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    <title>プロマネへの道</title>
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    <updated>2010-02-15T00:24:35Z</updated>
    
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    <title>森川　富昭さん（５）　徳島大学</title>
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    <published>2010-02-15T00:30:00Z</published>
    <updated>2010-02-15T00:24:35Z</updated>
    
    <summary>意思決定がポイント！ 能登原 先生は、実績を積み成功を重ねてきましたので失敗とか...</summary>
    <author>
        <name>kimura</name>
        
    </author>
            <category term="20.第20回　森川　富昭さん" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.promane.jp/career/">
        <![CDATA[<h2>意思決定がポイント！</h2>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
先生は、実績を積み成功を重ねてきましたので失敗とかあるんでしょうか。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
大きな失敗はないですが失敗ばかりですよ。ずるい人間なんです。成功するように持って行きますから。それと大きな予算は入れません。小さく行って、成功事例を作っていけると踏んだ時点で予算をかけます。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
ダメなときは、どうされるのですか。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
すぐにやめます。「すいません。間違えでした。」と言って引っ込めます。その辺は、あまりこだわらないです。　</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
潔いですね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
はい。私は、完全に潔いですね。　</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
でも、ある意味ちゃんとプロジェクトマネジメントができてますね。</p>

<img src="/career/image/morikawa12.jpg" alt="森川　富昭さん、能登原" width="300" height="96" />
<p><strong>森川</strong><br />
そうですか。企画段階で色んな知恵を入れてきて、今までの知恵にこだわったらいけないと思います。ちゃんと見て、評価してやめるものはやめる、入れるものは入れる。　</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そこの意思決定は、ある程度スピードがないとずるずると時間ばかり過ぎますし、お金も無駄にしますしね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
私は、色々とやっているので各プロジェクトについて、なんとなく見えているところもあるので意思決定は、無茶苦茶早いですよ。出張がすごく多いので徳島に帰ってもずっと会議です。そこでは、全ての事項について決めます。気持ちいいぐらい早いと思います。これは、いつか成功するに違いないから予算投与すればもっといけるんではないかという意見については止めます。先ほども言いましたように私は、あまり予算はもらいません。皆、企画レベルで1億、2億の絵を描きますが百万円単位でまず作ってみて、成功する可能性が出てきたら1億かけてもいいと言っています。1億数千万円もするシステム関係は、事務方は、反対ですよね。医者は大賛成しますがそのかわり絶対使うことを医者に約束させます。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
投資対効果がでないと厳しいですよね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
すべてのシステムに私は、投資対効果を計算します。それは、絶対計算出来ます。なぜなら、システムを入れる前と入れた後で人の割合、売上の割合は完全にイコールではく、変化しますから最低限そこは、押さえます。だから、うちのトップにも言います。これを入れることによって、環境は、このようにこう変るので絶対に価値が出るので、だからやりましょうと。もしくは、売上に変化はないかもしれませんがこのようなところで効率化ができますと言います。これは、厳しいぐらいに評価をします。それがない企画は、全部却下します。よくわからないけどやってみたいとか、世間がそうやっているからやりましょうというのはうちのプロジェクトではありません。私の部下には、企画を100本出してきなさい、1本でもあたったら最高だと言っています。また、100本企画を出せるように勉強しなさい、本を読みなさい、色んな人と出会いなさい、そして様々なケースを知って病院にどう使えるかを考えなさいと言っています。新しいことをイメージできるような能力はあなた方にはないとも言っています。だから、まねろと。例えば、トヨタがやっていることを見てきてうちに出来るかを考えろ。まねてみてそれが医療の何かができたらそれは、新しい発見だ。現場が良くなったと言われればその仕組みは売れるという発想です。私は、変りものなんです。</p>

<h2>PMBOKを病院に！</h2>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
研究会で私が森川先生とお会いして、プロジェクトマネジメントで少し役立つとか影響されたことはありましたか。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
この間もある先生に呼ばれて、大学で講演させてもらいましたが医療の世界では、やはり管理の仕組みと評価の指標が出来ていないのが事実です。それをうまいことできないかなと思っています。評価の仕組みをどうにか作り、PMBOKの仕組みを現場の力と一緒になって、病院用に置き換えて作れないかと思っています。たまたま私たちは、えいやで成功しているところがちょっとあるだけでそれは、情熱だけなんですよね。しかし、先ほど言われたように森川がいなかったらつぶれちゃうんですよ。そうではなくて、フレームワーク化して拡げられる仕組みをつくりたいです。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
それは、おもしろいですね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
私たちは、ノウハウがあるのでこれらをちゃんとマニュアル化してなんらかの形にしたいと思っています。また、外資系のコンサルティング会社は、海外の事例をたくさんもっていて、またいいモデルも知っているのでその辺も一緒に調べて、研究者支援をしようとも考えています。ただ、今大学全体を良くしていこうという使命感が強くなってきています。大学の資産は、研究です。研究資金をいかに取ってくるかは学生ではないんです。研究者の視点は、自分がいかにいい研究したいかということですから、強い大学を作るのであれば研究の成果をもとに外部資金、国の資金をとってきてそれを産業に還元できるかが重要です。それから、私はコミュニケーションとかをマネジメントの中に体系化したいのですがリーダシップ、コミュニケーションとかは、体系化しづらいんです。最後は、心理学的な意味合いになるんですね。　</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
コミュニケーションは、最終的に人の話になってしまうので　人の個性とか資質に依存してしまいますね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
そうなると難しいですね。私は、マニュアルとかフレームワークのように担当者が変ってもある程度維持が出来るようなものが欲しいです。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
100点でなくても80点でもいいですね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
マニュアル作りというのが今、公的機関には不足しているのは事実なんです。きっちり難しく書きすぎるとだれもできないので、できるだけわかりやすいフレームワークにする必要があります。学問じゃなくて、実在主義の中でフレームワークを作りたいです。PMBOKを応用して出来ませんか、能登原さん。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
貢献したいですね。私たちもITの世界だとある程度貢献できる部分はあるのでおそらく医療でもチーム医療のようなものに多少は貢献できるかなと思っています。その辺でなんか上手い具合にフレームワークができると本当にいいと思いますね。　</p>

<p><strong>森川</strong><br />
ヘルプデスクには、いっぱいニーズが溜まっています。ヘルプデスクにきた案件は、システム連絡票という形におとすとメーカーにいきます。システムというのは５年、６年の契約で更新しますから、その更新時にまた一から仕様書を書かないといけない。一方で、ヘルプデスクにきた案件のナレッジのデータベースを元にもっと簡単に仕様書に落とすことができないのか。そういう仕組みがあったら、多分どこの大学でも助かります。今は、メーカーさんが仕様書を書いてもってきている。せっかく溜まったナレッジが生かされてない。もし、それをしっかり評価する仕組みがあったらいいですね。そういうこと研究費を投じて企業と一緒にやったらみんなハッピーになりますよ。やはり、私は売るという視点で見てしまいます。うちは完全にオープンなのでその成果物の著作権とかいいませんのでそれは、皆さん方が売っていただくとかすれば病院コンサルも出来るでしょう。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうですね。森川先生と話しているとなんかわくわく楽しくなりますね。　</p>

<p><strong>森川</strong><br />
はい。よく元気になると言われます。出来る可能性を見出してくれるとも言われます。そういうので私は、徳島大学で経営塾をやらせてもらっています。昔がんばってきた人たちと一緒に知恵を出し合いながら、病院のためにならないか考えています。</p>
　
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
知恵を仲介できる人ってなかなか少ないと思います。色んなことに興味をもってないとわからないし、また足を運ばないとわかりません。</p>

<img src="/career/image/morikawa13.jpg" alt="森川　富昭さん、能登原" width="300" height="106" />
<p><strong>森川</strong><br />
色んな業界を知らないとできません。今、デジタルサイネージを徳島で有名な饅頭屋に使おうとしています。今まで店を出していないので、投資額を安くして売れればハッピーです。実験的に最初は、30万円ぐらいからやっています。店舗だったら30万円では、出来ない。そういうのを企画すると先方は、非常にハッピーになります。最初は、私はとにかく少ない金額で損のないお金で全部やって、いけるとなったら賭けます。最初、少額で始めると情熱で上手く出来るところもあるし、問題点も見つかってきます。最初から100万というオーダーは絶対しません。あまり企業さんからすればおもしろくないかもしれませんね。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
企業側もそう思っているじゃないですかね。企業側からすれば森川先生なら、なんか面白いものが出来るという期待が大きいのではないですか。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
本当にありがたいのは、大学には1日10社以上きます。「これどうしましょう」「どうします？」「先生なんかできません」とか言ってきます。私は、色んな人と話をして、考えて提案します。本当に人が来てくれるようになりました。それが一番ありがたいです。人が来てくれることは、知恵が出る可能性が大きいということです。また、悪い人が来ないんですよ。お金もあまりがないので来てもしょうがないんですけど。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
やはり、先生のところに訪問する人は、触発されるためにくるのではないでしょうか。私もこの長時間の先生との対談で色々と元気をもらい、触発されました。もっと、先生のお話をお伺いしたいところですがこの辺で先生との対談を終わりにしたいと思います。本日は、誠にありがとうございました。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
こちらこそ、ありがとうございました。</p>

<p>（おわり）</p>
]]>
        <![CDATA[<h1>森川　富昭さん<br />
<span class="guestco">徳島大学医学部・歯学部附属病院　病院情報センター<br>
センター部長　病院教授</span></h1>
<dl>
<dt>
<img src="/img/p/morikawa-l.jpg" alt="森川　富昭さん" width="100" height="100" />森川　富昭さん（もりかわ　とみあき）さん<br />
徳島大学医学部・歯学部附属病院</dt>
<dt>病院情報センター<br />センター部長　病院教授</dt>
<dd>マサチューセッツ工科大学とハーバード大学でMOT（技術経営）を受講し、神戸大学でMBA（経営学修士）を取得。2009年、徳島大学病院　病院教授。</dd>
<dd>現在、病院情報センター部長として大学病院のIT化を担当。
 電子カルテの構築や医療経営に携わる。専門は医療情報学と医療経営学。40歳。徳島
 市在住。</dd>
</dl>]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>森川　富昭さん（４）　徳島大学</title>
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    <published>2010-02-01T00:30:00Z</published>
    <updated>2010-02-01T00:33:47Z</updated>
    
    <summary>後進の育成・・・アントレプレナーシップ 能登原 先生は、部下が何人もいらっしゃる...</summary>
    <author>
        <name>kimura</name>
        
    </author>
            <category term="20.第20回　森川　富昭さん" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.promane.jp/career/">
        <![CDATA[<h2>後進の育成・・・アントレプレナーシップ</h2>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
先生は、部下が何人もいらっしゃると思いますが、おそらく森川先生はいつまでも徳島大学にいらっしゃるとは思えません。そうなると、ポスト森川先生を作らないとならないと思います。そうした場合、先生は、後進の育成をどのようにお考えですか。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
現在、後進の育成をやっていますけど、先ほど申しましたように結局は無理だと思います。アントレプレナーシップの気持ちがある人間であれば、該当する専門性がなくても教えたら出来ると思います。ただ、「おりこうちゃん」がいっぱいいるんです。だけどそんな人では、無理です。だから、私がいなくなったときは、組織として今のやり方の方法論だけは、残るんです。おそらく、ヘルプデスクを作ってちゃんと審議してやっていくとか、情報交換をしっかりと行うと思いますが、そこに気持ちがあるかどうかなんです。本当に良くしたいという気持ちがあるかが難しいです。そういった育成は、私にはできないです。それをやろうとしてずっと私の部下にも言い続けてきましたが、最近まあ「おりこうちゃん」でいいかなと思っています。一般企業だったらいっぱい人を入れてふるいにかけることもできます。GEでは、なんらかのチームを作るときは、一人はヘッドハンティングしてでも他から絶対とってくるそうです。内部から出てきた人間と他から来た人間でひとつのものを構成していくそうですが、大学ではそんなことができないです。大学は、そこまで人材がこなくて非常に難しいです。ただ、自分がどっかにいけるポストがあれば、本当にやりたい人に私のポストを明け渡しても自分はかまわないといつも思っています。ただ、今の大学病院に私がいるのは、うちの病院長が上にあがる可能性が高くて、研究者支援の仕組みを病院長と一緒に作りたいと思っているからです。病院のESを上げるための研究者の支援をしたら、強い病院ができる、強い病院ができたら強い大学ができるといった使命感だけなんです。ですから、最後はやる気とも思っています。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
先生をそこまで突き動かすのは、使命感とおっしゃいましたがそれだけなんですか。</p>

<img src="/career/image/morikawa09.jpg" alt="森川　富昭さん" width="169" height="149" />
<p><strong>森川</strong><br />
よくわかりませんが、情熱だと思っています。絶対、やり遂げたいとか絶対、よくしたいという何かわからない気持ちですね。私は、事務部長であれ、誰であれ大体喧嘩するんですよ。「お前は、あほやろう」とか「病院の幹部はなってない」とか「なんのためのフレームワークなんだ」、「経営戦略を出せ」、とか暴言を吐きますが次の日は、「すいませんでした。でも、やりたいんです。結果出すからやらしてください。」と言いに行きます。でもなにゆえに私は、そこまで固執して物事をやっているのでしょうか。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
毎日、そういうことをやることは、楽しいからですか。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
楽しいですね　やはり、物事を動かして最後に喜ばれる自分が好きなんですよ。簡単ですけど、ほめられるとあがっていくタイプなんです。当初、絶対、電子カルテは導入出来るとは、思っていなかったので、「森川君あのシステムが入って本当に良かったよ」と一言ドクターが言ってくれたときは、嬉しかったです。　</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
この間、写真で徳島大学の電子カルテを拝見しましたが、あの様に便利だったらいいですよね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
紙に書くより、よっぽどきれいに書けますから便利です。大学の先生は、外の病院にもバイトにいっているのでその差をすごく感じるわけです。大学の電子カルテとあそこの病院の電子カルテは、違うとか。また、よく話しを聞いてくれるとも言われます。やはり、その辺のコミュニケーションも重要だと思います。ただ、私を突き動かすものは私自身わかりません。適当にやれば適当にできるのですが、私は、いつも不安なんです。今の状態では、満足しないし、また人を喜ばしたいという気持ちも非常に強い。朝、大体５時に起きますが5時から7時ぐらいまでは、あれどうなっているのかとか、これはいけているのかとか、彼はやってくれているのかなとか、いちいち電話したりしています。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
社会人になってから、そのような行動になったんですか？</p>

