。
坂入
それは実用化されてるんじゃないですか。
能登原
当時は、よく分からずにやっていたのですけどね。
坂入
マニアックですね(笑)。
能登原
今は、全然役に立っていませんが(笑)。
大規模な技術転換期に入社、新人研修を受ける
能登原
入社されたのは何年ですか。
坂入
95年です。もう13年になります。
能登原
坂入さんが入られたころは、もうダウンサイジングが徐々に進展し、サーバーはUNIXでクライアントはWindows95の時代ですね。
坂入
ちょうどWindows95が、私が入った年の終わりくらいに出ましたね。入ったときはまだ3.1を使っていました。
能登原
95の発売はクリスマス商戦と一緒ぐらいでしたね。みんな並びました。
坂入
すごかったですね。私は大学のときまではWindowsはそんなに触ってはいなかったんです。Macは触ってましたけど。
能登原
あのころはMacのほうが使い勝手が良かったですから。
坂入
入った途端にWindowsが急に出てきました。そんな時代ですから、新人研修はホスト系中心でした。
新人研修はあのころ6ヶ月やっていたのですが、ホスト計算機でCOBOLを学びました。でも、配属されてから一切触ったことがないんです。ちょうど過渡期だったので、教育体系もまだ対応できていなかった。
能登原
その6ヶ月教育は、まったく業務に入らずにずっとやるのですか。
坂入
はい。鳴尾(西宮市)の研修室に閉じこもって6ヶ月間新人だけが集まって、講師に来てもらって行ってました。
能登原
研修では、実際にプログラムを作ったりするのですか。
坂入
そうです。半分が机上教育で、半分が演習です。でも、よかったですよ。設計の上流行程から一通り教わることができましたから。大学の時は、もうひたすら思いついたプログラムを書くだけなので。
能登原
そうですね。大学ではソフトエンジニアリングを教えないですからね。
坂入
全然ないですよね。
能登原
アカデミック理論のところしかやらないし、体系的に教えてくれない。
坂入
設計書を書くとか、大学では全く学んだことがなかった。
能登原
私も全然です。メディカルエンジニアでしたから。
坂入
「思いついたら書くだけ」みたいな。
能登原
そうでしたね。構造化設計とかもあまり教えてくれないですよね。アルゴリズムの話は勉強しますけど。
坂入
Pascal(厳密な構造化仕様の言語)の構造化をちょっと習ったぐらいですね。
新しい技術のパイオニアとなる厳しさ、そして面白さ
能登原
半年間研修して、最初に配属されたのは?
坂入
現在の技術部です。そのころは技術開発室と言って、部扱いではありませんでした。それも、私が入社したときにできたばかりだったはずです。
能登原
ちょうどそのころ、ダウンサイジングが始まったからでしょうね。私が以前いた会社でも、そのころに何人も人を集めてきてUNIXの研究やネットワークだとか、いろいろやっていました。そのとき集められた人間がパイオニアで、会社で一番UNIXに強くなるんですけど、そういう感じでしょうか。
坂入
そうですね。そういう役目は担っていました。UNIXから始まってクライアントサーバ系のシステムを研究として取り組んで、それを他に展開する、そんな感じでした。
能登原
なるほど。
坂入
私が配属されてすぐに、関西電力さんの中でもかなり大きいクライアントサーバシステムの開発を、側面から支援する仕事につきました。だから業務的には「研究として取り組んだことを教える」という位置づけだったのですが、私の場合はいきなり教える側に入れられて、新人なのに、10年目の人みたいに知ったかぶりして教えることになって、内心すごく気がひけてました。
能登原
そのころはクライアントサーバですか。
坂入
はい。VBとか、オラクルとか。
能登原
サーバのOSはUNIXで、データベースはオラクルですか。UNIXもオラクル(リレーショナル・データベース)もVB(開発言語)も、新しい製品、技術尽くめですね。
坂入
そうそう、新しいものばっかりで。
能登原
大変ですよね。
坂入
でも、ちょうど良かった。私はもちろん一から勉強ですけど、周りもほとんど一から勉強しているから、そんなに教えてもらえなかった代わりに、あまり劣等感を感じることもありませんでした。今となったら、それが逆に良かったと思います。
能登原
そうですね。パイオニアになって、そのまま長いあいだ同じ技術を使えますから、良かったかもしれませんね。それでは、入社して最初の仕事が、開発と言うよりもいきなり指導だったのですね。
