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2008年8月 8日

浜田 佳正さん(3)
東芝情報システム株式会社 第二SIソリューション事業部 技術管理部長

浜田 佳正さん浜田 佳正(はまだ よしまさ)さん
東芝情報システム株式会社
第二SIソリューション事業部
技術管理部長
1981年、青山学院大学経営学部卒業。同年4月東芝情報システム(株)に入社、分散処理コンピュータのビフォアSE、システム開発作業に従事。
1992年に、(株)東芝と協働で、C/S方式に切り替える顧客向けにDOAによる要件分析を開始。1999年よりISO9001、CMMに基づいた品質・生産性向上活動に従事。
2003年より現在まで、事業部の人材育成・技術管理を担当。

調査研究セクションで方法論と出会う

浜田 佳正さん

能登原
その次のご経歴は92年からですね。このときは、どういったお仕事ですか。

浜田
ちょうど92年前後は、ホスト中心からUNIXのサーバとパソコンを組み合わせたクライアントサーバへの移行が始まった時期だったと思います。クライアントサーバシステムになると、それまでのシステムの作り方や要件分析の手順なども全く変わるだろうということで、親会社の東芝では、移行に対応できるよう事前に調査研究して、現場のSEの方たちと一緒にお客様に対応していくための部門を作りました。ちょうど私は二年間のプロジェクトが終わったタイミングで上司に呼ばれ、「東芝のエスアイカイいうところに行っておいで」と言われました。そういわれても、どんなところなのか分かりませんよね。

能登原
「エスアイカイ」というのは、SIはシステムインテグレーションで、「カイ」は普通の「会」ですか?

浜田
開発の「開」です。

能登原
「SI開」ですか!

浜田
文字を知らずに、ただ「エスアイカイ」と言われたので、まず思ったのが、開発ではなくて、なにかの「会」なのだろうか、ということでした。一瞬、「いったいどこへ行かされるのだろう?」と不安になりました。

能登原
ええ、私が言われたとしても「SI会」だと思いますよ。そして、「それはいったいなんだろう」と(笑)。

浜田
説明を聞いたら、そういった新しい部署だということでした。SI開ではそれまでと全く違う仕事を経験させていただきました。
例えば、方法論というものがありますよね。それまでは、方法論というものの存在すら知りませんでした。

能登原
そのSI開で方法論に出会われたのですね。

浜田
ええ、そうです。SI開に行ったら、自分の席の後ろに大きな棚があって、アンダーセンのMETHOD/1のバインダーが30冊くらい並んでいました。「まずそれを見なさい」と。

能登原
はい、METHOD/1ですね。

浜田
それが、方法論との出会いでした。
卒業して数年くらいの若い人が多い部署で、それに各現場から経験豊富な技術者を連れて来て、ベテランと若い人の混成部隊を作っていました。そこでは若い人たちが、今まで見たことのない絵を描いていました。何か、丸を書いたり、線をつないだりしている。「それ、何?」と聞いたら、「これは、DFDって言うんですよ」と。「それで、何するの?」とさらに聞くと、「いやー、Data Flow Diagramと言いまして…」と、DFDの説明をしてくれるのです。
またERD(Entity-Relatioship Diagram)を書いているのを見て、「それって、何に使うの?」と、聞くわけです。どうやってそれを書いて、どう使って、レビューをどういうタイミングでするのか、入社して二年目の女の子に、DFDの説明を受けた記憶があります。
DFDとERDは「違う人が書くんです」と言われて、「えっ、そんなの、うまくできるわけがないでしょう」というような会話をそこでしたと思います。「じゃあ、どうやってこの整合性をとるの」と聞くと、「いや、とれるんです。書いたあと、お互いにレビューして」というので、「そんな面倒なことをするんだ」、と当時は思いました。

能登原
場所はどちらだったのですか。

浜田
今の浜松町です。

能登原
浜松町にそういったメンバーを集めて、クライアントサーバ、ダウンサイジングの時代になったときにUNIXでリレーショナルデータベースというものに対応するために、東芝グループとしての標準や、提案とかコンサルのやり方を研究するということですね。

浜田
ええ、そうです。方法論については「すごくいっぱい、ごちゃごちゃしたものがあるな」と最初に思いました。要件分析をして基本設計をして、という工程は一応知っていましたが、工程の中に、箱がたくさんあって、またその中にタスクがあって、タスクの説明書がまたたくさん付いていて、「え? こんなにいっぱい作業したら終わらないじゃない」と(笑)。

能登原
みなさん最初はそう思うんですよ。

浜田
やらないといけないというのは、今では分かるのですが、最初はそんな感じでした。

能登原
年下の女性に「これってどういうことなの?」とお聞きになることに抵抗はなかったのですか?