<img src="/career/image/morikawa10.jpg" alt="森川　富昭さん" width="169" height="149" />
<p><strong>森川</strong><br />
昔からです。人より秀でたいというのは、昔はもっと強かったです。人より儲けて当たり前とか、人より出来るとか、数学は負けないとか、そのようなプライドはずっとありました。周りの友達には、医者が多いですから、なんとなく負けているような気がしています。ですから、彼らに勝つにはどうしたらいいのだろうかとかいつも思っています。</p>

<h2>企業に勤めていた頃</h2>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
ところで、先生は、民間企業にも勤めていましたが、情報システム部門にいたのですか。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
営業企画にいました。私がITをやっていたので何か提案して欲しいと言われまして、見積システムを提案しました。それは、PDAみたいなものでピピットやれば、ぱっと計算できるものです。今までは、それが出来ないのが私にはわかりませんでした。その後、自動車販売などに同様の見積システムが動くような時代になってきました。そこの営業企画では、企画をたくさん書きました。また、すごく部長などにもかわいがられまして、「やめるな」、「なんで大学いくんだ」、「その分会社から出してやる」、「学位取りたいのか」、「博士号がいるのか」とか言ってくれました。ただ、失敗したと思ったのは、大学は給料が無茶苦茶安かったことです。私は、それまで大学の先生ってすごい給料が高いと思っていました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
森川先生は、民間企業の営業企画部門にずっといらっしゃったのですね。　</p>

<p><strong>森川</strong><br />
はい。ただ、ずっと勤めるつもりは、ありませんでした。私は、それまで徳島に住んでいましたから大阪で満員電車に乗ることが悲しかったです。部長さんもみんな満員電車に乗るわけですよ。なんでこんなに給料もらっている人が大変な思いをして、会社に行かなくてはならないのかと思いました。偉くなったら、車で行って、秘書とかが付いてというイメージが強かったです。だから私は、このままではいけないと思いながら、会社に行きながら司法書士の勉強をしていました。田舎に帰って、一番儲かるのは、なんだろうと考えると、司法書士は、銀行とくっついているので儲かるという話を聞いて必死になって司法書士の勉強を始めました。そして、しばらくすると大学の人間として呼んでくれるというので行きました。それがよかったかどうか全くわかりません。　</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
先生は、ITの専門家というか完全にユーザ目線ですね。</p>

<h2>CSとESは、重要</h2>
<p><strong>森川</strong><br />
はい。すべてそうですね。本当は、CSをあげたいのですがCSをあげるまでには、至らなくてESをあげないとCSがあがらないと思っています。だから組織が大事だと思っています。</p>

<img src="/career/image/morikawa11.jpg" alt="能登原" width="169" height="149" />
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうですね。ESをあげないと中々病院のようなところは上手くいかないのでしょうね。ある意味、心に余裕がないとダメだと思います。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
ホームページを一つ作る場合でも、あなたが経営者の立場で作っていると考えろと部下にはいつも言っています。見る人はユーザが見るわけですからその良し悪しの評価は、非常に厳しくなります。しかし、それがわからない人がいっぱいいます。　</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
それは、視点が元々違うし目的志向ではないですね。森川先生は、こういう目的のものを作りたいというのがありますが、そうでない人は、単に作業なんでしょうね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
そうですね。ただ、それだと発展性はないのですが皆業務が多いのでそれに気付かないのです。私は、それが一番嫌いなのです。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
大学が一番独創的でないとだめですよね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
だから私は、考える力をどのようにして養うかを人材教育で教えないといけないといつも言っています。最近よくやっているのは、色んな会社にうちの助手とかをとにかく行かすようにしています。なぜなら、私が同じ言葉を言うよりか、他の人から言ってもらったほうがその人が変わるんですね。例えば、システムを共同研究でやっている企業に朝の7時30分に行かして、進捗管理を一時間やってくるとかをやらせています。そうなると企業がやらなければいけない目標と大学のいい加減さがわかってくるし、服装もましになってきます。大学にずっといると汚くなるんですよ。企業に行くとみんなきれいにしないと怒られるのでシャツを新しいのに替えたりとか、ピシッとなってきます。ただ、大学でそういうことを教えるのは、難しいですね。　</p>

<p>（次回に続く）</p>]]>
        <![CDATA[<h1>森川　富昭さん<br />
<span class="guestco">徳島大学医学部・歯学部附属病院　病院情報センター<br>
センター部長　病院教授</span></h1>
<dl>
<dt>
<img src="/img/p/morikawa-l.jpg" alt="森川　富昭さん" width="100" height="100" />森川　富昭さん（もりかわ　とみあき）さん<br />
徳島大学医学部・歯学部附属病院</dt>
<dt>病院情報センター<br />センター部長　病院教授</dt>
<dd>マサチューセッツ工科大学とハーバード大学でMOT（技術経営）を受講し、神戸大学でMBA（経営学修士）を取得。2009年、徳島大学病院　病院教授。</dd>
<dd>現在、病院情報センター部長として大学病院のIT化を担当。
 電子カルテの構築や医療経営に携わる。専門は医療情報学と医療経営学。40歳。徳島
 市在住。</dd>
</dl>]]>
    </content>
</entry>
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    <title>森川　富昭さん（３）　徳島大学</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.promane.jp/career/2010/01/000829.html" />
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    <published>2010-01-18T01:00:00Z</published>
    <updated>2010-01-18T06:04:05Z</updated>
    
    <summary>病院CIOって？ 能登原 森川先生の活動の中で、病院CIOがありますが、実を言う...</summary>
    <author>
        <name>kimura</name>
        
    </author>
            <category term="20.第20回　森川　富昭さん" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.promane.jp/career/">
        <![CDATA[<h2>病院CIOって？</h2>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
森川先生の活動の中で、病院CIOがありますが、実を言うと私初めてそのような活動があることを聞きました。病院CIOというのは、あまり耳慣れない言葉でして、導入しているのは相当早い方だと思いますが、導入の経緯とかお聞かせ願いますか。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
導入は、していません。私が勝手に言っているだけなんです。8月から病院CIO研究会を立ち上げました。実は、そこに協賛してくれている企業は、元々共同研究とかでお付き合いのあった企業を呼んでいます。あと、外資系の企業も入れています。なぜかというと外資系はフレームワークを持っているのが理由です。CIOと言うとどうしてもITと思われがちですが、やはりITではなくて情報戦略部隊であり、組織のNo.2として病院長とタイアップし、経営戦略、情報活用を考えるべきだと思っています。研究会では、論文を出すとかそういうのではなくて、経営に貢献するための見える化とITによって、業務効率が本当に良くなるかがテーマです。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
ということは、研究会でやった成果を実践でやっていこうことですね。</p>
<img src="/career/image/morikawa05.jpg" alt="森川　富昭さん" width="169" height="158" />
<p><strong>森川</strong><br />
はい。普通、学会だと研究が主なので宇宙の話とかいっぱいでてきますが、そうではなくて、完全に実践型で行いたいと思います。リーダ教育とか、リーダはどういう人がなるかとか、院長とのコミュニケーション、理事長とのコミュニケーションは、ちゃんとできているか　とかIT用語を使わずにどのようにして、経営と運用とITをミックスして経営者はわかってくれるのだろうかとか、そういうのを皆で話し合うことを考えています。｢森川君の経験をしゃべれ。｣とよく言われますがまずは、それを話すことで広めていこうと思っています。なぜならば、我々が作ってきた医療におけるITというのが東京大学でもこの4月に入り、また全国の数大学に入りました。だから実績があるので、その仕組みはどうなっているのかとか、病院長とのやりとりの仕方とか、医事改革というのを皆が聞きたいようです。そのような事をどんな戦略でやっていくかとかの話をしながら、また私だけでない事例を持っている方もたくさんいらっしゃるはずなので、そういう人たちを講師にして一緒に勉強会していってよくしていこうと思っています。そこで生まれてくる色んな仕事は、メーカーさんと病院は勝手にやっていただいて結構だと思っています。　</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
色んな情報が集まりますね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
私が一番嫌いなのは、メーカー批判、メーカーたたきをすることです。講演の際に壇上で｢NECさんありがとうございます。｣と言ったのは、おそらく私だけだと思います。参加者からは、ブーイングですよ。他の大学の先生からあいつは誰だとか、何でNECに感謝しなければいけないんだとか色々言われます。私は、それ自体がもうおかしいと思っています。だからこそ、発展しづらくなってしまう。メーカーなりの考えもあるし、ずるいとこもありますし、我々もずるいところが当然あるわけですが、そこは、やはり一緒に作っていく仕方のないパートナーであり、結婚したのと一緒だからあきらめろとは言っています。　</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
結婚しないまでも友情関係にはしたいですね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
そうですね。そうしたらお互いに知恵がでてきます。ですから先ほどの病院CIO研究会の話に戻りますが一緒に考えるパートナー会をメーカー、病院、ユーザが集まって作りたいと思っているわけです。</p>

<h2>IT化って本当に効率化？</h2>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
先ほどおっしゃられたITを効率化に使うというのは、人手不足と言われている医療においては、その品質を上げることになりますね。　</p>

<img src="/career/image/morikawa06.jpg" alt="森川　富昭さん" width="200" height="126" />
<p><strong>森川</strong><br />
そうですね。医療システムで、非常にレベルが低いとと思うのは、入力の仕組みです。仕組みは、たくさん作るのですが、しかし、どのようなものを出力するかを考えていない。普通は、こういうデータの集計が欲しいから、このようなデータを入力すると決めますが、そんなの全く考えてなくてとにかく入れる。それがまずまちがいであって、普通ITというのはマスターデータをちゃんとすればきれいにデータが流れるのに、マスターデータが医事システム、オーダリングシステム、電子カルテなどばらばらにあり、またそれらマスターデータをつなぐ仕組みとかが必要となります。非常におかしいですね。　</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
全部のデータをうまく整理するということを考えてやれば全く効率が違いますね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
そうですね。ちょっと前まではデータやシステム間連携の標準化が出来ていなかったですが、今ではデータの整理とか出来ます。でも、まだやろうとしていない。私は、そこがおかしいと思っていて、そういうことを透明化して病院長に教えてあげないといけません。「なぜ、ITで人が余計に必要なんだ」、「何でお金がかかるんだ」、「IT化って本当に効率化か？」という疑問に答えなければなりません。「先生違うんです。こういうことでこうなってきたんですよ。それをご理解ください。」というようなことを言える人が今までいなかったのだと思います。　</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうですね。メーカー側もそれをうまく説明出来てなかった面もありますね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
その通りです。メーカー側は、買ってくれるからどんどん入れていくし、買ってくれても最初は、マスターデータをメーカーが入れてくれますが、その後我々が使うとなると我々自身で独自のマスターデータを入れなければいけない。独自のマスターデータって非常に危険でして、担当者がいなくなったらマスター管理が出来なくなる。そこを私はマニュアル化をして、担当者がやめてもできるような仕組みを作ろうということをずっと言い続けています。</p>

<img src="/career/image/morikawa07.jpg" alt="能登原" width="169" height="148" />
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
企業の中においてもデータベースの設計とかデータの品質とかは、本当に重要であり、その部分が上手くいっていないところが多いです。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
そうですね。だから以前、能登原さんからプロジェクトマネジメントに関する資料を頂いて、私はプロジェクトマネジメントが成功しないところが本当に多いこと、要求定義もちゃんとできていないと納期も遅れることなどの説明に活用させていただいています。そんなこと当たり前ですよね。うちも売上の５％もIT関係に使っているので、こんなに遅れていいのかとかいうことを、ちゃんと考えないといけないんですよ。但し、機械買うのと、仕様書作るのとでは全く違うので、そういうことを経営者は理解し、最終的にコミットしてくれないと出来ないという話をずっと言い続けてきて、最近ようやく皆さんが理解してくれるようになってきたかなと思います。やはり、理解してもらうには、コミュニケーションを上手にもたないといけません。そうしないと、経営者からみたら「何でお前らは意味の分からん言葉をしゃべって・・・・」という結果になってしまいます。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうですね。３文字英語など多いですから外から見たらわかりにくいですね。　</p>

<p><strong>森川</strong><br />
結局、ITを導入するとお金は増え続け、人件費も増え続け、意味がわからないとよく言われます。ですので、私は担当者に悲しくなりませんかといいます。そして、ちゃんと透明化して伝えて、改革しましょうと言っています。今まで、自分がやってきたことを私の部下にも分かって欲しいです。実は、今の仕組みにももう飽きています。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
今まで一つずつ積み上げてきて、そして経営とかマネジメントの方に入ってきたら、もうちょっと新しいことに挑戦したくなりましたか。</p>

<img src="/career/image/morikawa08.jpg" alt="森川　富昭さん" width="200" height="89" />
<p><strong>森川</strong><br />
そうなんですよ。全く新しいことをやりたいです。今度手がけるのは、デジタルサイネージです。徳島県の阿波踊りの時にサイネージ機を設置して、フェリカでピッとやると阿波踊り情報が取れる。でも、私は医療の人間ですからこんなことをやるとおかしいと言われるので、ケーブルテレビに糖尿病のコンテンツを作って流すということもしています。また、　新聞で番組宣伝やってケーブルテレビに流して、今度はそれを1ヵ月後にネットでも流しています。大学のこれからの価値は、全部コンテンツであるわけですからそれをいかにオープンにして、資金を入れるかにかかっています。ですから、デジタルサイネージ機というのを徳島県内の10箇所に入れています。例えば、空港、車が集まるところ、観光施設などです。そこで流すのは、健康と観光と防災です。そして、デジタルサイネージ機の下でピッとやると情報が取り込める。例えば、すだちが売っていたらEコマースで販売する。そうすれば、県内が活性化する。せっかく徳島に来てくれたお客さんにもう一回買ってもらうような仕組みとか、徳島にまた来てもらうような仕組みとかが出来ると思います。そういった企画を県とか新聞社と話をして、今回実験的に阿波踊りの期間にやってみるつもりです。まず、サイネージ機の横に着物を着た女性を立たせて、「携帯でこうやってもらうと無料で情報がとれますのでどうぞ」とやって、携帯電話でピッとやると阿波踊りのお囃子の着うたとかダウンロードできるんですよ。そういう臨場感と現場のリアルとネットをつないでの仕組みを携帯電話でやってしまう。また、有名連がどこにいるかとかを携帯電話でチェックできるようにします。このような企画を作って、お金をとってきて実施する。そして、実験成果がでたら県の予算をつける。</p>

