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2008年6月13日

野村 一行さん(4)
マイクロソフト株式会社 デベロッパー&プラットフォーム統括本部 パートナーテクノロジー推進本部 エバンジェリスト

野村 一行さん野村 一行(のむら かずゆき)さん
マイクロソフト株式会社
デベロッパー&プラットフォーム統括本部
パートナーテクノロジー推進本部
エバンジェリスト
1995年にマイクロソフトに入社、主にマイクロソフトの最新技術の紹介、技術啓発を担当。2003年よりアーキテクトエバンジェリストとして、マイクロソフト技術だけでなくIT技術者が求めるアーキテクチャ関連の情報を、様々なイベント、アーキテクトコミュニティやWeb、雑誌などを通じて発信しITアーキテクトの啓発、認知向上に努めている。またマイクロソフトが提唱する「Software Factories」イニシアチブにてソフトウェア開発の工業化アプローチの普及にも従事し、「ソフトウェアファクトリー」(日経BPソフトプレス刊)の監訳を担当。

.NET以降、大きく広がったエバンジェリストの仕事

能登原伸二

能登原
なるほど。エバンジェリストは最初お二人で、その後人数が増えたのですね。私はエバンジェリストの方には、野村さんと成本さんにしかお会いしてないのですが。

野村
そうですね。私や成本が、アーキテクトエバンジェリストを名乗り始めるころに、けっこう増えました。それまでエバンジェリストは、私を含めても全部で4人ぐらいでした。

能登原
それでも4人ですか。

野村
4人で、例えば3階層のうちの、UI層、ビジネスロジック層、データアクセス層といったように分担していたのです。私はデータアクセス層を担当していたので、97年、98年ぐらいには、そういったデータアクセスの技術についての話を頻繁にしていたはずです。

能登原
さまざまなセミナーとか講演、あるいはパネルディスカッションの場などでも、だいたいそういう話をされていたのですか。

野村
そうです。最初のころは、そんなかたちでざっくり分けていましたが、.NET(ドットネット)構想、あるいはその2年ぐらい前にWebサービスの構想が出てきたころから、単純にAPIの説明や、ある一つの技術についてのみ説明するだけでは足りなくなったのです。設計やアーキテクチャ、つまりプラットホームの上にいかにアプリケーションを設計、構築していくのかというもっと広い視点を持たないと、プラットホームであるWindowsのメリットが訴求できないという時期になってきました。
そのあたりから少しずつエバンジェリストが細分化し始めます。一人では到底技術全体を追いかけられないので、まるで細胞分裂するかのように人が増えてきて、それぞれ細分化した技術分野を担当することで、チームとして何とかプラットホーム全般をカバーしようとしていたのが2000年前後ぐらいですね。

能登原
ああ、なるほど。

野村
.NET構想が出たのが2000年で、結局製品として出るのが2002年になるのですが、そのあたりからサーバ製品が一気に増えます。
マイクロソフトのサーバ製品も、私が入った95年の当初は、Sybase社のSQL Serverをマイクロソフトブランドでやっていましたが、バージョン7になってからコードベースも完全にマイクロソフトの製品になって、サーバビジネスへの移行がどんどん進んでいった時期でした。「これからはISVだけではなくて、エンタープライズのお客様や、それからエンタープライズのお客様のためにものを作っておられるシステムインテグレーターさんへのサポートが必要だ」と、一挙にエバンジェリストにとってのオーディエンスが増えたのです。

能登原
やはりSQL Serverというサーバ製品を持つことによって、ビジネスがエンタープライズ領域に徐々に伸びてきたっていう感じなのですね。

野村
ええ、そうです。伸びてきました。それまでも電子メールのExchangeなどはありましたけれども、あれはほとんど作り込みが発生しない製品ですから、そのまま売れるわけです。でもSQL Server、データベースの場合は、その上に何らかのアプリケーションを作らないと、何の意味もないサーバ製品ですから。

能登原
どちらかと言うと、OSみたいなものですよね。

野村
そうです。

能登原
直接ユーザーの目には見えないですし。

野村
やはりSQL Serverが、自分たちのブランドになったころくらいから急激に、「エンタープライズビジネスをなんとかしなければいけない」ということで、エバンジェリストの役割っていうのが一挙に広がってきました。
それまでは、「オブジェクト指向について語ります」というようなところから始めていたのですが、「データベースも含めてクライアント・サーバや三階層というアーキテクチャについて、マイクロソフトの見解を知りたい」とか、「今後の製品開発のロードマップを知りたい」というお客様がどんどん増えてきました。そこで、自分たちも視野を広げてもっとシステム全体、設計やアーキテクチャを視野に入れた啓蒙活動をしなければならないという方向に、そこで大きく変わりましたね。