浜田
それが可愛い子でしたので(笑)。

能登原
それはもう、抵抗どころか、積極的に質問をしに行きますね(笑)。

必死に勉強しながらの、DB要件分析

能登原伸二

能登原
SI開での仕事は、例えば、東芝グループとして受注した主要なプロジェクトに入って支援するということですか。

浜田
そうです。お客様ごとに対応する営業と技術が決まっていました。例えば、製造、電力などお客様ごとに、決まった営業と技術が対応をし、そこにSI開のメンバーも一緒に入ってプロジェクトを支援するという形態でした。
SI開は、途中で「SI統」、つまり統括部という、ちょっと偉そうな名前に変わりました。

能登原
濱田さんも、どこかの業種担当に配属されたのですか。

浜田
私は機械製造業の会社担当になりました。その会社には海外向け営業部や海外向け企画部があり、国内で生産販売する部門と、海外で生産販売する部門とが完全に分かれていて、私は海外部門の仕事をさせていただきました。販売管理、収益管理という名前のシステムでした。要は、海外での販売価格を決めるシステムと、販売計画から生産台数を決めるためのシステムです。
最初にお仕事をいただいたのが、システムの開発ではなく、「リレーショナルデータベースを使った適切な設計方法についてのコンサルティングをしてくれ」と言うことでした。まだ自分自身ではERDとかDFDというものがあるということぐらいしか知らないころでした。しかし現場の期待はSI開に、「お客さまがリレーショナルデータベースを使ったシステムの要件分析をしてほしがっているので、よろしく」というものでした。まだSI開の東芝全体に対する認知度というのがそんなに高くない時期で、そういうお仕事がきたら、やはり「はい、喜んで」(笑)という感じで。

能登原
まあ、当然行きますよね。

浜田
はい。ただ、データベースをこれから勉強するという人間が「データベースの要件分析に来ました」ということになります。要件分析はできても、リレーショナルデータベースを使ったシステムでの要件分析経験はないんです。
どうしようかと考えて、思いついたのが「一番手っ取り早いのは情報処理技術者試験のデータベース技術者の試験を勉強しよう」と考えました。まず、問題集を買ってきて、行きの電車の中でその本を読みながらERDの勉強し、お客様に要件を聞いたあと、また帰りの電車で続きの勉強をするを繰り返すことでした。
「じゃあ、お客様、来週にはこれをERDにしつらえてきます。お客様は次の要件をまたまとめておいて下さい」というお願いをして帰って来て、一週間で、本を見ながらERDを作成し、次の週にお客様に成果物をもって行きレビューしていただくわけです。お客様にとってもERDは難しいですよね。

能登原
難しいですよね。急にはなかなか…。

浜田
それをお客様に一生懸命理解していただいて、「これだけは」というところだけ見ていただいて、で、また新しい要件をいただいてということを何回か繰り返しました。週一回通って、二ヶ月くらいで、「じゃあ、これでいきましょう」というまで要件をまとめました。ですから、要件書はほとんどお客様に書いていただけたのです。「こういうことをしたい」という、画面とか帳票とかも全部お客様に書いていただきました。それを基に私がERDを作成するわけです。

能登原
お客様にはモデル化するというか、整理することはできないですからね。そこはプロがやらないと。

浜田
本当は、プロがやるものなのですよね(笑)。

能登原
いえいえ、ちゃんと浜田さんというプロがやられたということでしょう(笑)。

浜田
真剣にやったおかげで、その年の情報処理技術者試験で、ERDを書くことができました。

能登原
それで、データベーススペシャリストに合格したのですね。情報処理技術者試験のデータベースは難しいですよ。PMPより難しい。
浜田さんは、新しいことを勉強なさって実践するのが苦にならないタイプなのですね。