<p>ただ、私は医療の人間ですからそこに健康番組を流す必要がある。例えば、メタボに関する情報も携帯電話で読めるようにして、サイネージ機を病院に置いておけば、待ち時間にピッと携帯電話でやったら読めます。まあ、病院の外でもそういうのをちょっと仕掛けたりとか、変ったことをかなりやっています。私は、じっとしていたら死んでしまいそうになります。</p>

<p>今日、伊豆で公立病院協会の8病院が集まって講演会をしました。事務の若手に対する教育とか医事改革はどうすべきであるかとか、どうやって組織と闘うかなどを話しをしましたが、そこでも変ったことをずっとやっていますねと言われます。また、あなたのキャリアは、どういうところにもっていきたいんですかとよく聞かれます。究極は、自分の趣味だけで生きていってアーティストになりたい。家族も私も好きなことをして生きたい。息子たちが私立のどっかの学校に行きたいというときにお金がないからやめときなさいという親には、ならないようにしたいと思います。</p>

<p>（次回に続く）</p>

]]>
        <![CDATA[<h1>森川　富昭さん<br />
<span class="guestco">徳島大学医学部・歯学部附属病院　病院情報センター<br>
センター部長　病院教授</span></h1>
<dl>
<dt>
<img src="/img/p/morikawa-l.jpg" alt="森川　富昭さん" width="100" height="100" />森川　富昭さん（もりかわ　とみあき）さん<br />
徳島大学医学部・歯学部附属病院</dt>
<dt>病院情報センター<br />センター部長　病院教授</dt>
<dd>マサチューセッツ工科大学とハーバード大学でMOT（技術経営）を受講し、神戸大学でMBA（経営学修士）を取得。2009年、徳島大学病院　病院教授。</dd>
<dd>現在、病院情報センター部長として大学病院のIT化を担当。
 電子カルテの構築や医療経営に携わる。専門は医療情報学と医療経営学。40歳。徳島
 市在住。</dd>
</dl>]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>森川　富昭さん（２）　徳島大学</title>
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    <published>2010-01-04T01:00:00Z</published>
    <updated>2010-01-04T10:57:28Z</updated>
    
    <summary>企業との関係は大事 能登原 先生は、ベンチャー事業を起業されないのですか。 森川...</summary>
    <author>
        <name>kimura</name>
        
    </author>
            <category term="20.第20回　森川　富昭さん" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.promane.jp/career/">
        <![CDATA[<h2>企業との関係は大事</h2>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
先生は、ベンチャー事業を起業されないのですか。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
ベンチャーを私がやるというのは、レベル的にも出来ません。おそらく、業務も経営もいやでもずっとやらなければならないので、私には向いていないと思っています。技術とかいいモデルを企業と共同研究をし、権利は企業に渡す代わりに、共同研究費を提供してもらう形をとってもらう方がいいと思っています。そのような形で医療に関わる企業、例えばジャストシステムの医療辞書とかPSCの電子ペンの仕組みとか我々と共同研究して、これらの会社は儲かっています。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
大学にとってもWinですし、企業にとってもWinですね、Win－Winの関係を作っていっている。世の中に貢献してますね。</p>
<img src="/career/image/morikawa03.jpg" alt="森川　富昭さん" width="169" height="150" />
<p><strong>森川</strong><br />
私が言っているのは、企業をベンチャーと思ってはいけない。つまり、パートナーだということです。普通、大学の人って企業に対して偉そうです。何様やと私はよく言いますが、企業を、ひとつのモデルを一緒に考えるパートナーとして考えるべきです。だから、企業を待たしてはいけない。企業が来てくれたらコーヒーをちゃんといれなさい。ちゃんとあいさつをしなさい。まずは、そこから変えましょう、という働きかけをずっとやってきました。しかし、事務方は、中々変りません。変らないことには、知恵が出なくなり、コストだけを考えるようになってしまいます。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
森川先生のような考えで企業に接しないと企業側のモチベーションは、下がりますね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
そうですね。当然、企業のモチベーションは、下がりますし、がんばってくれません。だから、メインのベンダーはNECですからNECにも感謝しろと言っています。我々は、どのようなニーズがあるのかまず病院内ですべて考えて、ある程度絵が出来た時点で企業を呼んでこれで出来ますかという話をするべきです。何でも呼ぶと全部企業の営業費になってしまいます。また、よくうちの部員に言うことは、企業は“お客さん”ということで我々でも先生、先生と言われますが皆この椅子に頭を下げているのであって、人が変ってもこの椅子にいくらでも頭をさげることができると。だから、私が来月から花屋を開業した場合、今付き合ってもらっているパートナーが何人買いに来てくれるかが本当の信頼関係であって、そのようにがんばってくださいととにかく言っています。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
それは、大切ですよね。最後は、人と人との関係ですからね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
絶対そうだと思いますね。信頼関係を配慮すると一生懸命に皆様考えてくれます。もっとこうしたほうがいいとか、ああしたほうがいいとか言っていただけます。うちとのお付き合いのある企業は、ありがたいことに本当に皆様よくやってくれています。また。教えてもくれます。そういう意味では、本当にありがたいぐらい企業にはお世話になっています。そういう大学は、まず珍しいと思います。</p>

<h2>目標とする次のテーマは？</h2>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
PDCAサイクルというか、毎年いろんなことをやり続けながら改善をされているのですか。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
はい。目標管理ではないですが年初に5つぐらい目標を立てます。研究的なこともありますし、現場のことで何をするとか、どういう改革をするのかなどがあります。実行しないと他の大学人と一緒になってしまうので必ず実行します。そして、実務家になれと皆にも言っています。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
次のテーマは、なんでしょうか。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
研究者を支援するための仕組みを事務方に作ろうと考えています。アメリカでは、研究者が研究に専念できるように外部資金獲得のための企画書作成とか、機関、企業とのマッチングを支援する仕組みがあります。日本の場合は、探してはきてくれるのですが企画段階では全部教授とかが、企画書を書かなければなりません。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
先生とか教授とかですか。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
はい。国に提出する資料などは、非常に大変です。いわゆる仕様書ですね。そういうのを何でサポートできないのかがわかりません。だから、医療の世界で医者をサポートするための仕組み、つまりESをあげるための仕組みがいると思っています。今後は、このような研究者へのサポートをやりたいとうちの教授とも話しています。これはどこの大学にいっても売れると思いますよ。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうなると事務方の人もやっぱり能力が必要ですね。中々システム化だけでは、対応しきれないでしょう。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
やはり事務の人は、公務員なのでキャリアアップの仕組みがありません。それに、インセンティブもない。企業みたいにがんばったらインセンティブで出世したり、お金をくれたりとかないので、公務員にとってのインセンティブは何であるかを考えるのは非常に重要です。私はよく「何で森川君はそんなにがんばるんだ」と言われます。収益をあげたって私の成果になりませんし、むしろ論文を書いた方が私の成果につながります。普通に考えたって評価の仕組み、評価の指標はちょっとおかしいと思います。ただ、私の周りには見てくれている人もいるので助手から教授にしてもらいました。私は、5年目で教授になりましたが通常国立大学で5年では、教授には中々してもらえません。そういう見てくれる周りの人がでてきたということは、時代は変ってきたと思います。私にとっては、ありがたいことです。</p>
<img src="/career/image/morikawa04.jpg" alt="森川　富昭さん" width="169" height="150" />
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
優秀な方がやめて企業に移られるのは、大学にとっても損失ですよね。目標管理などはMBA取得時に勉強されたのでしょうか。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
目標管理は、全くしてないですね。MBAに行って良かったのは、色んな戦略とか会社の経営のケーススタディ、フレームワークなどを学んだことです。私は、SWOTなんかも知りませんでした。そのようなツール使ってどのようにして相手を納得させる企画書を作るかなどを勉強しました。それを自分なりに解釈して、自己流ですけれども現場とやるときは、こうしなさいという仕組み作ってきました。また、うちもホワイトボードとかを置いていますが、ここに書いて見える化をした後にパワーポイントに落として資料作りをして相手に伝えましょうとずっと言い続けてきて、大分周りはできるようになってきました。ただ、目標管理は、経営企画会議に提出するのですがいつまでに何をしますということしか書いていません。あとは、日々えいやーでやっています。あと、私は病院だけにいません。企業のコンサルティングをやらせてもらったりとか、新聞社のコンサルティングをやったりしています。それらの現場で見聞きしたことを病院にどのようにマッチングさせるかとかを考えることが、知恵になりますね。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
大学は、意外と自由なんですか。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
病院以外の仕事を行う場合は、兼業申請を出して、自分の専門性、利益相反などを全部クリアしていれば学長のOKが出ます。例えば、私立の先生とか国立の先生とかテレビに出演していますよね。あれは、全部兼業申請を出しています。病院以外の私の報酬は、無茶苦茶安いんです。企業が月50万円出しますよと言っても我々は、大学の本給を超えてはいけない規則になっています。つまり、本給を超えるということは、違う仕事をしなさいということになるのです。でも、これしか払えない大学が悪いんだと私は言っています。だけどそんな論理は、通りません。我々は、企業に一生懸命色んな提案して、いいモデルを結構作って、なおかつ安いので喜ばれます。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
一緒に仕事がしたいですね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
はい。一緒に組みましょう。大学以上の報酬は、もらえませんがそれでも好きなことができるので大学にいるという感じです。好きなことが出来なくなったら、大学にはいません。外に飛び出して勝負したほうがいいと思っています。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
現在、大分充実した医療におけるITの仕組みを作られていますが今後の予定とかあるのでしょうか。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
実は、ニーズ、ウオンツなど大分わかっていて作らないといけないものは、たくさんあります。そのためには、組織をもう少し強くしないといけないと思っています。また企業とは、共同研究において色々と進めています。プロジェクト管理は、ある程度可能ならば企業にやってもらうとも考えています。我々が担当したら適当にやってしまいますので。</p>

<p>（次回に続く）</p>
]]>
        <![CDATA[<h1>森川　富昭さん<br />
<span class="guestco">徳島大学医学部・歯学部附属病院　病院情報センター<br>
センター部長　病院教授</span></h1>
<dl>
<dt>
<img src="/img/p/morikawa-l.jpg" alt="森川　富昭さん" width="100" height="100" />森川　富昭さん（もりかわ　とみあき）さん<br />
徳島大学医学部・歯学部附属病院</dt>
<dt>病院情報センター<br />センター部長　病院教授</dt>
<dd>マサチューセッツ工科大学とハーバード大学でMOT（技術経営）を受講し、神戸大学でMBA（経営学修士）を取得。2009年、徳島大学病院　病院教授。</dd>
<dd>現在、病院情報センター部長として大学病院のIT化を担当。
 電子カルテの構築や医療経営に携わる。専門は医療情報学と医療経営学。40歳。徳島
 市在住。</dd>
</dl>]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>森川　富昭さん（１）　徳島大学</title>
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    <id>tag:www.promane.jp,2009:/career//6.818</id>
    
    <published>2009-12-18T00:30:00Z</published>
    <updated>2010-01-04T10:29:26Z</updated>
    
    <summary>ITって暗くて面白くない！？ 能登原 今回の対談は、当コーナとしては、非常に珍し...</summary>
    <author>
        <name>kimura</name>
        
    </author>
            <category term="20.第20回　森川　富昭さん" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.promane.jp/career/">
        <![CDATA[<h2>ITって暗くて面白くない！？</h2>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
今回の対談は、当コーナとしては、非常に珍しい方をお招きいたしました。国立大学の医学部教授であり、病院CIOでもある森川先生です。先生には、今回の対談において、今までITとか医療の道に進まれていく中で、どのように成長され、また、後進たちにどのようなことを伝えたいかをお伺いしたいと思います。まず、手始めに学生時代の頃をお伺いしたいと思います。</p>

<img src="/career/image/morikawa01.jpg" alt="森川　富昭さん" width="169" height="150" />
<p><strong>森川</strong><br />
はい。私は、徳島大学の工学部に入学しました。そして、就職の頃は、バブルでしたのでどこの企業からもひっぱりだこでした。その時は、毎日企業の採用担当の人とお肉ばかり食べていた記憶があります。しかし、そのときは就職せず修士課程に進みました。修士の卒業時には、就職状況は、全く一変しており、とても難しくなっていました。ITは、暗い仕事だと思っていたので実は、IT関係の職には進みたくありませんでした。ただ、メールとかインターネットの仕組みが出始めた頃で、ITの仕事も、もしかして面白いかもというのがありました。その頃は、企業と一緒に共同研究をするチームに入れられまして、マックのシステム開発ばかりやっていました。正月３日間以外は、もうずっと研究室に残っていました。それ以前は、プログラミングをやったこともなく、やる気もなかったのですが、その１年半は、ほとんど大学でプログラミングばっかりやっていました。それでプログラミングを覚えました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
それはそれで面白かったのですね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
面白いということは全くありませんでした。とりあえず任せられた仕事だけやりました。そこでは、人脈管理システムというのを作りました。名刺をOCRで読み込んで、それをデータとして入れて、人脈の強さを示す指標として、人脈強度というものを作りました。例えば、コンサートのチケットを取りたいと思ったら、社内の人脈を活用して誰に言えばとれるんだという仕掛けを作ってビジネスに活かすという共同研究を色々とやっていました。そこで、私が考えたのが人と人の距離には、強度があるということに着目し研究していました。しかし、そのようなシステムを作っていましたが基本的には、IT方面には行きたくなかったんです。その当時は、ITと言うとバックオフィス的な意味合いで使われていました。だから、偉くなれない。従って、やりたくないと思っていました。<br/>

