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2008年7月11日

浜田 佳正さん(1)
東芝情報システム株式会社 第二SIソリューション事業部 技術管理部長

浜田 佳正さん浜田 佳正(はまだ よしまさ)さん
東芝情報システム株式会社
第二SIソリューション事業部
技術管理部長
1981年、青山学院大学経営学部卒業。同年4月東芝情報システム(株)に入社、分散処理コンピュータのビフォアSE、システム開発作業に従事。
1992年に、(株)東芝と協働で、C/S方式に切り替える顧客向けにDOAによる要件分析を開始。1999年よりISO9001、CMMに基づいた品質・生産性向上活動に従事。
2003年より現在まで、事業部の人材育成・技術管理を担当。

経営学部から、IT業界に的を絞って就職

浜田 佳正さん

能登原
私たちは、IT業界の若手の人に「この業界に入って来て良かった!」と思ってもらおうと、いつも考えています。ですから、若い人たちに「あの素晴らしい先輩は、こんなふうに会社の中でやってきたんだな。今の自分と同じような悩みにも遭遇したし、いろいろあったけれど、今はあんなに立派になられたのだ」と、ある程度、将来の自分をイメージし、「ああ、そうか。自分も今は大変だけど頑張ってみよう」と思ってもらいたいということを伝えたくて、この対談コーナーを設けています。ですから、われわれのお客さまの中でも、仕事もできて人間的にも素晴らしい方を中心に、対談させていただいています。今日はざっくばらんに、浜田さんのお話をお伺いできればと思います。

浜田
私も、実はいろいろありました(笑)。

能登原
さっそくですが、まずいつも皆さんに、どういうきっかけでIT業界に入られることになったのかということから、お話を伺っています。浜田さんは、青山学院大学の経営学部でいらしたのですよね。
そのころからコンピュータとは、何かご縁がおありだったのですか。

浜田
全くに近いくらいありませんでした。たぶん、情報処理の講義をひとつくらい取っていたような記憶がありますが、そのくらいです。ですから、大学時代にはコンピュータに触ったこともなかったですね。

能登原
そうですか。わりと典型的な文系の学生さんだったんですね。

浜田
ええ、そうですね。文系に進んだ理由は、数学ができなかったからです。理科は好きだったのですが、数学は苦手でした。

能登原
経営学部は、なぜお選びになったのですか。

浜田
本当は文学部にいきたいと考えていました。

能登原
文学青年でいらしたのですね。

浜田
私の中には、文学青年でいたいと思っていた部分があったのですが、経営学部も受けてみて、結局、経営学部にいくことになりました。

能登原
経営学部から東芝情報システムさんに入られたきっかけというのはどういったことだったのでしょうか。

浜田
また難しいご質問ですね(笑)。

能登原
たとえば、大学に先輩が採用に来てとか、いろいろなパターンがありますが。

浜田
大学に先輩が採用に来て、ということは全くなかったです。
その当時は、やっとコンピュータが社会の中で地位を確立し始めた時期ですよね。

能登原
81年というと、そういう時期ですね。

浜田
それで「これからの業界はコンピュータだ」と、自分で勝手に思い込んで、コンピュータの会社を探しました。学校の掲示板にコンピュータ関係の募集情報が幾つかあったので、そこに電話しまして、それで最初に試験を受けに行ったところが東芝情報システムだったと思います。

能登原
IT業界に的を絞られて、目標通り入社されたということですね。

入社後すぐbefore SEとして客先に

能登原伸二

能登原
経営学部での勉強はこれから役立つかもしれませんね。マネジャになられて、会社の経営にも徐々にかかわられるようになりますから。

浜田
そうですね。コンピュータ業界に入るときには、学校で勉強した経営学は、全然役に立たないと思っていました。役に立っているという意識はずっとありませんでしたが、ある日ふと、経営学部では、会社の経営ということよりも、マネジメント全般、会計や簿記という実務的なことや生産管理、つまり会社で行われる管理という業務の勉強をしていたことに気がついたのです。
入社後、最初はみんなプログラミングから仕事に入りました。でも私は、ちょっと違っていまして、before SEだったのです。お客さんのところに行って、受注する前に「お客さんは何をしたいのだろうか?」というところを聞いてまとめていく仕事をしました。

能登原
要件というよりも、要求の段階ですか。

浜田
そうですね、要求です。それをもとにして、一緒に仕事をしている先輩と提案書を書いて、それをお客さんに見てもらうことが、主要な業務でした。
そのときのお客さまは、製造業ではない業界、レコード会社さんとか、アパレル系とか、いわゆる柔らかい業界が多かったのです。そういったあまり規模が大きくない会社に、東芝が当時販売していた、ホストコンピュータの小型のものを買っていただく。そのときに、お客さんが何をしたいかをお聞きするわけです。こういう管理をしたいとか、給与や会計の計算をしたいとかという話になります。今振り返ると、大学で学んだ実務がそこで役に立っていました。

能登原
さらに、トップダウンで企業の仕組みや、ITへの要求を聞こうとすると、結局ビジネス戦略があって、それをどういうふうにITに落とし込むかということになりますから、経営の話にどうしても結び付いてきます。

浜田
今になるとそれがわかります。

能登原
最初は分からないですよね。どうしてもコンピュータの中の仕組みが気になりますし。

浜田
そうなのです。現場の人が「こういうことをしたい」というわけです。

能登原
ええ、プロセス、業務の末端の手続き、帳票、画面などが気になりますよね。

浜田
給与の計算とか。私もそういうところから始めました。

能登原
でも、浜田さんには、それが面白かったんですね。

浜田
ええ、すごく面白かったです。会社に入ってから、面白かったと思う時期が幾つかありましたが、そういうことをお客さまから聞いて、実現するための提案をして、お客さまにそれを使っていただくというのが、最初に面白いと思ったところでした。

能登原
それにしても、入社して最初の仕事がbefore SEですか。いわば受注前活動ですよね。

浜田
そうですね。

能登原
入社直後に、受注前活動をいきなりやることができるというのは、相当能力がある方だと思います。センスがないとなかなかできないですよ。

浜田
逆に、私はたぶん落ちこぼれだったから、そこに配属されたような気がしますが。

能登原
そうですか?

