プロジェクトマネジメント、プロジェクト管理におけるポータルサイト

HOME > プロマネへの道 > 浜田 佳正さん(4) 東芝情報システム株式会社

2008年8月29日

浜田 佳正さん(4)
東芝情報システム株式会社 第二SIソリューション事業部 技術管理部長

浜田 佳正さん浜田 佳正(はまだ よしまさ)さん
東芝情報システム株式会社
第二SIソリューション事業部
技術管理部長
1981年、青山学院大学経営学部卒業。同年4月東芝情報システム(株)に入社、分散処理コンピュータのビフォアSE、システム開発作業に従事。
1992年に、(株)東芝と協働で、C/S方式に切り替える顧客向けにDOAによる要件分析を開始。1999年よりISO9001、CMMに基づいた品質・生産性向上活動に従事。
2003年より現在まで、事業部の人材育成・技術管理を担当。

インド人とのやり取りでDOAの力を実感

浜田 佳正さん

浜田
話を戻しますと、DOA(Data Oriented Approach)でのシステム設計を、勉強しながらというカタチで始めましたが、お客さまと気心が知れるようになるに従って、次々と大きいシステム設計にも声を掛けていただくようになり、その会社の海外現地法人のシステム化をするというお話をいただきました。その現地法人はできたばかりで、「既にNTTデータさんのコンサルタントが現地で、現状調査・要件設定までは済ませています。これから機能要件をまとめるので一緒にやって下さい」と言われました。ビジネスロジックと、画面のイメージが描いてあるドキュメントをいただいて、ERDとDFDを作成しました。このときが本格的にDOAでシステム設計をした最初です。

能登原
現地にも出向かれたのですか。

浜田
いえ、NTTデータの方が帰国するときに現地の方が一緒に来日されたので、日本で要件をレビューしました。
ちょうどインドでオフショア開発を始めた時期で、基本設計を国内のSIベンダーが担当し、以降の作業をインドの会社に引き継ぐので、インドの方が大勢工場に、来ていました。

能登原
海外現地法人のシステム構築を東芝さんが一括で請け負って、要件定義、基本設計を日本で実施して、下流工程をインドの会社に担当してもらうのですね。

浜田
そうです。

能登原
オフショア開発の始まりは、94年くらいですか。

浜田
もうちょっとあとです。98年ですね。

能登原
それでも早いですよ。

浜田
要件分析が終了し、基本設計の成果物をインドの方に引き継ぐところまで、参画しました。専任でそれをやっていたわけではなく、仕様をレビューするときにレビュアーとして出席していました。
当時の日本のSIベンダーは、従来型の開発をしていましたので、その時もDOAの手法で作成したDFDやERDが、基本設計では文言や従来のビジネスフローに変換され、それを英訳したものが説明に使用されていました。「どうしようかな。まあ、でも、それで上手くいけばいいかな」と、実はよくないのですが、正直ちょっと投げやりな気持ちになりかけていました。
インドの方に基本設計書を説明してもうまく通じなくて、元のNTTデータさんの書いた図やフローを引っ張り出して、「これって、こういうことなんですよ」という説明も試みました。インドの方も一生懸命仕様を理解しようとしてくれました。
その途中で、DFDとERDをつなぎの説明のつもりで、ちらっと見せたら、インドの方から、「なんだ、あるじゃないですか」「何でこれを見せないのですか」と言われたのです。

能登原
DFDとERDさえあれば、全部分かりますからね。

浜田
分かりますよね。
「何で、日本語の文言にして、それを英語に翻訳するのだろう」と思っていたのですが、「そういうものなのかな」と(笑)。ずっとモヤモヤしていたのですが、インドの方にスパッとそう言われたときは、「やっぱりDOAだな」と思いましたね。