私が受けた就職先は、メディア、銀行、証券で、これらの会社から内定をもらっていました。しかし、以前母親が私の受験の時に乳がんの手術をしていたので医療に興味がありましたし、元々医者になりたかったこともあって、徳島の企業に一年間お世話になりました。ただ、大学でお世話になった教授がせっかくあのような研究をやっていたし、データベースとかインターネットの技術を持っているのだから大学の先生にしてやるから帰ってこいと言われました。徳島大学歯学部の助手として採用していただいて、JICA（国際協力機構）のプログラムで中国、ブラジル、日本をインターネットで結び、乳幼児、子供たちの虫歯の調査データを日本に送る仕掛けを作りました。当時、中国に行ってもインターネットが出来るところは、大学でも何重にもなった部屋の中でやるような状況でした。そのシステムでは、遠隔医療システムの特許取得もしました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そのとき、森川先生を呼び寄せた先生は、歯学部の先生だったのですか。</p>

<h2>「大学」の世界から呼ばれる！</h2>
<p><strong>森川</strong><br />
いや、工学部の先生です。歯学部の世界にデーターベースが必要なので、「君ならいける」と、意味わからずに言われました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そのようなニーズが歯学部にはあったのですね。ぜひそういう人材が欲しいと。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
よく聞けば、今までも他の大学に人を送り込んだようなのですが失敗しているのです。君は、キャラクターがいいし、変っているからいけるぞと。私も、おそらく送り込まれただけなのですけれども、そこの教授にすごく気に入れられて、色んな論文を書かせてもらって特許も出しました。それがきっかけで、大学側がベンチャーを立ち上げなさいと言われました。その当時は、新聞にも掲載されていたのでちょっとだけ有名人になっていました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
大学側が独立行政法人になる頃だったのですね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
はい。今から10年ぐらい前です。大学には、知的財産に関する予算があるときです。大学は、お金をとってきたからベンチャーを作らなきゃいけない。だから、インキュベーション施設を作って、そこに若手の研究者を入れました。私もベンチャーを作ってくれと言われました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そういうことが出来そうな人ということで選ばれたのですね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
私は大学の給料には、全く納得していませんでした。企業でもらっていた給料と大学の給料の差は何だ。毎日こんなに遅くまでいて、教授に仕えていて、よくわからないと感じていました。だから、ベンチャーをやってもいいかなと思いました。ただ、ベンチャーするとなると利益相反とかややこしい話があるのでそれだったらやっても意味がない。だったら、大学を出て会社を興すか、もしくは大学にいる方が賢いんではないかとずっと思っていました。当時、私は経営とかそういう世界は全く知りませんでしたが、経済産業省のプログラムでMOT（マネジメントオブテクノロジー）をMIT（マサチューセッツ工科大学）のスローン校で講義を受けさせてもらえるという機会があり、MOTとかコミュニケーションは大事であることを勉強させてもらいました。そこで、MBAを初めて知りました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
日本だと工学部の先生がMBAを取得している例は、少ないですよね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
そのまま、そこで留学するという手もあったのですが海外のMBAをとったら日本に帰ってくるよりも向こうで就職した方が絶対いいんです。やはり、MBAホルダーだと年俸が大体最低1000万円から始まるのでどうしようか悩みました。一方で、ボストンでの滞在費が非常に高く、月に20～30万円するので余り意味ないとも思いました。それで、日本でMBAを探したら神戸大学、一橋大学、慶応大学はすごくいいと聞きました。それらの大学の中で徳島から通えるところを考えたら神戸大学があったので受験しました。そして、石井淳蔵先生の門下生になりました。</p>

<h2>電子カルテ導入委員長に大抜擢！</h2>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
森川先生は、様々なことを経験されてきたのですね。ところで先日、先生から徳島大学の電子カルテの話をお聞きしましたがどのような経緯で関与されたのですか。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
医療にも経営にも特化している人間ということで、うちの大学の病院長に電子カルテをやれと言われました。その時、私は歯学部の助手だったのですが助手兼委員長としてやりなさいと言われました。普通は、そのような人事配置はありません。通常、教授が委員会の委員長をやるものでして、それが助手でやらしてもらえることになりました。<br/>
<img src="/career/image/morikawa02.jpg" alt="森川　富昭さん" width="169" height="150" />
電子カルテは、医師にとって使いにくいシステムで、いまだにちゃんと動いていないところが多いです。我々は、会計検査院が入った時に困るのでどうにか動かそうということで動かしました。結果、現在電子カルテが有効に稼動している大学として非常に有名になりました。ただ、電子カルテをこの仕組みのままやるというのは私にとっては、面白くありません。プロジェクト管理みたいな仕組みが全くないから、えいやでやるしかないという状況で5年間やってきました。ただ、それでは良くないと思っています。現在、電子カルテがESをあげるツールとして、どのように活用できるか必死に考えているのですが周りには、中々その思いは届かない状況です。以前は、コミュニケーション理論とかをわかっている人間でないと出来ないと思っていましたが最近では、アントレプレナーシップの精神がないとだめであるとも思っています。おそらくそういうのは、いくら教えてもだめで、教えるものではなくて、どこからか人を探すしかないかなと思っています。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
確かにそうかもしれませんね。人ってそれぞれ性格もありますし、スキルもありますし、持って生まれた能力も違います。ですから、中々思ったようにいかないですね。特に森川先生みたいに新しいものに挑戦して、何か作り上げていくというような能力というのは、バイタリティというか熱意というのが必要で中々そういう人を探すのは、難しいですね。</p>

<p><strong>森川</strong><br />
そうですね。皆、評論はするのですが実行はしない。先日のアイ・ティ・イノベーションの講演で聞いたスピードとか実行力とかは、口では言う人はたくさん居るのですが現場では、それが出来る人間を探さないといけません。また、そういうのをどうやって教育するかも課題です。</p>

<p>（次回に続く）</p>
]]>
        <![CDATA[<h1>森川　富昭さん<br />
<span class="guestco">徳島大学医学部・歯学部附属病院　病院情報センター<br>
センター部長　病院教授</span></h1>
<dl>
<dt>
<img src="/img/p/morikawa-l.jpg" alt="森川　富昭さん" width="100" height="100" />森川　富昭さん（もりかわ　とみあき）さん<br />
徳島大学医学部・歯学部附属病院</dt>
<dt>病院情報センター<br />センター部長　病院教授</dt>
<dd>マサチューセッツ工科大学とハーバード大学でMOT（技術経営）を受講し、神戸大学でMBA（経営学修士）を取得。2009年、徳島大学病院　病院教授。</dd>
<dd>現在、病院情報センター部長として大学病院のIT化を担当。
 電子カルテの構築や医療経営に携わる。専門は医療情報学と医療経営学。40歳。徳島
 市在住。</dd>
</dl>]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>金子　高志さん（５）　インフォコム株式会社</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.promane.jp/career/2009/07/000770.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.promane.jp/blog_manager/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=6/entry_id=770" title="金子　高志さん（５）　インフォコム株式会社" />
    <id>tag:www.promane.jp,2009:/career//6.770</id>
    
    <published>2009-07-17T02:37:00Z</published>
    <updated>2009-07-21T08:59:53Z</updated>
    
    <summary>上司としての振舞い方 金子 そういう意味で言うと、お作法は皆きっちり頭に入ってい...</summary>
    <author>
        <name>kimura</name>
        
    </author>
            <category term="19.第19回　金子　高志さん" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.promane.jp/career/">
        <![CDATA[<h2>上司としての振舞い方</h2>

<p><strong>金子</strong><br />
そういう意味で言うと、お作法は皆きっちり頭に入っているので、ステークホルダーへの関与の仕方とかコントロールの仕方とかは、知識としてあります。意識的にやっているかどうかは別にして、やらなければいけないこととして、やっていると思います。ただし、知識だけだとダメで、本当に困ったときにどう動くかが大事であり、知識をつけて資格を取得したからできるだろうと短絡的に考える人もいますが、出来るわけないのですよね。そこを周りの人がいかに支援していくかが重要です。「報・連・相」という言葉があるように、アラームを本人があげてくれればいいのです。<br />
多分、SEは頑張り屋で、プライドも高いので自分自身で何とかさばこうとします。PMBOKの知識体系を、ノウハウとして頭にいれているだけだったら多分上手くいきません。そうではなくて、プロジェクトは一人でやるものではなく、当然メンバーもいればお客様もいれば上司とかもいて、そういう人たちをいかに上手くつなぎ合わせながらマネジメントするのがPMとかPLの仕事なんですね。それと、やってはいけないのが、トラぶったとき結果論で怒ってしまうことです。萎縮するじゃないですか。そうすると怒られた方はダメダメ君になってしまいます。そこをダメダメ君にしないためには、周りが気付いてあげないといけませんね。そこがPMのやるべきことです。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
現場がアラームを出してくれるのも大切ですが、上司が見に行って、声をかけてあげるのも大切なのですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
声をかけてやって、何でも相談してもいいんだ、ということを気付かせれば、次からは困ったら聞きにききます。一番現場のことを知っているのは現場のリーダであり、PM、PLですからね。現場が火を噴く前に相談にきてくれれば、どうとでもなります。相談する相手はPMかもしれないし、上司かもしれないし、お客様かもしれません。ただ、それがお客様だと、交渉とかになってくるだけなんですよね。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そこで上手い関係が出来ると、お客様と継続的ないい関係になりますよね。お客様も、苦しいときに自分も参加して解決したんだぞと言えますね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
そういう方は、当然そのプロジェクトを担当されている方ですから、お客様の会社の中では責任者なんですね。だから、そのプロジェクトをきっちり仕上げることが、お客様本人の評価にもなるので、失敗なんかしたくありません。担当者がお客様に悩みを相談すると、お客様の視野はずっと広いので、お客様は、こっちの関連部署にこのように交渉したら片付くからそんなに悩まなくていいよ、というような解決にもなります。でも担当者は、相談してみないと自分の知見での限られた範囲しか見えませんよね。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうですよね。見えないのですよね。考え方の枠が広がらないとそうなりますね。私は、最近現場を見ていてそのような状況によく遭遇します。</p>

<img src="/career/image/kaneko10.jpg" alt="金子　高志さん" width="169" height="150" />
<p><strong>金子</strong><br />
変えるためには、座学とか指導ではダメだと思います。「報・連・相」という言葉がありますが、この言葉は、本人のためだけの言葉ではなくて上司のための言葉だと思います。いかに上司に報告させるか、連絡させるか、相談させるかだと思います。本人にしてみれば、どういうタイミングでどのような言い方でよいか、最初のうちはわからないと思います。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
若ければ若いほど、わからないですよね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
その辺の作法は、若手は身をもって認識しないといけないと思うので、上司が言わせるような雰囲気を出す必要があると思います。それは、組織、上司、企業のカルチャーに依存しているところがあり、そのような雰囲気作りをしていかないと、多分若手も変らないと思います。こういうところも相談してもいい、ということを気付かせるのですね。おそらく本人は、こんな馬鹿な質問をしてと思われるのが怖いと思いますよ。だから日頃言い出しやすい雰囲気にしてやって、上手くいけば本人の手柄にしてやればいいのです。そうすれば自然と若手も変ると思います。</p>

<h2>プロジェクトにおける信条</h2>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
最後に、プロジェクトを遂行するにあたっての信条についてお聞かせください。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
やはり、人が全てだと思います。その人が楽しいと思えないと仕事は面白くないですし、プロジェクトを最後までやり切り成功させるのは大変ですよね。それでいて我々のような業種は、お客様とか上司は上手くいって当たり前と思っているので、プレッシャーの大きい職種だと思います。そこで、本人たちのモチベーションとかやる気とか充実感が常に保たれていて、ちゃんと結果が出て、そして賞賛されるというようなことを、みんなが共有できる組織をつくりたいと思います。<br />
“貧しいながら楽しい我が家”という言葉がありますよね。あれをもじった言葉で“苦しいながらも楽しい我が家”という言葉を、現場が大変なとき口癖のようによく言います。現場が大変で、夜中になることもありますよね。でも、「夜中にあのチームトラぶっているけど明るいよね。きゃっきゃいいながら、仕事しているじゃん」というような、そんなチームがたくさんある。トラブルなんてなんのその。それが出来ると、上手くプロジェクトは回るんですよ。<br />
私もそうでしたけど、最初は無我夢中でやり、そして持続していくと、賢くなろうとします。知恵が付きますよね。そうなると、失敗する度合いが減ってきます。何年かかるかわかりませんが、結果的に素晴らしい組織になって、あそこのチームに任せるとどんな仕事もきっちり仕上げてくれる。それが社内だけではなく、お客様から、あの会社の誰々さんのチームに仕事を出すときっちり納期通りにいいものを仕上げて持ってきてくれる、と言われるようになると本当のプロ集団ですよね。そんな人たちを作りたいし、なってもらいたいと思います。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
PMとかPLの人は、プロですよね。私も当社のコンサルタントには、プロフェッショナルになってもらいたいと思っています。PMPにおいてプロフェッショナル責任という言葉があるじゃないですか。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
そうですね。心得があります。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
あれを自分なりに考えたり、あるいはそれを解説している本をよく読んでいるのですが、金子さん自身、プロフェッショナルとはこういうもんだというイメージはありますか。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
プロフェッショナルって、日本語でいうといわゆる一人前でしょうか。まず第一に、責任感をきっちり持っていることでしょう。それと的確な言葉かどうかわりませんが、一芸に秀でているということでしょうか。この道に関しては他の人には負けない。<br />
例えばわかりやすい言葉でいうと、職人さんの世界です。例えば、大工の棟梁とかは、まさにプロフェッショナルですね。彼らは、江戸時代の頃に作り出されてきた技法というものを、忠実に体に染み込ませマスターして、家一軒、場合によっては、神社仏閣をきっちり仕上げるわけですよね。釘一本も使わないものを建てたりもしますね。そういう技法がしっかりして筋が通っていて、他の人が批判めいたことを言ったときにきっちりと説明できる。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
特に宮大工がすごいのは、彼らが目指しているのは何百年、何千年も倒れない作り方をしますよね。考えたら情報システムも、改善するとき楽だとかというように、外見ではわかりにくいが、中身を見ると我々が作ったものは他とは全然違う、ということがあってほしいですね。このシステムは百年も使えるぞ、みたいのがあってもいいですね。プロフェッショナルってそういうものでしょうね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
元々PMBOKについても、エンジニアリング業界から来ていますよね。そして、我々がやっているのはソフトウェアなので、ものづくりという点においては建築業界に似ています。彼らは、役割分担がきっちり出来ています。アーキテクトがいたり、デザイナーがいたり、現場をしきる棟梁がいたり、電気工事関係者がいたり、みんな分かれていますね。そういう人たちが全部集まって、すごい大きな近代的なビルが建てられます。その中でプロフェッショナルというのは、それぞれの職種において自分の能力を最大限に発揮して、いいものを仕上げていくので、真のプロフェッショナルと言える人というのは一人ではなくてたくさんいるわけです。<br />
我々がやっているのも結局同じであって、PMが全部ヒーローかというとそうではないです。スーパープログラムマーがいてもいいわけですよ。彼がいたおかげで難しいアプリケーションのところを解決するわけですね。</p>

