2009年12月18日
森川 富昭さん
徳島大学医学部・歯学部附属病院 病院情報センター
センター部長 病院教授
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森川 富昭さん(もりかわ とみあき)さん
徳島大学医学部・歯学部附属病院 - 病院情報センター
センター部長 病院教授 - マサチューセッツ工科大学とハーバード大学でMOT(技術経営)を受講し、神戸大学でMBA(経営学修士)を取得。2009年、徳島大学病院 病院教授。
- 現在、病院情報センター部長として大学病院のIT化を担当。 電子カルテの構築や医療経営に携わる。専門は医療情報学と医療経営学。40歳。徳島 市在住。
ITって暗くて面白くない!?
能登原
今回の対談は、当コーナとしては、非常に珍しい方をお招きいたしました。国立大学の医学部教授であり、病院CIOでもある森川先生です。先生には、今回の対談において、今までITとか医療の道に進まれていく中で、どのように成長され、また、後進たちにどのようなことを伝えたいかをお伺いしたいと思います。まず、手始めに学生時代の頃をお伺いしたいと思います。
森川
はい。私は、徳島大学の工学部に入学しました。そして、就職の頃は、バブルでしたのでどこの企業からもひっぱりだこでした。その時は、毎日企業の採用担当の人とお肉ばかり食べていた記憶があります。しかし、そのときは就職せず修士課程に進みました。修士の卒業時には、就職状況は、全く一変しており、とても難しくなっていました。ITは、暗い仕事だと思っていたので実は、IT関係の職には進みたくありませんでした。ただ、メールとかインターネットの仕組みが出始めた頃で、ITの仕事も、もしかして面白いかもというのがありました。その頃は、企業と一緒に共同研究をするチームに入れられまして、マックのシステム開発ばかりやっていました。正月3日間以外は、もうずっと研究室に残っていました。それ以前は、プログラミングをやったこともなく、やる気もなかったのですが、その1年半は、ほとんど大学でプログラミングばっかりやっていました。それでプログラミングを覚えました。
能登原
それはそれで面白かったのですね。
森川
面白いということは全くありませんでした。とりあえず任せられた仕事だけやりました。そこでは、人脈管理システムというのを作りました。名刺をOCRで読み込んで、それをデータとして入れて、人脈の強さを示す指標として、人脈強度というものを作りました。例えば、コンサートのチケットを取りたいと思ったら、社内の人脈を活用して誰に言えばとれるんだという仕掛けを作ってビジネスに活かすという共同研究を色々とやっていました。そこで、私が考えたのが人と人の距離には、強度があるということに着目し研究していました。しかし、そのようなシステムを作っていましたが基本的には、IT方面には行きたくなかったんです。その当時は、ITと言うとバックオフィス的な意味合いで使われていました。だから、偉くなれない。従って、やりたくないと思っていました。
私が受けた就職先は、メディア、銀行、証券で、これらの会社から内定をもらっていました。しかし、以前母親が私の受験の時に乳がんの手術をしていたので医療に興味がありましたし、元々医者になりたかったこともあって、徳島の企業に一年間お世話になりました。ただ、大学でお世話になった教授がせっかくあのような研究をやっていたし、データベースとかインターネットの技術を持っているのだから大学の先生にしてやるから帰ってこいと言われました。徳島大学歯学部の助手として採用していただいて、JICA(国際協力機構)のプログラムで中国、ブラジル、日本をインターネットで結び、乳幼児、子供たちの虫歯の調査データを日本に送る仕掛けを作りました。当時、中国に行ってもインターネットが出来るところは、大学でも何重にもなった部屋の中でやるような状況でした。そのシステムでは、遠隔医療システムの特許取得もしました。
能登原
そのとき、森川先生を呼び寄せた先生は、歯学部の先生だったのですか。
「大学」の世界から呼ばれる!