能登原
業務の範囲が拡大していった過程を時系列で説明していただくと、よく分かります。私は野村さんとこれまでにも何回かお話していますが、エバンジェリストというのが、いったいどういうお仕事をされていて、どのようにチームを組んでいるのかというのがよく見えなかったのですよ。今日のお話を聞いて納得できました。

野村
そうですか。能登原さんがそうおっしゃるということは、他のみなさんもたぶん同じように、エバンジェリストが何をするのか、よく分かっていらっしゃらないのかもしれないですね。

能登原
そうかもしれません(笑)。

野村
もともとエバンジェリストというのは、Apple社から来た概念なのです。マッキントッシュを持っているユーザーが、いろいろなところに出没しては、「どうだ、いいだろう」って言って自慢して、布教活動をしたのです。自分が使っていて楽しいから、人にも勧めたいというのがエバンジェリストです。

能登原
勧めて回るわけですね。

野村
そうそう。「こんなこともできるですよ。いいでしょう。」と言って、仕事ではなく無償でわざわざ勧めて歩く。ほんとうにボランティアですよね。コミュニティを渡り歩き、自慢しながら「買いなよ」と勧めていたのが元なのです。つまり、本来は「俺はこの技術が好きなんだ」とか「この製品が好きなんだ」と、無償でいろいろなところで吹聴して回るのがエバンジェリストだったのです。マイクロソフトの場合、それにいろいろな要素を加えて、システムとして一段階、抽象度が上がっています。

能登原
そういう由来があったのですか。

野村
ですから、マイクロソフトのエバンジェリストとして、どのように仕事に対する情熱を持ち続けるかと考えたときに、今の製品だけではなく、この製品を使ってどんなことが実現できるのかという未来を楽しみ、お客様と共有していくように変えていくことが必要でした。そうしないと自分自身の仕事に対するモチベーションも保てません。.NET以降は、実際に単体の製品を入れたからと言って、ビジネスがうまくいくとか、素晴らしいソフトウェア、アプリケーションができるというものでもなくなってきたので、.NET以前と以後はかなり違います。

能登原
なるほど、分かります。

野村
だからエバンジェリストも、もちろん自分の好きな技術はあるし、あったほうがいいと思いますが、今は特定の技術に対する情熱を持つというよりも、マイクロソフトの顔として、プラットホームに対する将来の夢を見せ、「その夢を一緒に実現しましょう」という存在に変わってきています。
ただ、そこが自分自身の中でも、ときどきぶれることもあるし、お客様も、「この人は、何をしてくれる人なんだろう?」と感じられることもあると思います。

ソフトウェア・ファクトリーでIT業界を変えたい

野村一行さん

能登原
とくに最近は、ソフトウェア・ファクトリーの話とか、抽象度が非常に高い話が多いですよね。先ほどのAPIを16ビットから32ビットに移行する話は具体的じゃないですか。それに比べると今は非常に抽象度が高い。そのような理念の話も大切だとは思います。

野村
ええ。私がソフトウェア・ファクトリーについてモチベーションを保っていられるのは、自分がこの業界に入った当時の職場環境と、今もほとんど変わってないからです。つまり「IT業界ほど、ITの恩恵を受けてない業界はほかにはないんじゃないか」という気持ちが強いのですよ。あの当時も3K、4Kだったし、今も基本的には変わっていないと思うのです。

能登原
残念ながら、変わっていないですね。

野村
ただ、あのときと今との大きな違いは、あのときは夢がありました。今も夢がないとまでは言わないですが、何か閉塞感がありますよね。その閉塞感の一つは、自分たちはコンピュータという道具を使って、手作業ではできないようなことを今まで成し遂げてきたのに、開発という仕事を楽にしてくれる道具が大して進化していないことからきていると思います。
一番ITの恩恵を受けるはずのソフトウェア技術者が、大した道具もなしに、どんどん複雑化しているシステムに対して徒手空拳で臨まなければならないという、この業界の体質を少しでも変えたいのです。「こういう世界があるんだよ」ともうひとつの選択肢をビジョンとして見せたいがために、ソフトウェア・ファクトリーを啓発活動の重要な一つとしてやっています。
つまり、普段使っている開発ツールを、本当にかゆいところに手が届くような使いやすい道具にするために、自分たちが今まで培ってきたITのノウハウを入れていくのです。クリエイティブな仕事は人間がやる。そうでないところは、コンピュータに自動的にやらせればいいのではないかということです。私もソフトウェアに関して、単なるコードビルダよりクリエーターでいたいという気持ちが最初から強かったので、開発者にはクリエイティブなほうに軸足を置いてもらいたいと思いますし、コンピュータの技術と人間が考えなければならない知恵のバランスをうまく取れるような世界に変えていきたい。それが今、私がソフトウェア・ファクトリーを啓発活動する原動力になっていると自分は感じています。