<img src="/career/image/kaneko11.jpg" alt="金子さん、能登原" width="169" height="126" />
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
プロフェッショナルは、倫理的にも人間的にも全部含めて、一段上である必要があり、単なる技術力だけがすぐれているわけではないですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
そうですね。なおかつ周りからも一目置かれている状況もありますね。そういう人が本当のプロフェッショナルだし、だからお金をもらえますし、もらってもいいと思います。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
なるほど、プロフェッショナルはそうでなくてはならないし、そのように目指すべきですね。</p>

<p>（終わり）</p>]]>
        <![CDATA[<h1>金子　高志さん（5）<br />
<span class="guestco">インフォコム株式会社　エンタープライズ事業本部　テレコム事業部　副部長</span></h1>
<dl>
<dt>
<img src="/img/p/kaneko-l.jpg" alt="金子　高志さん" width="100" height="100" />金子　高志さん（かねこ　たかし）さん<br />
インフォコム株式会社</dt>
<dt>エンタープライズ事業本部<br />テレコム事業部　副部長</dt>
<dd>1984年東京電子専門学校電気計算機科卒。同年、鐘紡株式会社入社。情報システム本部に配属（同本部は外販でSI事業を行っていた組織）その中でミニコンピュータを利用した通信制御系（製造業のライン制御や、流通業の音声応答システムなど）のSW開発を担当。1985年同組織にて、金融系のSI事業に参入。その中で金融NW（全銀系NW、地銀系ATM-NW、CAFISなど）のシステム開発にSEとして従事、その後PMとしてプロジェクトを担当。1995年鐘紡株式会社を退職、インフォコム株式会社（当時の社名、日商岩井インフォコムシステムズ）に入社。グループ会社向けシステム開発プロジェクトから始まり、図書館向けシステム開発プロジェクトのSE兼PMを担当。1996年通信事業者向けSI部隊（現テレコム事業部の前身）が組織編制され、同組織に参画。通信事業者向けのSI事業でシステム開発プロジェクトのPMとして従事、様々なシステムを構築。2006年同部門にて、PMOを立ち上げ、ドキュメントの標準化、開発手法の整備などプロジェクトマネージメントに関して整備を行うとともに、人財育成（PM育成など）をテーマに活動を行う。</dd>
<dd>信条 - プロジェクトは不安定な物で、その成功失敗を決めるのは人である。PMでありプロジェクトメンバーである。良いプロジェクトチームとは、元気で活気があり充実したチームである。メンバーが満足し充実したプロジェクト活動をすれば、おのずと結果はついてくる。故に、プロジェクトは人である。</dd>
</dl>]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>金子　高志さん（４）　インフォコム株式会社</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.promane.jp/career/2009/07/000769.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.promane.jp/blog_manager/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=6/entry_id=769" title="金子　高志さん（４）　インフォコム株式会社" />
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    <published>2009-07-03T05:04:50Z</published>
    <updated>2009-07-03T05:14:17Z</updated>
    
    <summary>人づくりとしてやっていること 金子 その人の役割が決まっているので、きっちり動機...</summary>
    <author>
        <name>kimura</name>
        
    </author>
            <category term="19.第19回　金子　高志さん" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.promane.jp/career/">
        <![CDATA[<h2>人づくりとしてやっていること</h2>

<p><strong>金子</strong><br />
その人の役割が決まっているので、きっちり動機付けを含めて指導することが、上司の責任です。それに合わせて、人事の仕組みとしてキャリアプランを作って、研修情報を社内で告知したりしますけど、そういうことは、普通にどこでもやっていることであり、それは、会社の組織にとって都合のよい教育プランです。本人にとってどこまでためになっているかは甚だ疑問なのですね。<br />
このような問題を社内で議論したところ、ある上司は、本人の好き勝手なことを聞いてしまうと、極端な話、会社にとって意味のない人が出来るのではないかという意見がありました。一方で、個性をつぶしてしまうことは、本当にいいのかという意見もありました。その辺の合意が社内でとれていないといけないので、周りと話をよくするようにしています。<br />
当初の教育では、現場で実践的に役立てるために、プロジェクトマネジメントのお作法的なところ、考え方を身に付けることを目的としました。そこで、御社の研修を利用させていただきました。後は、せっかくなので資格もつけてということもやってきました。それと同時に課題としてあったのが、個人に対しては、マインドの問題がありました。つまり、向上心をもつということですね。このマインドは、すぐには変わりませんね。<br />
当社は、年度の初めに目標設定を作らせて、それを上司がレビューします。どこの会社も同じかもしれませんが、目標設定は会社、組織からのミッション、与えられている売上・利益、役割、目標とする資格取得など当たり前のことを書きます。これはいい仕組みだと思って、これを使わない手はないと思い、きっちりと取り組みました。本人たちに自分の将来をどのように描いているか、10年先はどうなっているか、10年先がわからなかったら5年先、3年先でいいから、自分はどんな人になっているか、イメージしているかを考えるように指導しました。<br />
最初の一年は、私が各自に適した将来イメージを作り、一年間考えるように指示しました。そうすると、2年目からは、各自意見を言うようになってくるんですよね。例えば、だれだれさんのようになりたいとかですね。これは、わかりやすくていいですね。では、そこに向かうためには、どうしたらよいかアクションプランが必要だよねということを部下に言います。そこがゴールだとした場合、そこに向かって今年はどうする、来年はどうするといったことを落とし込むと、より具体的なアクションプランになりますね。同時に、そのアクションプランを仕事に結び付けてあげる必要があると思います。つまり、個人の問題にしてしまうと単に学校になってしまうので、会社にとってプラスになる、つまり、本人の業績考課に加点される目標にアレンジする必要があります。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
金子さんのようになりたいという人もいるのでしょうね。この間、NHKの「プロフェッショナル」という番組の総集編を放映していました。その中で、「自分が目標にしていた人に近づきたいとずっと努力してきて、気がついたら自分も他から目標の対象となっていた。」と、ほとんどのプロフェッショナルの人たちが、言っていましたね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
具体的に目標となるイメージがそこにあると、わかりやすいですしね。それに近づけるためには、どうしたらいいかというのを毎年毎年自分のチェックポイントというかマイルストーンを作っていけばいいと思います。</p>

<h2>事業を運営していくためには</h2>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
テレコム事業部を作ってから、今まで売上の規模は随分増えてますね。大体規模的には、どのくらいになっているのですか。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
正確な数字は忘れましたが、おそらく最初は数億規模で、現在は、その3、4倍ぐらいになりました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
本日、お会いしたときに以前からお聞きしようと思っていたのですが、ひとつのプロジェクトを成功させるのも大事ですが、事業を継続的に大きくしていくことは、非常に難しくチャレンジな目標だと思います。プロジェクトを成功させて、お客様の信頼を得た後で、リピートの仕事をどんどん取って事業規模を大きくしていくと、組織のある部分が手薄になったり社内の要員が足りなくて、外部のパートナーに頼らなければならなくなったりというような様々なジレンマを抱えることになります。その辺は事業の責任者として、どのように考えてやられていますか。</p>

<img src="/career/image/kaneko09.jpg" alt="金子　高志さん" width="169" height="150" />
<p><strong>金子</strong><br />
事業の方向性は、ぶれないようにしています。私は、今、副部長でして、私の上には部長がいてもうひとり副部長がいますが、このメンバーは部を作ったときに一緒にやってきたメンバーということもあって、事業の方向付けを一緒にやってきました。最近は、身の丈というか無理をしないように、自分たちにあった仕事の回し方をするように心がけています。特にSIという事業は、お客様あってのものなので、継続的な取引をしていただけるお客様をどのようにふやしていくのかが重要です。お客様の立場になって考えるスタンスをくずさないようにしています。後は、やみくもに組織を大きくしないことです。事業が大きくなると社員を増やそうとしますが、仕事がしぼんだりした場合、その人があぶれてしまうので、むやみに人を増やさないというのがあります。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
要するに得意分野をある程度決めておいて、それ以外の仕事が来たときは、あまり無理してとらないようにするということですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
自分たちが得意とするものであり、応用が効く範囲であればやってもいいと思いますが、全く毛色の違うものは、リスクが大きすぎます。そうは言っても、今後そこに方向転換してやっていこうという大きな流れがあれば別ですけども、そうでもない限り、少しずつ変化していけばいいと思います。前職のときがそうであったように、経済活動において、金融が非常に伸びていた時期もあれば、ITが伸びていた時期もあります。そういうのに乗っかるのも大事ですが、そればっかりやっているといい時はいいですが、悪くなった時はみんな悪くなってしまいますよね。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
なるほど、そこでも以前の失敗した経験を生かしているのですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
しかし、現場の人たちは、同じことばかりやると飽きるので、新しいことをチャレンジしないと人が伸びなくなってしまい、組織が硬直化してしまいますので変化をつけていく必要があります。でも、ドラスティックに構造を変えてしまうと、一発の賭けになるのでリスクがあると思います。現在の厳しい状況では、特にそうですね。だから、現在は、はやりがこうだからそこに向かえというのはあまりなくて、自分たちの進むべき道をみんなで定めています。3年前ぐらいから部の中で毎年、課長職以上でいっしょにアクションプランを決めるのですが、その時に5年後の自分たちの姿を共有して、SWOTなどの各種分析をして自分たちの進むべき道を意識共有しています。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
毎年、課長職以上のアクションプラン立案をやられるのですか。それは、何月ぐらいから着手されますか。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
例年、1月ぐらいから着手し、それと並行して予算も立てます。そういうのをやってかないと部内がばらばらになってしまうと思います。そこは、うちの部長が上手いところだと思います。単に上から落としこむのではなくて、課長以上が一緒になって考え、意識の共有を図るということです。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
会社全体でやっているわけですか。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
他の部門はわかりませんが、私の上司である部長が自発的にやりはじめたことです。</p>

<h2>PMOとしてのポイント</h2>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
金子さんは、ものづくりの責任者になっていると思います。プロジェクトがいくつか動いたときに、それを監視、コントロールする責任が金子さんにはあると思いますが、どのようにやられていますか。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
2006年にPMOを部の中で立ち上げましたが、ラインとしてあるわけではなく、専任の私と、SE方のマネージャが兼務してやっています。その中で教育とか仕組みづくりをやっています。それに則してプロジェクトが動いている状況なので、コントロールはされています。また、ある程度の標準化は出来ていて、各プロジェクトでそんなに大きくは、ずれていません。その辺のお作法は、御社に教育していただきましたし、我々のリーダクラスは、ほぼ全員PMPを取得して、知識はついてきています。私のほうで全体的にとりまとめたのが一昨年でしたが、それを昨年度定着化のために展開をして、今年度はそれをよりブラッシュアップさせました。<br />
これらをやると変わりますよね。個人の技量、資格、知識をつけて、また仕組みとしてPMOを作っていったことで、質があがりました。私自身、PMOとして何をやったかというと、御社の研修でもあるように、リスクを洗い出して、いかに計画をしっかりと作るかでした。計画が出来れば、それに乗って回せばいいわけです。フェーズごとにレビューするというやり方もありますが、それをやっていたらきりがなく、また、いくつものプロジェクトが並行して稼動しているので、ひとつひとつチェックポイントを設けて細かく見ていったら、現場もたまったもんではないし、レビュアーも何人も必要となり、大変ですよね。現実的に出来るところを絞ってやりました。<br />
一番効果があるのは、計画フェーズをきちっとやるということです。つまり、計画段階でリスクが洗い出されるので、コントロールポイントがわかってきます。そうすると楽になってきます。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
問題が急に発覚して、さあ、どうしようというのではなくて、ちゃんとコントロールできますよね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
計画段階で私も一緒に入りますので、走っているプロジェクトが何をやっているかがわかるようになります。そうなると、日々どこまでいっているか追い切れなくても、問題があがってきたときに全体がわかっているので、どこまでいっているというのがわかるようになります。すると課題を吸い上げて必要な手当てが出来ます。非常に効率的な仕組みが出来たと思います。おかげさまで大規模トラブルがなくなりました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
私もエンジニアだったときには、プロジェクトに問題が起こると、どうしても、自分が出来る範囲でしか解決策をだせませんでした。しかし、色々と知識をつけることにより、自分の枠の中だけではなく、上司にエスカレーションするとか、お客様を巻き込んで問題解決するとか、問題解決のための考え方の枠が広がっていきました。金子さんの部のメンバーにも、考え方の変化のようなものはありますか。</p>

<p>（次回に続く）</p>
]]>
        
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>金子　高志さん（３）　インフォコム株式会社</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.promane.jp/career/2009/06/000768.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.promane.jp/blog_manager/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=6/entry_id=768" title="金子　高志さん（３）　インフォコム株式会社" />
    <id>tag:www.promane.jp,2009:/career//6.768</id>
    
    <published>2009-06-19T01:00:00Z</published>
    <updated>2009-06-19T01:13:49Z</updated>
    
    <summary>仲間、上司、組織、そして会社・・・・・・ 能登原 そういう境地に至ったのは、先ほ...</summary>
    <author>
        <name>kimura</name>
        
    </author>
            <category term="19.第19回　金子　高志さん" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.promane.jp/career/">
        <![CDATA[<h2>仲間、上司、組織、そして会社・・・・・・</h2>

<img src="/career/image/kaneko07.jpg" alt="金子さん、能登原" width="170" height="126" />
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そういう境地に至ったのは、先ほどおっしゃった失敗から学ばれたのですね。それは、32,3歳のときですか？</p>