能登原
なるほど。インドのソフトエンジニアの方々は、データモデリングを勉強して、馴れていたのですね。

浜田
そうですね。馴染んでいます。

能登原
ということは、こちらで上流の設計書をきちんと、しかも英語でモデル化したものを渡せば、ある程度の品質のものができてくるということなのでしょうね。

浜田
ええ、そうだと思います。

モデルは言語を超える

能登原 伸二

能登原
最近、インドのソフトエンジニアも日本にたくさん来ていて、日本語ができる人が増えてきていますね。

浜田
驚くほど上手な日本語ですね。日本語が上手いインド人の通訳の方は、日本人よりも日本語を上手く通訳するくらいです。

能登原
私がインドに行ったときに聞いた話です。インド人は英語も話せますが、地元の言葉による第一公用語はヒンディー語です。ヒンディー語は、どうも日本の語順と一緒らしく、だから、日本語はわかりやすいと言う話を聞きました。本当かどうか確認していないのですが。

浜田
そういう意味で、日本語を覚えやすいのかもしれないですね。

能登原
それにインドの人は、語学自体が得意なのかもしれません。州の言葉があって、ヒンディー語があって、英語がありますから、言語を次々に覚えるプロセスが出来上がっているらしいという話も聞きます。
日本人は、とりあえず日本語さえできれば、海外に行かない限り不自由はしませんから。それに比べてインド人は、行動範囲が広がるにつれて、身近な人たちが話す言葉、州の言葉、ヒンディー語、英語と覚えなければいけません。日本人の感覚では、ヒンディーが第一外国語に近いかもしれませんね

浜田
インドには16くらい言葉があると聞きましたが。

能登原
インドのお札には、インドで話されている代表的な言語が、15種類ほど書かれていたと思います。
そこに書かれているのがインドの代表的な言葉で、地方に行くと幾らでも方言はあると、現地の人が言っていました。

浜田
確かに、インドの方同士で話をされているのを聞くと、英語と、その地方の言葉、それも複数の言葉を混ぜて話しているので、「この人たちは、なぜこれで分かるんだろう」と思います。

能登原
そうですね。ですからERDのようにモデリングされると、インドの人にはそれが一番分かりやすいのでしょうか。
むしろ言葉で説明しようとすると、分かりにくくなりそうですね。

浜田
そうですね。モデルがあれば、言葉はほとんど必要ないですしね。

能登原
言葉は単語があれば十分です。

浜田
あの時から、私はDOAの信者になりました(笑)。

能登原
今日、浜田さんについて、ひとつ謎が解けました。かなり強烈な経験をされましたね。

浜田
ええ。言葉はいらないとまでは言わないですけど、言葉は少なくてすみますよね。しかも間違いがないです。

能登原
確かにそうだと思います。

浜田
このあとでお話しますが、一度、東芝情報システムとしてインドの会社とお付き合いした時期がありました。
最初のころはいろいろなトラブルがあり、その原因分析もしたことがあります。実際に詳細設計書やプログラミングコードを見て、「仕様が本当にちゃんと落ちているのか」とプログラムを掘り起こしてみる分析もしました。そこでわかったのはやはり言葉の限界です。日本人同士でも齟齬は出ますよね。

能登原
それは出ますね。

浜田
さらに英語を挟んで、日本人とインド人となると上手くいかないのではないか。やはりDOAに遡るべきなのじゃないかと思いました。

能登原
なるほど、そうですね。DOAで利用されている記法を理解できる人であれば、そこにほとんどの情報が埋まっていますからね。

浜田
そうですね。「あれを言葉で書いたら、どれだけ書かなきゃいけないのか」と考えると、ぞっとしますよね(笑)。

能登原
どれだけ大変か(笑)。おっしゃるとおりですよ。

浜田
あれを考えた人は偉いです。

能登原
ERモデルを提唱したピーター・チェン(Peter P. Chen)は本当にすごいですよね。

浜田
天才ですよ。

インドへのオフショアと新しい品質生産性活動

浜田 佳正さん

浜田
機械製造会社の設計がだいたい終わったころ、東芝のSI統から、東芝情報システムに戻りました。
ソフトウェア業界では品質管理という話題が盛り上がってきた時期で、会社としてISOの認証を得ようということになりました。

能登原
ISO9000ですね。

浜田
99年から、部門の品質責任者になり、ISOの認証を得るためにいろいろな活動を始めました。私はISOもそのときは初めてで、現場で作成したISOの基準に従った成果物を見て、いろいろ教えてもらいながら勉強しました。

