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2008年11月28日

鈴木 君男さん(2)
新日鉱ホールディングス株式会社 企画・管理グループ(IT担当) シニアマネージャー

鈴木 君男さん鈴木 君男(すずき きみお)さん
新日鉱ホールディングス株式会社
企画・管理グループ(IT担当)
シニアマネージャー
1982年筑波大学第3学群情報学類卒。同年、日本鉱業入社。本社及び工場にて販売管理システム、生産管理システム等の開発、保守・運用に従事。1991年米国コーネル大学にてME(Master of Engineering)を修得。1995年よりコンビニエンス・ストア本部にて流通関連システムの企画とプロジェクト管理、2002年よりセントラル・コンピュータ・サービス(株)にて新日鉱グループのシステム開発を担当。2008年より新日鉱ホールディングス(株)企画・管理グループ(IT担当)としてグループのITガバナンスの整備を推進中。

合併のあと、企画担当として視野の転換

鈴木 君男さん

能登原
情報システム部で銅箔事業を担当した後に、企画担当になられたのですね。

鈴木
ええ。企画担当を2年くらい勤めました。そこではIT技術系社員の採用から教育までを担当しました。企画的な仕事としては、IT予算、IT中期計画の取りまとめといったことを経験しました。

能登原
具体的にはどういったお仕事だったのでしょう。

鈴木
IT中期計画では各事業部門から上がってきたシステム化案件を情報システム部の企画担当で取りまとめて、システム化全体計画を作成します。全社の中期計画策定の時期になると、会社の経営企画部門のヒアリングがあり、そこで、事業部門の人たちが設備投資案件の一部としてシステム化案件を説明をします。システムの取りまとめ担当ということで、その場には必ず出席していましたね。
そこでは、会社の経営企画部門から、そのシステムの目的はどうなのか、採算性はどうなのかと、厳しく質問されるわけです。その場にいることで、システム部が描いた絵だけではなくて、それを使う人が真面目に、真剣に取り組んでシステムを活用していくということがなければいけないということ、つまり「情報システムをとりあえず作って、動いています」というだけでは、本来の効果が出ていないということがひしひしと感じられて、事の重要性を痛感しました。

能登原
鈴木さんは、それまで現場の仕組みを作るお仕事をされていたわけですから、企画となるとまた違った視点、例えば経営的視点から見ることになって、仕事の中身が変わったと思います。それは鈴木さんにとってはどう感じられましたか。

鈴木
そこで感じたのは、作る現場から、「そのシステムを使うと、どういう効果が出てくるのか」をきちんと考えていかなければならないということです。また、企業の目指すべき方向性と合ったものを作って、しっかりシステムで支えていかないといけないということを強く感じましたね。

能登原
なるほど。ところで、石油精製を担当していた日本鉱業と販売を担当していた共同石油が合併したのは1992年でしたね。

鈴木
ええ、合併してから1年間は日鉱共石という名前でした。

能登原
1年後には、株式会社ジャパンエナジーという名前になったのですね。合併はまさに一大事業で、その大変革期が1992年から今の新日鉱グループに起こっていたことになりますね。

鈴木
そうですね。合併したときは、私はまだ銅箔事業担当でした。アメリカから帰ってきてすぐに「合併します」というアナウンスがあって、1993年の日鉱共石時代は銅箔事業担当をやっていました。企画に移ったのは、ジャパンエナジーになってからです。

能登原
合併したときには情報システム部門としても、日本鉱業、共同石油のどちらの仕組みを使うか、それとも新規に開発をするかという整理が大変だったと思いますが、その作業も主導されたのですか。