<p><strong>金子</strong><br />
27,8歳の時でした。私自身、大きな転換期でした。当時、組織も大きくなっていましたし、仕事もどんどん来ていました。こんなところでまごまごしている余裕はないなと思いました。また、一緒に入社した同期が全く同じような悩みをもっているわけです。その仲間同士でコミュニティが自然にできていて、たまにその仲間と食事でもすると皆、同じ事を悩んでいて、互いに刺激をし合っているんですね。例えば、こんな本を読んで感銘したから読めよとか、このセミナーは良かったよとか、こんな仕組みを考えたけれども一緒に実践してみないかと。その当時、一人だけではなく一緒に考えたり、価値観を共有できた仲間がいたことは、非常に恵まれた環境であったと思います。たぶん一人だけだと嫌になっていましたね。上司であり、部下であり、同僚であり、非常にいい人間関係を構築できたので、つぶれずにここまでやってこれたと思っています。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そういう面では鐘紡の子会社であるSI事業本部は、人を伸ばすにはいい環境だったのですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
そうですね。当時の本部長は、その事業・組織を作ってきた人で、人に対して思い入れの強いものがありました。そして、その本部長は、お父さんというか親父さんという感じでした。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
では、その方の人格が多分に影響しているんですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
そうですね。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
ある人が言っていましたが、上級の要員になればなるほど徒弟制度でないと育てられないと。中々マニュアル化できないですよね。トップのそのような雰囲気が、組織全体にいい影響として行き渡っているのですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
いい組織だったと思いますよ。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
やがて800人ぐらいの組織に成長したとき、まだまだ行くぞという感じでしたか？</p>

<p><strong>金子</strong><br />
そうですね。ただ、時代背景的に1990年に入ってくると金融バブルがはじけますよね。それと同時に景気が冷え込んできました。特に金融業界が影響大きかったですね。それに同調するように右肩下がりになり、事業・組織もしぼんでいきました。今その会社は、社名は変わりましたけど残っています。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
本来なら有望な社員として、そこの会社の幹部になっていく道筋が当時あったと思いますが、退社されたのはそういう事情があったのでしょうか？</p>

<p><strong>金子</strong><br />
会社がしぼんでいった過程で、本部長を初め、私の師匠を含めた上の方々が、私が辞める直前に去っていきました。中には、責任をとって辞めた方もいらっしゃいますし、会社の方向性、考え方が違うということで辞めた方もいます。そういった中で私の周りは、変わっていきました。自分は、残っていくのもいいが、信頼している上司もいないし、不安になりました。そして、外に目を向けるのも面白いのではないかと思い、転職活動を始めました。<br />
その中でたまたま、以前請負で仕事をしたことがあるインフォコムの前身である日商岩井インフォコムシステムズの仕事をしたときの印象が非常に良かったことを思い出しました。そのときの仕事は、交換機系のシステム開発でプロジェクト期間が半年だったのですが、それにしては、規模の大きい案件でした。パートナーも含め10人強のチームでした。仕事を戴いたときは、案件を進める上で交換機とのインターフェースを取決めるのに難航したりと、大変なことも多かったですが面白く、また人柄もみなさん良かったです。その記憶が転職活動において、脳裏をよぎったというか思い出しました。打診してみたら、トントン拍子で決まり、日商岩井インフォコムシステムズ（現、インフォコム）に転職をしました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
事前に転職先の会社がどのような会社なのか、大体わかっていて、転職されたのですね。転職先では、やはりマネジメントの仕事が主でしたか？</p>

<h2>新天地でのスタート</h2>

<p><strong>金子</strong><br />
前職のときは、マネジメントの立場でやっていましたが、転職先では、いってみないとわからないというのが正直なところありました。事業内容は、親会社である日商岩井とグループ会社からの仕事が大半でした。その中で私は、唯一外販事業を展開している組織に配属されました。入社してみてびっくりしたのは、その組織は、営業しかいなくてSEはいませんでした。初めて、日商岩井とそのグループ会社以外の仕事でプロジェクトをきちっと回せる人がやってきたというのが周りの受け止め方でした。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
一般的にユーザ系のシステム子会社が、外販をやろうとすると上手くはいかないですよね。その中で金子さんは、活躍をされたと思いますが苦労されたこともあったんではないでしょうか</p>

<p><strong>金子</strong><br />
転職した当時、携帯電話事業がこれから成長する分野であり、この分野に積極的に参入しようとしていました。そして、入社した翌年に私も創設メンバーの一員として専門の組織を作りました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
この頃の中心的な技術と言うとJAVA系のサーバとWEBのアプリケーションでしたか？</p>

<p><strong>金子</strong><br />
まだですね。この頃は、インターネットが普及しはじめて、ウィンドウズも普通に利用されていて、システムアーキテクチャとしては、クラサバ（クライアントサーバー型）が主流であった時代ですね。ただ、私が担当したところは、通信事業者様の交換設備と情報システム側の設備をつなぐ仕組みが主でした。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
通信制御の技術が主ではあるが、DBなどの業務アプリケーションの仕組みも含めた全体のシステムについて、実際の業務を通して、知見を得られたのですね？</p>

<p><strong>金子</strong><br />
そうですね。どうしても必要となるので業務の知識についても強くなりました。ただ、私自身業務アプリケーションに正面から取り組んだ経験はありません。しかし、結果的にアプリケーションチームと一緒にやっているので、全体最適とかを考える上ではアプリケーションの知識が必要となってくるので勉強せざるを得なかったです。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
ずっと、通信制御のようなスペシャリスト系にこだわる人もいますよね。それよりも金子さんは、必要だからアプリケーションなども全部やるという考えなのでしょうか？</p>

<p><strong>金子</strong><br />
スペシャリスト、ゼネラリストという言葉がありますが、結果的には私は、ゼネラリストになっています。先ほどお話をしましたが、トラブルプロジェクトのときの上司に、「お前も、近い将来分岐点にきて、エンジニアとして一本筋を通してやっていくのか、それとも管理職のようにマネジメントをやっていくのか、どっちかに分かれざるを得ないときがくる。そのとき、お前はどっちを選ぶ？その時、絶対に選択しなければならない時がくるから考えておけ。」と言われました。そういうことがあったので意識して、プロジェクトを回してきました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
通信事業部をつくった頃は、リーダクラスというか、管理職の立場だったのですか？</p>

<p><strong>金子</strong><br />
その組織が出来たときには、管理職になる手前でした。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
では、その頃ゼネラリストになる決断をしたわけですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
はい。ただ、前職の時に金融系の仕事で40人規模のプロジェクトを担当していた時に、それ以前の、マネジメントもしながら少なからずデバッグしたりものを作ったり手を動かしていたスタイルから、きっちりと役割分担を決めて自分はマネジメントに徹し、プロジェクトマネジメントの考え方を実践しました。結果、上手く出来ました。初めてのプラットフォーム、プロダクト、メンバー、パートナーの中で、品質を確保し納期通りきちっとあげなければという環境、条件でしたが、結果として上手くプロジェクトを遂行することができ、自分の中で「これだ」と思いました。そして、このやり方が自分に向いていると実感したのですね。それ以降、ずっとそのやり方でやってきまして、転職したときは、すでに自分自身のやり方が出来上がっていました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
最初、リーダを務めたとき失敗されたというお話がありましたが、そのとき勉強したことが生きたのですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
はい。また、勉強するだけではなく、それを自分の中で体系化して整理して実践する場が出来たのがよかったと思います。そして、どんどんブラッシュアップしていき、やりやすいようにも改善していきました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
なるほど。そして現在は、規模は大きくなりましたが、96年ぐらいからやってきたテレコム事業を責任者の一人として担当しているわけですか。</p>

<h2>無我夢中の組織作り</h2>

<img src="/career/image/kaneko08.jpg" alt="金子　高志さん" width="169" height="150" />
<p><strong>金子</strong><br />
はい。最初は、組織は何もなかったですから無我夢中でしたが、上司と相談しながら人を集め組織を作っていきました。自分以外は全部パートナーさんでしたが、そこから一人ずつ増やし、仕事もその分増やしながらバランスをとっていきました。メンバーの中には、自分を頼って前職から転職してきた元部下たちも何人かいました。事業も大きくなっていくと自然と人は集まってきて、途中から人がどんどんと増えていきました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうなると金子さんは、もはや師匠といわれる立場になったのですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
自分は、自覚がありませんがそういう風になってきましたね。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうなると下の人たちを指導する立場になると思いますが、指導者として、日ごろから心がけていることは、ありますでしょうか。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
人の質が全て仕事の質に直接つながってしまうので、人をどうやって教育するかがポイントになってくると思います。私は、組織を束ねる立場になったので、必然的に教育に対して真剣に取り組みだしましたが、それ以前の私は、現場にいたので現場での問題点を常に感じていました。現場のリーダは、上手く行っているうちは調子いいのですが、当然、山谷がありますよね。そうすると疲れてきます。<br />
御社に教育についてご相談したときは、現場のリーダたちが疲弊し、やってもやっても終わらないと　そんな感じがあったので、そこをなんとかしてあげたいと思いました。そして、彼らの苦しみをとってあげて、さらに言えば彼らのもっているポテンシャルがフルに発揮されて、いい仕事ができれば事業もよくなって、上のほうからも褒められて、給料もよくなっていくといういいサイクルが出来るわけですね。そして、本人もやる気が出て、よりステップアップする気になるし、どんどんよくなっていきますね。そういう風になったらいいなという思いがありました。<br />
闇雲にがんばれ、がんばれというようにプレッシャーを与えるのが、典型的な上司だと思うのですが、現場にしてみれば何をがんばれという話なのです。おそらく日々の課題を相談して片付けるのは、出来ますが、それだと一過性ですよね。そうなると常に新しい問題が起こります。気が付くと、そういうことばっかりやっているとその人自身伸びません。上司も大変だし。そのうち、本人は、何をやっているのだろうという気にもなり、自立したプロとして一人前になりません。<br />
一方で、自分がまさに色んなことを悩んだ頃を振り返ると、誰もそのようなことを教えてくれなくて独学でしたが、それが上手く出来たのは、自分であって彼ら彼女らが出来る保証は、どこにもないのです。自分ができたから彼ら、彼女らが出来るとは限らないので、彼ら彼女らにとって悩みを少しでも助けられるようなことが出来たらいいなというのを常日頃思っているだけなのです。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
具体的な方策とかありますでしょうか。</p>

<p>（次回に続く）</p>]]>
        
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>金子　高志さん（２）　インフォコム株式会社</title>
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    <published>2009-06-05T04:26:05Z</published>
    <updated>2009-06-05T05:30:37Z</updated>
    
    <summary>現場では、大変なことに！　でも・・・・・・ 金子 入社した年の11月に始まったプ...</summary>
    <author>
        <name>kimura</name>
        
    </author>
            <category term="19.第19回　金子　高志さん" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.promane.jp/career/">
        <![CDATA[<h2>現場では、大変なことに！　でも・・・・・・</h2>

<img src="/career/image/kaneko04.jpg" alt="金子さん 能登原" width="169" height="126" />
<p><strong>金子</strong><br />
入社した年の11月に始まったプロジェクトでした。上司はいましたが、ほとんど一人でやっていました。当時だから許された事だったと思いますが、翌週から顧客先に行って、現地での試験をやる予定だったのですが、実は半分しかできていませんでした。上司は、試験の日程が決まっているのでとにかく行けということになって、同期と２人で行きました。<br />
最初は、顧客へのあいさつがあるので上司がついてきてくれるのですが、翌日から2名だけでした。その時、上司に言われたのが「決して新人であることを悟られるな。」なんですね。同期と二人で顔を見合わせましたよ。その晩、同期と飲みに行って「どうする。」「そうは、言っても俺たちは新人だからな。」とぼやきながら、結局は１年近くやりました。結構大変でした。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
大変でしたね。プログラムは、半分しか出来ていないのでテストしている振りをして作っていたのですか。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
おっしゃるとおりです。昼間に試験をしてバグがでますよね。それを夜中にバグ取りと残りの部分を作っていました。それを日課のようにやっていました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
お客様には、新人であることを隠しながら、また、出来ていないということも隠しながら、試験を淡々と上手くやっていたのですね。（笑）</p>

<p><strong>金子</strong><br />
はい。でも、恵まれていたのが、そのときのお客様は、メーカの技術部の課長さんでいい方でした。当然、実態を見抜ぬかれましたが、本来ならば頭ごなしに怒って、上司を呼びつけるところですが、そんなことはせずに「とにかく頑張っているんだから俺が面倒見てやろう。」と言っていただきました。その人がある意味先生になりました。その方からドキュメントの書き方、提案書の書き方、マニュアルの書き方などを教わりました。（笑）</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そういう方が以前は、いましたよね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
当然、契約関係はありますが、そういうのは度外視をしてでもいいものをつくろうとか、一緒につくろうとかいう感覚をもっていた人がたくさんいました。今でこそ契約で線引きがあって、殺伐しすぎているというかドライすぎると最近思います。昔のほうが泥臭いですよね。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうですね。泥臭いですね。昔のほうが新人に対する鍛え方が厳しかったかもしれません。金子さんみたいなことをやられたら否応なしに伸びますよね。今は、過保護かもしれませんね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
今は、スマートというか、かっこよく育てる傾向があるかもしれません。理論から入るというか知識から入るというか。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうですね。頭でっかちの傾向があるかもしれません。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
厳しいほうがその後の結果が、自分にとって自信にもなりましたね。私の上司もその大変な仕事をこなした結果を見て評価するので、周りの連中も一目置くわけですよ。そうすると、新規の案件とか通信制御系の変わった案件は、必然と私のところへくるんですよ。そうなるとその後の仕事のやり方は、面白かったですね。自分のやりやすいようにやれたので。</p>

<h2>ユニークな若手育成術</h2>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
私のかつての上司から新人の頃、せっかく入社したんだから「誰にも負けない強みを持て。」とよく言われました。まさに金子さんは、通信制御の部分は、他の人に比べて強みを持てた訳ですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
入社当時の上司は、いわゆる理系で学者肌で、それでいて現場が好きな人で賢い人でした。組織は小さいですから、一人一芸にしないと商売が回らないところがありますので、上司が個人毎に得意な分野を持たせました。きちっとカリキュラムを作ったわけではないですが、案件を回していく中において個人のためにもなりますし、事業をやっていく上でも非常にいいわけです。そうなると同期でも、ある人の得意分野においては太刀打ちできないわけですよ。プロジェクトになると、得意技を持った連中を集めて、その技を融合させてひとつのものを仕上げるわけです。かっこういいですよね。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
それは、組織運営とか人の伸ばし方において参考になりますね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
それが、私の考え方の基礎になっています。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうしてないところもありますよね。普通は、万遍なく育てようとします。</p>