能登原
それはすごいことですよね。最近プロジェクトマネジメントの講演の折に話すことなのですが、ソフト業界は人が手作業で作りますから、どうしてもその人のそのときの体調とか、モチベーションとかチームワークの状況に左右されて、生産性が変わります。また、品質もテストしてみないと分からない。品質が見えるようで見えない。そういう特性があるためにプロジェクトマネジメントが難しいし、失敗の確率も高まるのだと思っています。
コンピュータが自動的に作ってくれて品質も一定なら、設計が終わった時点で、人の作業はほぼ終わりです。人の気持ちの変動によって、うまくできたりできなかったりすることはない。私も、本当はそうなってほしいと思っています。

野村
少し話はかわりますが、オープンソースのコミュニティが、あれほど活気づいているのは、自分たちのクリエイティビティーを発揮できる部分を自発的に選択できるところが大きいのだと思っています。
オープンソースで食べている開発者は、今でも少ないはずで、別に仕事を持っていて、自分の趣味と言うか、自分の創造性を発揮できるからオープンソースにかかわっているのではないかと思いますが、その二つは決して私の中では別の世界ではないし、分けなくてもいいと思うのです。仕事をしながら職業プログラマーとしてクリエイティビティーを発揮できるのが一番いい。だから「人間が創造性を発揮しなくてもよい部分は自動化すればいいじゃない、ITの技術を活用すればいいじゃない」ということです。クリエイティビティーを発揮できる人間臭い部分は必ず残ります。
今おっしゃったように、体調だとかモチベーションに左右される部分の大半は、コンピュータで自動化ができる部分に納められるのではないかと思っているのです。

能登原
確かにそうですね。

野村
私はプロジェクトマネジメントを楽にする、品質が良く納期も守れて、みんなが生産性よく仕事を進めることができるための一つの鍵として、ファクトリーをとらえているのです。プロジェクトマネジャの方々も、「これはロボットのほうが向いているよね」という非常に退屈で、決まりきった仕事は機械に任せる、あるいはシステムに任せることができるのではないかと思うのです。

能登原
私もそう思います。私は、設計は好きですが、実はプログラミングは好きじゃないのですよ。設計が終わった段階で、もう自分の頭の中ではシステムが完成しているわけです。

野村
それは非常によく分かります。

能登原
だからあとはもうやりたくない(笑)。そういう世界ができるといいですね。

野村
設計こそが、人間がやるべき営みなのですよ。今はそのあとのことで、みんな苦しい思いをしているから、設計や、お客様が何を求めているのかというところに十分なエネルギーを注ぐことができなくなっています。それが今の閉塞感、あるいは3Kから抜け出せない一つの原因なんじゃないかと思いますね。みんな余裕がないのです。

能登原
あまり儲からないし(笑)。

野村
ええ。それに、他の業界を見ていても、道具でできることは道具でやりますよね。
例えば今私が持っている携帯も、一つ一つ職人さんが手作りはしないじゃないですか(笑)。人間が考えるのは金型の設計の部分やデザインの部分、どういう機能を入れるかであって、実際の製造の部分は機械がやっている。でもIT業界ではそこも人間がやっているわけですよ。そこは機械で置き換えられます。それは決して技術者の創造性を破壊するようなものではなくて、逆に創造性を発揮するために、IT技術を活用することによって、もっと良い道具を実現しなければならないというのがファクトリーの考え方なのです。そこは、プロジェクトマネジャにとっても、アーキテクトにとってもデベロッパーにとっても、メリットの大きいことだと考えています。

能登原
そうすると日本が少子化で人が少なくなっても、オフショアに頼らず日本人だけで設計してソフトウェアができるという世界になると、日本にとってもいいですよね。

野村
ええ。「ある一定の規模までなら、一人の技術者でできる」っていうのが理想ですね。もしかしたらそこには、私が若いころから持っている「一人でやれるようになりたい」という気持ちが残っているのかもしれないのですが。

能登原
確かに、ある程度の規模のシステムまで一人のエンジニアで構築できるかもしれないですね。

(次回に続く)

構成:萩谷美也子

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