鈴木
いえ、そのときは、まだ銅箔の営業システム開発をやっていました。

能登原
ということは、企画に移られたのはそのあと、一段落してからなのですね。

鈴木
そうですね。

コンビニ本部に出向し、第一線の店舗開発を担当

鈴木 君男さん

鈴木
企画担当を2年くらい勤めた1995年の8月頃の話ですが、「今後の事業展開としてコンビニエンスストア事業をさらに伸ばしていく」ということになって、その事業のシステム部門の要員を強化しなければならないという話になりました。私の前にも先輩が何人か先に配属されていたのですが、さらに強化するということで、辞令をもらってそちらに行きました。
ところが、システム部門を強化すると言っていたのに、行った先ではシステムの仕事をせずにコンビニの店舗開発をしました。コンビニ本部の営業活動の、第一線の仕事を約2年間やったわけです。

能登原
店舗開発担当ですか。

鈴木
店舗開発担当の業務としては、まず商売を実際にするオーナー候補の方を口説いてコンビニを運営してもらうという仕事と、とにかくよい立地を探して店を作るという仕事と、大きく2つのパターンがあります。ですから、市場調査を行って、立地が良くてよく売れる場所はどこかというのを自分で探してくることになります。これは勉強になりました。
例えば、都市計画法という法律があって、店を出すことのできる場所は限られています。システムだけやっていたので、このような法律があることを知りませんでした。また、店を作るには、店舗のオーナーが自分の資金でコンビニ店舗を建設するのが原則でしたから、お金の調達に必要なアドバイスもしました。金融機関から借りるときのお手伝いです。金融機関はお金を貸すわけですから、その場所で店を運営して返済がちゃんとできるのかどうかをチェックします。コンビニの1店舗毎に事業計画をしっかり作って、その事業計画に基づいて借り入れをします。また、オーナーさんに決断してもらうためには、オーナーさんが疑問に思っていることに、どれだけ説得力を持って答えられるかが重要なのだということも勉強させてもらいました。

能登原
情報システムの仕事をしようと思ってコンビニエンスストア事業に行かれたのに、結局行ってみたら違ったわけですよね。ご自分の中で、そのあたりの折り合いはどうされたのですか。

鈴木
仕事を実際にやってみて分かったのは、コンビニ経営の裏を支えているのはほとんどシステムだということです。システム産業そのものであり、システムを利用する産業そのものだと思うのです。ですから、そのシステムをどう使えば価値があるのかということを、しっかり店舗開発担当の人が分かってないと、オーナーさんに説明出来ません。
そこで再認識したのは、システムは使ってこそ価値が出るということでした。また、店舗開発担当をしていると、自分で作っている仕組みではないこともあって、「このシステムでは、店舗運営者(オーナーさん)から見ると、本当にやりたいことが出来ないね」という経験もあります。ですから、使う側の立場で、システムがどうあったらいいのかも分かるようになりました。

能登原
このときには、店舗のシステム担当の人に、鈴木さんのほうから要望をいろいろ出したりしたわけですか。

鈴木
はい。わりと小ぢんまりとした会社でしたから、その辺りは風通し良くできました。ただ、その通りにシステム開発予算を取ってできるかは、また別問題ですが。

能登原
ジャパンエナジーから見ると、規模も風土もベンチャー企業のような感じですね。

鈴木
そうですね。

システム開発も24時間体制を求められる

鈴木 君男さん

鈴木
店舗開発担当を2年間やったあと、ようやく情報システムの部長になり、3年間担当しました。本当にベンチャーというか、小ぢんまりしたところですし、システムの部長が経営幹部と話をする中で、自分たちのやりたいことを実現するのには非常によい環境でした。いろいろなことをやりすぎたのではないかというのはありますけれど(笑)、やりたいことが自分で意志決定できるという環境でした。
その中で、店舗のPOSシステムや本部の情報系システムの更新と、年間10億から20億円ぐらいのシステムの開発を3年くらいやりました。