<img src="/career/image/kaneko05.jpg" alt="金子　高志さん" width="170" height="150" />
<p><strong>金子</strong><br />
万遍なく育てようとすると、ある時期はボリューム感が出てきていいのかもしれませんが、いずれ組織はピラミッドになるわけですから内部で競合し、組織が硬直化する可能性があると思います。したがって、得意分野をもつということは、これらの問題がないわけです。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうなると、得意分野の人たちが集まれば、自分たちでどこでも何とかできるわけですね。上司の組織運営は、ユニークだったですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
ただ、そこまで考えていたのかわかりませんが、組織が小さかったのでそうせざるをえなかったのが正直なところかもしれません。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そこからすぐ金融関係に移ったのですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
そうですね。入社して2年後ぐらいから、金融系のネットワーク関係の仕事がぽつぽつと入りだしました。当時は、第三次オンラインのころでしたので、銀行間のネットワーク接続をやっていました。そして、金融のネットワーク関係の製品化も手掛けました。</p>

<h2>初めてのリーダ。その結果は、・・・・・・・</h2>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
プロフィールを拝見しますと、10年ぐらい業種としては金融系をやられていますが、ずっと通信系をやっていたのですか？それとも役割の幅を広げていったのですか。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
役割が変わりました。業種でいうと金融系の通信制御といわれるところをメインにやっているチームに属していたので、そこのリーダになりました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
メンバーの方は、何人ぐらいいらっしゃいましたか？</p>

<p><strong>金子</strong><br />
様々ですが、最初のころは社員で２、３名、パートナーさんを含めると全部で５人ぐらいのメンバーでした。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
最初、リーダになったときに気をつけたことや、やっておこうとか思ったことは、ありましたか？</p>

<p><strong>金子</strong><br />
当時、プロジェクトマネジメントという言葉もなかった時代でした。「お前は、案件のリーダで、下にこれぐらいの人間をつけるので何とかしろ。」ということでした。まさに手探り状態で、会社としてもお作法もない状態でした。どうしていいかわからない状況からのスタートでした。<br />
案の定、リーダとしてチームを持たされたときは、失敗しました。それは、メーカからのパッケージ開発で、納期にしても3ヶ月遅れ、費用にしても倍ぐらいかかってしまいました。そのとき初めてパートナーを自分の配下につけて管理したのですが、外注管理もままならず、失敗したという結末です。相当へこみました。<br />
逆にそれまで自分は優等生の部類だったわけで、小さい組織から立ち上げて、通信制御のことなら金子に聞けと言われるぐらいになっていたので、鼻っ柱は強くなっていました。しかし、それまでは、自分の技量でどうにか出来ていたんですけど、リーダとなり、パートナーも何人か持たされていざやってみると、自分では出来るとは思っていたものが、まったくダメなんです。自分の思い通りには動かせませんでした。人をコントロールする上で、個人個人のレベルも違いますし、それらをバランスよくコントロールするさじ加減の経験が、私には全くないのです。結果、自分のスケジュール通りには、全くうまくいきませんでした。思った通りの品質も上がらないし、最後の方になると火が噴出したわけですね。当然、お客様は、カンカンになりました。<br />
今でも、ショックだったことは、メーカさんに行って導入して試験をしているときでした。向こうのマネージャさんに、進捗状態が悪いし品質も悪そうだということを言われ、会議室に呼ばれました。そこには、我々が作ったプログラムのソースリストが積まれているわけです。何が始まるかと思ったらその方は、パラパラとソースリストをめくるわけです。バグを直すと、ソースリストにコメントを残すわけですが、物によっては原型をとどめないものもあるんですね。お客様からは、「どういうことですか。本当にデバッグしているのですか。仕様書は、ちゃんとできているんですか。ちゃんとレビューしているんですか。」と2時間ぐらい延々と言われたんですね。それが、自分の中で相当ききましたね。<br />
一方で、プロジェクトでは、悪いことばっかりではなくて、自分にとって恵まれていた事が２点ありました。１点目は、担当上司は、新人の頃見ていただいた方から代わっていたのですが、その方は、現場を大切にし、非常にやさしい方で、われわれがトラぶって缶詰状態のとき、毎日その上司が現場に来てくれました。私が作成した、つたない進捗報告書を毎日毎日チェックしてくれて、問題、課題をきちっと拾い上げ、翌日には手当てをしてくれました。その人のマネジメントぶりを見ていて、こういうことをちゃんとやっていかないとプロジェクトは、上手く出来ないと感じ取りました。<br />
<img src="/career/image/kaneko06.jpg" alt="金子　高志さん" width="170" height="150" />
２点目は、そのときのメンバーの一人に私の３年後輩がいまして、一番頼りになる部下でした。彼は、仲間意識が強く、和を大切にする人物であり、チームにいる様々な人たちを上手くまとめてくれて、かつ先々何をやらなければならないかをきっちりおさえていてくれました。私がお客様との調整で忙しいときでも現場を上手くまとめてくれました。このような人を上手くコントロールするのがリーダの役割であると痛感しました。<br />
その時、二度とこんな辛い経験をしたくないという思い、プロジェクトマネジメントがいかに大切であるかも認識しました。そして、以降は、プロジェクトマネジメントについて必死に勉強しました。当時だとデマルコとかワインバーグの本などを色々と読み漁りました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
辛い経験をした場合、自分は、向いてないと感じることもあると思いますが、そういう苦しい時期に、リーダーシップとかマネジメントに関しての勉強をされたということは、この山を乗り越えてやるという意欲が湧いたわけですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
かっこよくいえばそうですが、元々必死になってやってしまう性格なので、二度とこんな思いはしたくないと考えただけです。それと立場的には、この先色んな仕事を任されると考えていたので、10、20人という規模でメンバーを従えないといけない時期がきっとくるだろうと思いました。その時にこんなやり方でやっていたら自分も大変だし、プロジェクトに関わったメンバーも、かわいそうだろうと思いました。チームのメンバーがやっていてよかったね、おもしろかったねと思えるようなチームを作っていくためには、自分が勉強するしかないと思いました。<br />
今でもそうですが、上司というのは、リーダを任命しますよね。そして、「お前はリーダだから責任をもってやれよ」と言いますよね。でも、具体的に何をどうするかという指導が出来ている上司は、何人いるのかと考えたとき、ほとんどいないと思います。それこそ、研修に行けよとか、だれだれに聞けとか言う人は多くいますけどね。やはり、リーダとしての人格とか、モチベーションの持ち方、方法論をきっちりマスターして、それを発揮できる人を育てあげるくらいでないといけませんね。</p>

<p>（次回に続く）</p>]]>
        
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>金子　高志さん（１）　インフォコム株式会社</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.promane.jp/career/2009/05/000760.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.promane.jp/blog_manager/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=6/entry_id=760" title="金子　高志さん（１）　インフォコム株式会社" />
    <id>tag:www.promane.jp,2009:/career//6.760</id>
    
    <published>2009-05-22T00:40:00Z</published>
    <updated>2009-05-22T01:13:59Z</updated>
    
    <summary>食いそびれない商売に就きたい 能登原 この対談では、経験豊富で仕事の出来る方が今...</summary>
    <author>
        <name>kimura</name>
        
    </author>
            <category term="19.第19回　金子　高志さん" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.promane.jp/career/">
        <![CDATA[<h2>食いそびれない商売に就きたい</h2>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
この対談では、経験豊富で仕事の出来る方が今までスキル、経験を積んできた道筋を明らかにし、それを参考に若手がやってみようという気になればと思っています。<br />
では、早速はじめさせていただきます。<br />

金子さんの学生時代のプロフィールを拝見しますと、コンピュータ関係を目指そうとされていましたね。なぜ、コンピュータ関係の仕事に携わろうとされたのですか？まず、業界に入ったきっかけとか、思いとかお聞かせ願いますか。</p>

<img src="/career/image/kaneko1.jpg" alt="金子　高志さん" width="169" height="150" />
<p><strong>金子</strong><br />

高校生の時、自分の進路とか将来を考えた場合、大学進学を考えますよね。私は、大学に進学する以前にどのような職業に就くのかが重要だと思いました。周りにも多くの受験生がいましたが、ただやみくもに大学に進む必要がないと思いました。これからは、就職し社会人となり生活していく中で、食いそびれない商売に就きたいと思いました。色々な職業がある中で、今後は、コンピュータ抜きにして語れない世の中にきっとなっていくのだろうと思いました。事務処理系もしかり、デバイス系もしかり、いわゆるコンピュータは必ずついてまわると考えた時、作る側になっていればおのずと先々食いっぱぐれないだろうと思いました。そして、卒業していざ就職するとなった時に、ソフトウェア会社やメーカと、コンピュータ関係の会社は沢山ありましたが、学校ではプログラムとかの勉強をしてきましたから、メーカに進むよりもむしろソフトウェア会社を選びました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />

私は、金子さんより1年早く1983年に社会人になりましたが、その当時、コンピュータ業界は、なんか将来明るい展望がありました。そういうことは、お感じになられましたか。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
その頃周りをみると、パソコンというものが出てきたかどうかの頃だったと思います。当時は、NECの88とか98があって、OSはBASICのみだったと思います。その時、パソコンは、私自身こんなに身近なものになるとは、思いませんでしたが、明るい未来とか食いっぱぐれのない職に困らない世界になるのではないかとなんとなく感じていました。それと実際にパソコンに触れてプログラムを作ってみると、自分の思い通りに動いて面白いんですよね。これは、仕事的に自分には合っているのではと思いました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
金子さんは鐘紡に入社されましたが、社内のシステムではなく、外販向けのシステム開発ということをわかって入社されましたか。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
はい。わかっていました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
では、当初からSIerに就職するということで入社されたのですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
当然、鐘紡を受ける前にも他社の採用試験も受けたりしました。その中には社内の情シス部門もありましたが、双方合わずで不採用だったということもあります。一方で、鐘紡の人事や、SI事業本部の方と話しているとちょっと違うなという感じがしました。鐘紡の役員面接のときに、当時の本部長が結構人格者というか、とても勢いのある方でした。非常に現場を大事にする人物という印象でもありました。また、よくお話される人でもありました。この方と仕事が出来れば、面白いのではないかと思い、鐘紡に入社を決めました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
なるほど。鐘紡に入社すれば自分自身成長もできるし、面白いこともできると思ったわけですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
はい。この組織は鐘紡の中でも歴史の若い組織で、立ち上がってから10年足らずの組織でした。元々は大阪に拠点を構えていて、私が入社する４、５年前に東京に進出してきました。私は、この組織が東京に進出してきた、初めての東京採用でした。当時、東京の部隊は社員20名ぐらいの組織でしたが、新人を10名も採用しました。総勢30名になりましたが、3分の1が新人というありえない組織になっていました。そうこうしている内に事業が大きくなり、翌年は倍の採用をし、かつ大阪から人が移ってきたので倍倍で人が膨らんできました。そして、好況の波にのることに成功し、80年代後半には、800名ぐらいの組織になっていました。ただ、悲しいかなその後バブル崩壊とともに衰退の一途でしたが。</p>

<h2>通信制御の道に</h2>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そのころは、こなし切れない数の仕事があったのですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
そうですね。最初は、通信制御系の製造業とかの工場の生産ラインの制御や、検査機器からの情報収集などの制御システムの開発の仕事をやっていました。その後、流通系のシステムを担当しました。流通では、ハンディターミナルを使ったPOSと連携する仕組みとかを開発していました。その後、金融も手がけるようになりました。金融は、古くから金融機関同士のネットワークが欠かせなくて、BANCS、MICSやATMのネットワークなど金融機関同士の対外接続に代表されるネットワークがあります。私は、これらのパッケージを作っており、主にCAFISに関するパッケージ開発をしていました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
流通業界から金融業界の仕事に移られたときに、対象の業界が変わることで、様々な面でお作法の違いがあると思いますが、そこには、抵抗なかったですか。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
お客様の質が全く違いますね。金融機関は、厳格というイメージがありますね。今でこそセキュリティとかコンプライアンスとかの話がありますが、当時からやはり、ものづくりに関する品質は非常に厳しかったです。当然、工程を管理するとか成果物のチェックは、厳しかったです。一方、流通業界は、お任せしますという感じでした。かなり、自由に出来ましたけどその分頼られる部分があるので、トラぶったときに一生懸命にカバーしないといけないというところはありました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
入社時の話に戻りますが、私も最初の1、2年は結構、様々な急ぎの仕事を担当したり、リーダをやったりと今までの会社生活の中で非常に厳しかった時期なのですが、最初の1、2年はどのようなお仕事をされていましたでしょうか。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
最初の１、２年は、ものづくりでしたね。制御系のミニコンピュータでした。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
言語は、Cとかでしたか。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
いや、アセンブラでした。正確に言うとアセンブラの中でも、ミニコン独特のアセンブラライクな言語があって、それを使って開発をしていました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
ミニコンというと、DEC社製のVAXシリーズでしたか。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
IBMのシリーズ１でした。特に得意なところはシステム同士をつなぐシステムが多かったですね。変わったところですとネットワークプロトコルをお客様であるハードウェアメーカと一緒に開発する仕事なんてのもありました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうなると、通信の基本的なところから開発をしないといけないですよね。教育は、社内で受けられたのですか。</p>

<img src="/career/image/kaneko2.jpg" alt="金子　高志さん" width="169" height="150" />
<p><strong>金子</strong><br />
入社当時、組織が大きくないので教育については、確立したものはありませんでした。また、特殊すぎるので外部にオープンなセミナーがあるわけないので全て独学でした。特殊なボードもありましたから、メーカから取り寄せて英文のマニュアルを解析しながら、手探りでひとつずつやりました。ただ、上司には、恵まれていました。今でもお付き合いがあり、私が師匠と思っている人なのですが、その上司は非常に優秀な方でして、OSの原理原則、ものの作り方、プロトコルの基本的なところはその方から仕込まれました。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
素晴らしい上司との出会いがあって、順調に仕事に入れたのですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
年こそ10歳ぐらい違うんですが、当時その上司はグループマネージャという立場で、初めて組織と部下をもって、彼自身組織をどうするかという経験がない中でやっていました。　むしろ、上司と部下というよりかは、本当に師弟という言い方が最も適切だと思います。　その方は、色んな仕事をやっていましたから、ほとんど席にいないので外出から戻ってきたところを捉まえては、ちょっと教えてくださいとやっていました。手取り足取りという話ではなくて、困ったら俺のところに来いという感じでした。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そのような優秀な方は、いつも引っ張りだこですね。そういう厳しい上司の支援もあって失敗もなく仕事をこなしてきたのですね。</p>