坂入
そういう仕事が多かったですね。いきなり「お客さんのところへ行って、これちょっと教えてこい」とか言われて、「ここはこうやるんですよ」と、偉そうな顔で(笑)。
能登原
ああ、なるほど。それは関西電力さん向けのシステム開発プロジェクトなのですか。
坂入
そうです。ちょうどそのシステムは今、再構築されているのですが、その元となっているシステムです。
能登原
95年ぐらいに開発されたのですか。
坂入
そうです。当時私も、その中で使うプログラムを幾つかは作ったんですよ。業務ロジックではなくて、汎用的な共通モジュールとして使うようなものですが。それがなくなると思うと、すごくホッとします。「やっと新人の時に作ったあのコードが他人に見られなくなる・・・」って(笑)
能登原
10何年間活躍したわけですよね。考えてみればはすばらしいですね。
坂入
でも、ホスト系のシステムを作った人には「俺のは30年動いている」と言う方とか、けっこういますから。それに比べたら全然短いですよ。
能登原
そうですか。システムも一部作りながら、技術チームの中に入っていろいろと教えるという展開だったのですか。
坂入
Q&Aを受け付けて回答したり。
能登原
そういった業務を長く担当されていたのですか。
坂入
いや、それは最初の1年から2年くらいです。
能登原
新人を育てる場合、「鉄は熱いうちに打て」じゃないですけど、最初の1年目とか、あるいは最初の3年間に厳しい先輩に当たったり、何か厳しい仕事をすると一気に伸びたりしますが、そのころの思い出は何かありますか。
坂入
こんなこと言うと、あとでその時の先輩たちに怒られるかもしれないですが(笑)、私はあまり面倒をみてもらった記憶がないんですね。ほったらかしにされて、「ここ行って来い!」「分からんかったら、自分で調べろ!」という状況だったんです。そういう意味で厳しかったです。
能登原
そうですか。
坂入
先輩にはあまりガミガミとは言われなかったです。私は言われたら反発するほうなので、ちゃんと私の性格を分かっていたのでしょうね。先輩たちに人を見る目があったのだと思います。だから、ほったらかされて、自分で調べて、自分でやって、時にはお客さんに怒られて。自然とそんな動きになっていました。
能登原
とにかく自分で何とかしないといけない。
坂入
自分で何とかしようと、そればかりでしたね。そんなことを言ったら、「いやいや、俺は影で見てた」って当時の先輩たちに言われそうですけど(笑)。
能登原
結構きついですね。ただそれは、教えられる人があまりいなかったという事情もあるかもしれませんね。教えようにもみんな知らないから。
坂入
先ほどの話の、過渡期だったというのもありますね。仕事の調べ方とかは教えてもらったりしましたけど、結局最後は自分で試行錯誤して。
能登原
そうですね。汎用機のときは、メーカー側も手取り足取り教えてくれましたし、ぶ厚い説明書を作っていて、資料が揃っていましたけど、UNIXとかオラクルとか詳しい説明書なんかほとんどなくて、市販の書籍を読んだり、『インターフェース』だとかいろいろ出ていた雑誌を読んでやるしかないところがありました。
坂入
今はすごく恵まれていると思います。WEBで適当にキーワードを打って検索したら、ある程度資料が出てきて。便利になったなあ、と思いますね。
能登原
そうですよね。
坂入
当時、私はよく、行き詰まったらちょっと紀伊國屋書店なんかに行って「何か適当な本がないかな」と探したりしてました。私はJavaなんかも社内では最初に取り組みだしたんですが、Javaもまだ出てきてまもなくの頃、全然資料がなかったんです。本屋に行ったら角のほうに一冊だけJavaの本を見つけて、それを買って読んだのをよく覚えています。他に調べるものが全くなくて、教えてくれる人もいなくて、苦労しましたね。
能登原
本当にそうでしたね。あのころはみんなが「何かヒントがあるんじゃないか」と真剣に買っていたから、雑誌も元気でした。最近あまり雑誌がありませんよね。
坂入
売れていないんですかね。大抵の情報はWEBで検索すれば出てくるし。
能登原
時代が変わりましたね。
坂入
そうですね。そんなことを言っていたら、若手からはすごい「おっちゃん世代」のように思われそうですが、私からすれば、ごく最近のことなんですけどね。
(次回に続く)
構成:萩谷美也子