能登原
POSの入れ替えがメインだったのですか。

鈴木
コンビニのシステムは、まず店にPOSがあって、バックルームにストアーコントローラーという店内サーバがあって、そこから本部の計算センターに全部の情報を集めてくるシステムがあり、本部で受発注処理や経理処理をやるということになっています。同時に本部のほうには、大量のデータを処理してマーチャンダイジングに使うための情報系のシステムもあるという形です。情報分析の観点では、店舗のPOSシステムで、商品一つ一つがいつどんな人にどれだけ売れたのかという、現場の生の情報がどれだけ早く集まり、見やすい分類で意思決定に応じた形に加工され、しっかり使えるのかどうかというのが、本社の商品担当者にとっては重要です。

能登原
なるほど、情報の流れのタイミングと、利用しやすい加工の仕方の両方が重要なのですね。

鈴木
ええ。コンビニでは、欠品状態という、「もっと売れるのに品切れということ」ことがあります。これは大きなチャンスロスです。ですから、店舗側にとっては、類似した立地にある店舗で何がどれだけ売れているのかという情報が、発注のタイミングに間に合うように素早く伝えられるシステムであることが重要です。そういう意味ではコンビニおける情報活用のあるべき姿というのを、非常に現場に近いところと本部の両方で体験できました。
それから、システム部員としては10人いない状況で、ベンダー、メーカーの方々と一緒になって大規模なプロジェクトをやっていきますので、その総責任者として納期を守りながら要件に合ったものを作りあげていかなければなりません。PMとして各社にしっかりとやってもらうというのが、けっこう大変でした。

能登原
少人数で10億、20億の開発を毎年やっていくのは、大変な仕事だと思います。そのなかでも、何が一番大変でしたか。

鈴木
コンビニ店舗は24時間やっていますので、こちらもそれに応じた仕事することがあります。年末も店舗が開いていますから、ほとんど休みなしです。それが一番大変でしたね。店舗が開いている間は、いろいろなトラブルがあるわけです。それが最終的にはシステムに関係することもあります。
毎年大晦日に、年替わり処理というのをします。「今年は何とか無事終わったかな」と思って家で酒を飲んでくつろいでいた時に、「年替わり処理をやったあとで、うまく酒の発注ができなくなった」という問い合わせが店から来たこともありました。最初はその店の問題じゃないかと思ったのですが、同じ問い合わせが他の店舗からも来て、システムの年替わり処理に何か上手く行かなかったところがあるということがわりました。その対応に本部に集まって正月を過ごしたとか、そんなこともありました。

能登原
そういうときは、鈴木さんも駆けつけて行くのですか。

鈴木
そうです。当時はまだ携帯電話もない時代でしたから、ポケットベルの呼び出しですが、あまりいい思い出はないですね(笑)。

能登原
そちらには7年間いらっしゃったのですね。総括するとこの7年間はどういう期間でしたか。

鈴木
普通のIT部門ではなかなか味わえない経験をしました(笑)。
最後の一年間は、今度は店舗運営の指導をするオペレーション部、つまりスーパーバイジングをする部署の統括部長として、販売促進の企画と実際の指導、徹底の仕事をやりました。それこそまさに「自分たちが作ったシステムをどう使って効果を出すか」ということですから、システムの再評価を自らやっていたようなものです。オーナーさん一人一人のことを考えると、「これは使い勝手が悪い」とか、「こちらが思っていた通りには使われていない」というのが、また分かってきました。ですから、システム部は離れましたが、その結果をまたシステムにフィードバックして次のシステムには生かしていこうと思いました。

能登原
そうですね。そうするとPDCAが最後まで回りますね。

鈴木
もうひとつ感じたのは、人が使うシステムはなかなか理想通りにいかないものだということです。最初から百点満点を狙うと、うまくいかないことが多い。最初は7割ぐらいの目標なり機能を満たすものを作って、そのあとで実際に使い勝手を見ながら、追加すべき機能や改良すべきことを、もう一度見直してやっていくということが、やはり重要なのかなと思いました。

(次回に続く)

構成:萩谷美也子

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