能登原
最初に、ISOのQMS(Quality Management System)のプロセスを作られたのですか。

浜田
いえ、QMSは私が別のEPSをやっているときに、品質担当部門で既につくっていましたから、それを実際にプロジェクトに適用し運用していくという仕事でした。その運用した結果をチェックし、ISOの認証機関の方に認証していただく段階での現場とのやり取りやレビューなどを中心に活動していました。

能登原
それが99年で、ちょうどY2K、2000年問題のころですね。

浜田
そうです。2000年問題の直前です。一番大変なときでした。管理職はお正月なし(笑)。何もなくてよかったです。あのときには、飛行機が落ちるとか、さんざん脅されましたから。

能登原
そういう大変な時期でした。

浜田
そのときにちょうど東芝情報システムとしてインドとのお付き合いも始まり、これからアライアンスを組んでいこうとしていました。

能登原
それは東芝情報システム殿として、正式にインドのオフショアをやろうということですね。

浜田
はい、ODC(オフショア開発センター)の構築です。10人とか20人とか、人数を指名して東芝情報システムの仕事をする人を専属で置いていただいて、そこに仕事を発注していくということでした。

能登原
ブリッジSEのような要員を置くのでしょうか。

浜田
そうですね、そういう人たちもいました。

能登原
ちょっと話が飛びますが、中国ではなくてインドという選択をされた理由は何かあったのですか。

浜田
そのときは、まだ東芝では中国へのオフショア例が、あまりありませんでした。

能登原
それで、まずインドということだったのですね。

浜田
それ以前には、中国というよりも韓国でした。私が入社してからの10年は、韓国の方と結構お付き合いがあったのです。最初のほうでお話した2年間のプロジェクトでは、韓国の方も一緒に入ってやっていただいていました。

能登原
いろいろグローバルなお付き合いもされているのですね。

浜田
ええ。ちょうどインドとアライアンスを組むときに、「インドの品質はどうだろう」ということで、会社の事業部長クラスの人が5、6人と、それにお付きが一人ずつくらいインドに視察に行きました、私もお付きの一人として、インドに一週間行かせていただきました。向こうで品質の話を聞いているときに、CMM(Capability Maturity Model)の話が出てきたのですよ。

能登原
なるほど、それがきっかけになったのですか。

浜田
ええ、そうです。インドの方は「東芝情報システムさんでは、ISOをやっていますよね。ISOをやっていれば、もうほとんど品質は大丈夫じゃないですか。インドは今CMMをやっています。CMMができてから、次にISOをやります。」という話をされていました。そのとき「CMMって何なの?」と、そこでお話をいろいろ聞いたのです。自分たちの知らない話がたくさん出てきて、「CMMってそんなことをやるんだ。でも、それって、すごく大変そうだ」という思いを持って帰国しました。

能登原
そうですね。CMMはもう、たくさん作業をやらないといけませんからね。

浜田
インドの人に「何でCMMなのですか?」という話をしたら「CMMができてはじめてISOができる」という言い方をされたのです。

能登原
範囲は、CMMのほうが広いのかもしれないです。薄く広いのかもしれませんね。

浜田
そうですね。どちらかというと、ISOは外部に対する意思表示というか、表明のような感じです。それに対して、CMMは社内の生産性、品質向上のためのプロセス改善の側面があります。インドの人はそのとき「社内のプロセスがちゃんと確立されていれば、外部に対しても『品質管理ができます』と言える」という言い方をしていました。

能登原
そういうことですね。やり方は何でもいいような気がします。結局、CMMは物差しですから。その物差しに合うように、自分たちができていればいい。いろんなアプローチがあるし、特に型にはめなくても、その物差しにあっていれば、自分たちのやり方でいいというところがありますよね。

浜田
ええ、全然それで構わないのです。

能登原
もしかしたらISOのほうが、何か型にはめられているかもしれません。

浜田
私もそう思います。

能登原
そういう違いを感じますね。

浜田
インドでその話を聞いて、「これはいいな」と思い、既にISOのQMSはできていたのですが、それにCMMの考え方を取り込んで、QMSを一体化し、新しい品質生産性活動を始めようと考えたのです。

(次回に続く)

構成:萩谷美也子

↑ このページの先頭へ