浜田
会社に入るとまず研修で、プログラミングをやりますね。理工系で、特にコンピュータをやってきた人は、結構できます。そういうことが全くできず、研修中もそんなに優秀な方ではなかったのです。配属のときに、プログラミングができないから、before SEにしたのかもしれません。そういう発想が上司にあったのではないかという気もしています。

能登原
ああ、なるほど(笑)。
大学生の甘さもあって、会社に入ったばかりの時期はいろいろ厳しいことに直面しますよね。「会社って大変だな」と思う方も多いでしょう。それが最初から楽しかったというのは、すばらしいです。どの辺りが一番楽しかったのですか。

浜田
やはりお客さまに恵まれていたと思います。お客さまのところに行ってお話を伺うとか、話をするということが全然苦痛ではありませんでした。逆に楽しかったですね。お客さまも自分の年代の人ではなくて、会社の管理職の方とか、今の私くらいの年代の人が多かったのですが、皆さんによくしていただいきました。

仕様書やテンプレートが手書きだった時代

浜田 佳正さん

能登原
そのときは、部署の先輩と何人かのチームを作られて仕事をしたのですか?

浜田
そうですね。自分が入社したときに一緒に付いていた方たちというのは、入社した自分から見ると、すごく年上の人たちでした。会社でいうと若くて5年生、だいたい10年生くらいの方で、ものすごく先輩だったのです。
そういう方と一緒に客先に伺います。提案するときは、先輩方が提案書を書きます。当時は、テンプレートを使って絵を描いていました。そこは自分がやらせてもらって、文言は先輩が手書きしていました。

能登原
手書きでしたね。私もA3の方眼紙に、プラスチックのテンプレート板を使って、フローチャートや図を書いていました。

浜田
最初にさせていただいた仕事が、ドキュメントの標準化です。こちらが提案して作ったシステムの、ドキュメントの標準化をやりました。新しくお客さまに提案するときに、帳票を出してもらうのですが、帳票から現物を出せないので、そのテンプレートを使ってフォーマットをそこに書き写す作業が、最初にさせていただいた仕事だったという記憶があります。

能登原
なるほど。

浜田
帳票のかたちの大きいものを描いて、その中に文字や数字を書きました。

能登原
記述例を作るのですね。

浜田
ええ、最初はそれでした。

能登原
私も最初の仕事はそうでしたよ。鉛筆でテンプレートを使いながら、手書きでした。子どものころは細めの薄い鉛筆で書いていたのですが。

浜田
私たちの子どものころは、そういうのが好きでしたよね。

能登原
でも、仕事になったら、それではやっていられなくて、だんだんBとか濃い鉛筆になっていくのです。

浜田
私もそうでした。Bで、先が尖ってない鉛筆(笑)。

能登原
尖っていないので書かないと、手が疲れますよね。とにかくたくさん書くので。
コンピュータの仕様書を書く人は、1年目、2年目と字がだんだんきれいになります。とんでもない数を書くから、5年目くらいの先輩の字を見ると、すごく上手でした。

浜田
そう、皆さん上手になるのです。残念ながら、私はあまりうまくなりませんでしたが。

能登原
私も字はちょっと(笑)。でも、そういう時代でしたね。思い出しました。あのころは、一日にあまりにもたくさん仕様書を書くので、鉛筆タコがずっとできていました。

浜田
タコもできましたが、私は指を強く押しつける癖があって、指が曲がってきたりもしました。

能登原
浜田さんは、筆圧が強いのですね。

浜田
筆圧は強いですね。でも今は、全く字を書かなくなりました。

能登原
そういうテンプレートや仕様書を書くのはお好きだったのですが。

浜田
好きだったような気がします。

能登原
私も仕様書はたくさん書きました。先輩にチェックしていただくのですが、一番ショックなのが、仕様書を10枚くらい書いて、そのうち5枚くらいを赤のボールペンでざーっと消されたときです。A3でめいっぱい書いたものを赤で消されたら、ガッカリですよ。もう一回、最初から書き直しですからね。ワープロならコピーして直せますけれど。

浜田
それはゼロからの書き直しですから、辛いですよ。仕様書に修正があるときは、いろいろテクニックがありました。例えばここで、一文字削らないといけないとする。そこを空白のままにできないので、どうやってそこをつめようかというテクニックが。

能登原
ありましたね。文房具に字消し板がありましたし。

浜田
あれは必須です(笑)。

浜田
「字消しシーター」という、ステンレスのテンプレートの小さいので、三角とか丸とか細い四角とかの穴が開いていました。回りに影響しないよう字を消すためにそれを当てて、上から消します。そうすると回りは消えないですみます。あれはよく使いましたね。

能登原
それでもどうしようもないときは、ホワイトを使いました。

浜田
ホワイト、使いましたね!

能登原
ホワイトを使って消してコピーして、もう一回そこから書く。もう、そういったテクニックをたくさん使っていました。本当に、まるで漫画家のような毎日でした(笑)。切り貼りもやりましたね

浜田
もう切り貼りは、しょっちゅうでした。

能登原
今、浜田さんとこの話をするまで、まるで思い出さなかったのですが、確かにそういう時代でした。最初は浜田さんも、もっぱらそれをやられていたのですね。

浜田
ええ、そうでした。

(次回に続く)

構成:萩谷美也子

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