森川
いや、工学部の先生です。歯学部の世界にデーターベースが必要なので、「君ならいける」と、意味わからずに言われました。
能登原
そのようなニーズが歯学部にはあったのですね。ぜひそういう人材が欲しいと。
森川
よく聞けば、今までも他の大学に人を送り込んだようなのですが失敗しているのです。君は、キャラクターがいいし、変っているからいけるぞと。私も、おそらく送り込まれただけなのですけれども、そこの教授にすごく気に入れられて、色んな論文を書かせてもらって特許も出しました。それがきっかけで、大学側がベンチャーを立ち上げなさいと言われました。その当時は、新聞にも掲載されていたのでちょっとだけ有名人になっていました。
能登原
大学側が独立行政法人になる頃だったのですね。
森川
はい。今から10年ぐらい前です。大学には、知的財産に関する予算があるときです。大学は、お金をとってきたからベンチャーを作らなきゃいけない。だから、インキュベーション施設を作って、そこに若手の研究者を入れました。私もベンチャーを作ってくれと言われました。
能登原
そういうことが出来そうな人ということで選ばれたのですね。
森川
私は大学の給料には、全く納得していませんでした。企業でもらっていた給料と大学の給料の差は何だ。毎日こんなに遅くまでいて、教授に仕えていて、よくわからないと感じていました。だから、ベンチャーをやってもいいかなと思いました。ただ、ベンチャーするとなると利益相反とかややこしい話があるのでそれだったらやっても意味がない。だったら、大学を出て会社を興すか、もしくは大学にいる方が賢いんではないかとずっと思っていました。当時、私は経営とかそういう世界は全く知りませんでしたが、経済産業省のプログラムでMOT(マネジメントオブテクノロジー)をMIT(マサチューセッツ工科大学)のスローン校で講義を受けさせてもらえるという機会があり、MOTとかコミュニケーションは大事であることを勉強させてもらいました。そこで、MBAを初めて知りました。
能登原
日本だと工学部の先生がMBAを取得している例は、少ないですよね。
森川
そのまま、そこで留学するという手もあったのですが海外のMBAをとったら日本に帰ってくるよりも向こうで就職した方が絶対いいんです。やはり、MBAホルダーだと年俸が大体最低1000万円から始まるのでどうしようか悩みました。一方で、ボストンでの滞在費が非常に高く、月に20~30万円するので余り意味ないとも思いました。それで、日本でMBAを探したら神戸大学、一橋大学、慶応大学はすごくいいと聞きました。それらの大学の中で徳島から通えるところを考えたら神戸大学があったので受験しました。そして、石井淳蔵先生の門下生になりました。
電子カルテ導入委員長に大抜擢!
能登原
森川先生は、様々なことを経験されてきたのですね。ところで先日、先生から徳島大学の電子カルテの話をお聞きしましたがどのような経緯で関与されたのですか。
森川
医療にも経営にも特化している人間ということで、うちの大学の病院長に電子カルテをやれと言われました。その時、私は歯学部の助手だったのですが助手兼委員長としてやりなさいと言われました。普通は、そのような人事配置はありません。通常、教授が委員会の委員長をやるものでして、それが助手でやらしてもらえることになりました。
電子カルテは、医師にとって使いにくいシステムで、いまだにちゃんと動いていないところが多いです。我々は、会計検査院が入った時に困るのでどうにか動かそうということで動かしました。結果、現在電子カルテが有効に稼動している大学として非常に有名になりました。ただ、電子カルテをこの仕組みのままやるというのは私にとっては、面白くありません。プロジェクト管理みたいな仕組みが全くないから、えいやでやるしかないという状況で5年間やってきました。ただ、それでは良くないと思っています。現在、電子カルテがESをあげるツールとして、どのように活用できるか必死に考えているのですが周りには、中々その思いは届かない状況です。以前は、コミュニケーション理論とかをわかっている人間でないと出来ないと思っていましたが最近では、アントレプレナーシップの精神がないとだめであるとも思っています。おそらくそういうのは、いくら教えてもだめで、教えるものではなくて、どこからか人を探すしかないかなと思っています。
能登原
確かにそうかもしれませんね。人ってそれぞれ性格もありますし、スキルもありますし、持って生まれた能力も違います。ですから、中々思ったようにいかないですね。特に森川先生みたいに新しいものに挑戦して、何か作り上げていくというような能力というのは、バイタリティというか熱意というのが必要で中々そういう人を探すのは、難しいですね。
森川
そうですね。皆、評論はするのですが実行はしない。先日のアイ・ティ・イノベーションの講演で聞いたスピードとか実行力とかは、口では言う人はたくさん居るのですが現場では、それが出来る人間を探さないといけません。また、そういうのをどうやって教育するかも課題です。
(次回に続く)