浜田
興味があることは苦にならないです。分析が好きなんです。興味があることは、徹底的にやりたいと思いますが、苦手なことはあまりやりません。

能登原
つまり、データベースを誰かやらないといけないからというので、指名されて、派遣されてしまったのですね。「濱田さんだったらできる」と上司の方は思ったのでしょう。

浜田
実は、オラクルのゴールドの資格を取ったときも、オラクルDBを触ったことがないときでした。東芝情報システムがオラクルとアライアンスをすることになったときに、オラクルの資格を取っている人間が何人いればアライアンスが可能になるという条件がありました。そういうことはよくあるんですよ。

能登原
ありますよね。

浜田
アライアンスの条件が30人とか50人と言われて、その人数が試験に合格する必要があるので、オラクルを経験したことがないのに、「浜田、お前、試験得意だったよな」(笑)と。

能登原
で、オラクルのデータベース技術者認定試験のORACLE MASTER Goldも取らないといけなくなったわけですね。

浜田
これはすごく大変でしたね。

能登原
やはり内容が細かいからですか。

浜田
情報処理試験のほうは、理論の世界ですが、オラクルなどベンダーさんの試験は、コマンドを覚えなければなりません。アーキテクチャとしては優れた理論があって、そちらを学ぶのは楽しいのですが、コマンドを覚えるのには苦労しました。「実際に使う人じゃないと覚えてもしょうがないかな」という感じで。使う人にはすごく有効だと思うのですが。

緊張するプレゼンを成功させるコツ

浜田 佳正さん

能登原
ちょっと話が変わるのですが、浜田さんは教えるのも上手でいらっしゃるとお聞きしています。教える立場になられたきっかけは、なんだったのでしょう。

浜田
また最初の話に戻ってしまいますが、before SEをやっているときは、お客様にコンピュータを買っていただいて、それが稼働しまと、お客様には必ずそれを保守する人、システム部門の方がいらっしゃいますから「その人たちにコンピュータのアーキテクチャを教えてくれ」と、よく言われていたのです。ですから、その方たちを集めて、コンピュータのマニュアルを教科書にして教えるということはよくしていましたね。
新製品が出たときなどには「説明会をやるから」ということで、お客様になりそうな方を集めて、説明会を開催し、そこで、製品のプレゼンテーションをよくやっていました。

能登原
やはりbefore SEは、プレゼンテーションをする機会が多いのですね。

浜田
でも、大勢の前でのプレゼンテーションはそんなになかったです。システム部門の方でも、せいぜい10人くらいです。ですから、最初にお客様に40~50人集まっていただいてプレゼンテーションしたときは、けっこうプレッシャーがかかりましたね。

能登原
それはプレッシャーがありますよ。

浜田
そのときもすごく恵まれていました。会場に、すごくいい方がいらっしゃって、私がしゃべると、その方はいちいちうなずいて聞かれるんですよ。

能登原
つい、その方に向けて話しますよね。

浜田
そう。ずっともう、その方を見続けてしゃべっていました。

能登原
おっしゃるとおりですね。私も最近、話す機会が多いのですが、誰か話をしているときに、真面目に、「うん、うん」うなずきながら聞くようにしているのです。自分もそうしてくれたら嬉しいですから、多分そうすると、話している方も嬉しいだろうなと思います。

浜田
ええ。今、新入社員の教育をやっているのですが、やはり新入社員がしゃべるときには、必ずその人に向かって、ずっとうなずくようにしています。新入社員は30~40人の偉い人たちが座っている前で、最後の成果発表会をやるのですが、そのときには、やはり緊張するじゃないですか。

能登原
緊張しますよね。特に、新人ですから。

浜田
「必ず、優しそうな人を探して、その人に向かってしゃべりなさい。もしいなかったら、僕のほうを向いてしゃべればいいから」と言ってあげると、あまり緊張せずにできるのではないかなと思って、そうしています。

能登原
なるほど。それだけでだいぶ違いますよね。

浜田
最初に失敗すると、あとずっと尾を引いてしまいます。最初に上手くいくと、「自分はそれができる」と思えますから。

能登原
自分もそう思えますし、社内的にもそういう認知が広まりますね。
浜田さんはそういう仕事上の経験もおありなので、講師をやられても上手にできるのでしょうね。

(次回に続く)

構成:萩谷美也子

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