<p><strong>金子</strong><br />
入社から半年間は、新人の教育期間なので周りの先輩が色々と面倒を見てくれました。その頃、あるプロジェクトが火を噴いて、私が支援で呼ばれましたが現場に入ると手がつけられない状況でした。テスト工程に入っていたのですが、バグが取りきれない状態でした。動かせば動かすほど、バグが発生する状況でした。そのプロジェクトは、新人２名に先輩１名という体制でした。そこに私ともう一人先輩が加わり、ソースから何から全て解析し、なんとか完了することができました。次のプロジェクトは、先ほどお話しをしたミニコン系のネットワークの仕事でした。その当時は、日本でもそんなに使ったことのないボードと社内のハード系のチームが作っている通信用のボックスとをつないでコントロール機能をもったサブシステムの開発の仕事をしました。その当時は、新人ですから設計書の書き方とか、教わっていないのでちゃんと書くことができませんでした。</p>

<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうですよね。それは、入社何年目ですか。</p>

<p>（次回に続く）</p>]]>
        <![CDATA[<h1>金子　高志さん<br />
<span class="guestco">インフォコム株式会社　エンタープライズ事業本部　テレコム事業部　副部長</span></h1>
<dl>
<dt>
<img src="/img/p/kaneko-l.jpg" alt="金子　高志さん" width="100" height="100" />金子　高志さん（かねこ　たかし）さん<br />
インフォコム株式会社</dt>
<dt>エンタープライズ事業本部<br />テレコム事業部　副部長</dt>
<dd>1984年東京電子専門学校電気計算機科卒。同年、鐘紡株式会社入社。情報システム本部に配属（同本部は外販でSI事業を行っていた組織）その中でミニコンピュータを利用した通信制御系（製造業のライン制御や、流通業の音声応答システムなど）のSW開発を担当。1985年同組織にて、金融系のSI事業に参入。その中で金融NW（全銀系NW、地銀系ATM-NW、CAFISなど）のシステム開発にSEとして従事、その後PMとしてプロジェクトを担当。1995年鐘紡株式会社を退職、インフォコム株式会社（当時の社名、日商岩井インフォコムシステムズ）に入社。グループ会社向けシステム開発プロジェクトから始まり、図書館向けシステム開発プロジェクトのSE兼PMを担当。1996年通信事業者向けSI部隊（現テレコム事業部の前身）が組織編制され、同組織に参画。通信事業者向けのSI事業でシステム開発プロジェクトのPMとして従事、様々なシステムを構築。2006年同部門にて、PMOを立ち上げ、ドキュメントの標準化、開発手法の整備などプロジェクトマネージメントに関して整備を行うとともに、人財育成（PM育成など）をテーマに活動を行う。</dd>
<dd>信条 - プロジェクトは不安定な物で、その成功失敗を決めるのは人である。PMでありプロジェクトメンバーである。良いプロジェクトチームとは、元気で活気があり充実したチームである。メンバーが満足し充実したプロジェクト活動をすれば、おのずと結果はついてくる。故に、プロジェクトは人である。</dd>
</dl>]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>鈴木　君男さん（４）　新日鉱ホールディングス株式会社</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.promane.jp/career/2009/01/000735.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.promane.jp/blog_manager/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=6/entry_id=735" title="鈴木　君男さん（４）　新日鉱ホールディングス株式会社" />
    <id>tag:www.promane.jp,2009:/career//6.735</id>
    
    <published>2009-01-05T09:30:13Z</published>
    <updated>2009-01-05T09:31:02Z</updated>
    
    <summary>経験から考える、情報子会社の持つ限界とは 能登原 最近では、情報子会社を親会社の...</summary>
    <author>
        <name>ブログ管理者</name>
        
    </author>
            <category term="18.第18回　鈴木君男さん" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.promane.jp/career/">
        <![CDATA[<h2>経験から考える、情報子会社の持つ限界とは</h2>
<img src="/career/image/suzuki10.jpg" alt="鈴木　君男さん" width="250" height="200" />
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
最近では、情報子会社を親会社の情報システム部門に戻している会社もありますね。情報システム部門の機能を一元化して、本業のビジネスに役に立つシステムを効率的に作って、運用しようということだと思います。<br />
その点に関して、鈴木さんはどのようにお考えでしょうか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
個人的な考えで言えば、親会社に戻したほうがよいと考えています。私自身の経験を振り返ると、「システムを使ってどういう効果を出して行くか」を親身に考えるようになるには、やはり事業に近いところにいる必要があります。離れていると、そういう思いにはなかなかならないでしょう。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
なるほど。情報システム部門は「経営なり事業に貢献して、なんぼ」ということで、本当は経営に近いほうがはいいのではないかとお考えなのですね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
ええ。そこがシステムを担当する子会社の、一番重要なところだと思います。情報子会社として、スキル向上や集約による生産性向上も重要ではあります。しかし、本体の情報システム部門に、事業とシステムの両面を考える人たちがいないとうまくいかない感じがします。<br />
ですから、「俺はシステムの仕事がしたい」「システム屋だったけど、たまたま事業会社にシステム部があったので、そこにいるだけ」、「システムのことをやるために会社に入ったのだから、事業のことを考えて何かするなんて、やりたくない」という思いの人は本体のシステム部門には合わないと思います。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうですね。私も若いころはエンジニア志向で、技術が好きだったので、ITの技術に特化してやろうという傾向が強かったような気がします。技術に固執していましたし、技術で生産性を上げるにはどうすべきかと、相当考えていたような気がしますね。私も今は当時とは立場も違うし、だいぶ成長しましたので、システムは経営に貢献しないと意味がないと考えるようになりましたが。<br />
今日のお話を聞くと、鈴木さんのほうが「情報システムをいかに活用するか」という視点に、ずっと早く注目されているように思います。</p>

<h2>本社のIT部門へと復帰</h2>
<img src="/career/image/suzuki11.jpg" alt="鈴木　君男さん" width="250" height="200" />
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
それから、今年の４月にまた本社に戻られたのですね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
そうです。新規採用をしていただいて（笑）</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そういう形になるのですか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
そうです。一旦移籍したので、退職金ももらいましたよ。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
本当に、新規入社なのですね（笑）。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
そうです（笑）。実際には、勤続年数等は継続してもらっています。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
新日鉱ホールディングスに戻られて、しかも今度は新日鉱ITという、グループの情報システムを担う部署との兼務になっていますね。昔の情報システム部門に戻ったというのとは、また違うのでしょうか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
そもそも、情報子会社にみんなが移籍してしまったので、事業会社の中のシステム部門として、事業とITの活用の両面から考えている人が非常に少なくなってきたという反省のもとに、新日鉱ITにかつての経験者がまた戻って来ています。ですから、この4月からの体制変更は、そういう思いも含めた、仕事のできる体制作りだと考えています。<br />
ユーザ企業において、これから新日鉱ITがシステム機能子会社としてどれだけ成果を出してくかは、各事業会社の中でシステムを使う人、またいろいろな事業を展開していく人が「やっぱり新日鉱ITに頼んで良かった」、「システムを作って良かった」という顧客満足にあると思います。つまり、システム部門として、社内のユーザからの顧客満足がちゃんと得られることです。顧客の中には経営陣も入ってきますが、そういう人たちからしっかり信頼、評価を得られる会社に、新日鉱ITをしていきたいと思っています。現在の段階で、できている部分とできてない部分があるので、そこを早く実現できる体制にしなければと思います。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
CCSにみんなが移籍して、そうすると先ほどおっしゃったように、どうしてもグループのためにというよりも、まずは利益のためになってしまった。その反省なのですね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
はい。利益もそうですし、基本的にはシステム屋ですので、技術優先になってしまいます。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
どうしてもシステム屋としての性（さが）みたいなものがありますよね。それは非常に良く分かります。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
その辺のバランスも考えていく必要があります。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
新日鉱ホールディングスという会社は、グループの事業会社がジャパンエナジー、日鉱金属、パンパシフィック・カッパー等、ほかの会社に比べると、ITをサポートするにも非常に難しい形態だと思います。事業が違うから、システムも全部違うでしょう。<br />
その難しさをどう克服していこうと思われていますか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
それをどうすればいいのかは、これからですね。課題としてはいくつかあります。<br />
システムの面から考えると、各事業それぞれの特性があるので、その事業会社の特徴に合わせてやっていかなければなりません。ただ、ちょうどいいことに、グループ長期ビジョンを含めて、各グループ会社の方向性は対外的にも発表しています。その中でシステムがどう活用できているのか、もう一度しっかりITの立場で考えてやっていくのが、まず一番の課題です。<br />
同時に、グループのハードウェアやネットワークという情報基盤の観点からは、今までばらばらだった部分を集約して効果が出せている分野もあります。その分野については、まさに今、積極的に取り組んでやっているところです。<br />
また、IT人材もIT基盤のひとつなので、しっかりシステムを活用し、戦略との間で要件を整理していく人たちを計画的に育成できる体制を、これから作っていく必要があります。ただし、人員構成でいくと、ほとんどが40歳を超えている人たちばかりで、若い人がほとんどいない。5年１0年後には若い人材の採用育成も課題になってきます。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
確かにIR情報も充実していて、会社やグループの目標に明確な指針があるので、情報戦略も追従しやすくはなっていると思います。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
本当は指針を作るときにITも一緒に入るのが一番いいのでしょうが、事業の特性上ITを使って事業を伸ばしていくという会社でもないので、難しいです。ITでどれだけ鉱山を掘れるかというものではないですから。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうですね。ちょっと違いますね。</p>

<h2>仕事で成果を出すポイントは</h2>
<img src="/career/image/suzuki12.jpg" alt="鈴木　君男さん" width="250" height="200" />
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
最後に、鈴木さんは複数の会社、部署で様々な立場から仕事をされて来ましたが、根っこには、情報システムの要員であるという自覚を持たれて仕事をされていたと思います。そういう中で、これからの若手の人に「今まで、仕事を通して様々な経験をしてきて、ここは大事だよ」というアドバイスをお願いします。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
コンピュータシステムは用意されているものではなく、使う側、作る側両方の立場でしっかり考えて、使って育てていくものです。ですから作る側、使う側の両方の立場で考えられるようになるのが、一番大事かと思います。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
どうしても、どちらかの立場だけで主張する人が多いかもしれませんね。ベンダーだけの立場とか、発注側の立場だけとか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
両方分かった上で、今の立場に応じた発言をすることが、一番大事です。<br />
結局、立場、立場での発言はありますが、相手の立場も分かった上で行動してくれる人とずっと仕事してくると、10年前、20年前に一緒に仕事をした人に、今でもいろいろ相談に乗ってもらったり、逆にこちらが相談に乗ることもあります。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
立場を超えて、仲間になりますよね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
そうですね。そういうことが、非常に大事だと思いますよ。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
何か、こういうスキルを身につけたほうがいいというお話はありますか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
一般論になりますが、やはりコミュニケーション・スキルですね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
チームワークをよくするためには、コミュニケーション力が必要ですね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
ええ。ITスキルも細分化されてきていますからね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうですね。ITスキルも細分化、専門化されて、システム・エンジニアも個別の技術は良く知っているが、総合力は疑問符がつく人も増えていますね。<br />
また、仕事をうまく進めて、成果を出すためにはどういうことが大事だと思われますか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
なかなかできないことではあるとは思いますが、成果を出すには、プロジェクトの立ち上げと同じように、計画を作ってしっかりフォローをしていくことですね。システム開発に限らず、あらゆる仕事では、計画と進捗管理が大切です。それから、やはり相手のある仕事ですから、約束をしたことに対してタイムリーに応えることです。<br />
コンビニ店舗開発を担当したときに、それが当たり前に実行されていることが少ないということも経験しました。いろいろな会社がある中では、当社の常識が必ずしも通じないことがあります。<br />
それは理解したうえで、計画、進捗管理、約束に応えることを心がけていくことではないかと思います。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
なるほど。 本日は、長いお時間お話いただいて、ありがとうございました。</p>

<p>（終わり）</p>

<p>※2008年10月に行われた対談を４回に分けて記載しました</p>

<p>構成：萩谷美也子</p>]]>
        <![CDATA[<h1>鈴木　君男さん（４）<br />
<span class="guestco">新日鉱ホールディングス株式会社　企画・管理グループ（IT担当）　シニアマネージャー</span></h1>
<dl>
<dt>
<img src="/img/p/suzuki-l.jpg" alt="鈴木　君男さん" width="100" height="100" />鈴木　君男（すずき　きみお）さん<br />
新日鉱ホールディングス株式会社</dt>
<dt>企画・管理グループ（IT担当）<br />シニアマネージャー</dt>
<dd>1982年筑波大学第3学群情報学類卒。同年、日本鉱業入社。本社及び工場にて販売管理システム、生産管理システム等の開発、保守・運用に従事。1991年米国コーネル大学にてME（Master of Engineering）を修得。1995年よりコンビニエンス・ストア本部にて流通関連システムの企画とプロジェクト管理、2002年よりセントラル・コンピュータ・サービス（株）にて新日鉱グループのシステム開発を担当。2008年より新日鉱ホールディングス（株）企画・管理グループ（IT担当）としてグループのITガバナンスの整備を推進中。</dd>
</dl>]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>鈴木　君男さん（３）　新日鉱ホールディングス株式会社</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.promane.jp/career/2008/12/000731.html" />
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    <id>tag:www.promane.jp,2008:/career//6.731</id>
    
    <published>2008-12-19T13:08:33Z</published>
    <updated>2008-12-19T13:10:15Z</updated>
    
    <summary>グループの情報子会社に異動 鈴木 2002年4月から、グループの情報子会社である...</summary>
    <author>
        <name>ブログ管理者</name>
        
    </author>
            <category term="18.第18回　鈴木君男さん" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.promane.jp/career/">
        <![CDATA[<h2>グループの情報子会社に異動</h2>
<img src="/career/image/suzuki7.jpg" alt="鈴木　君男さん" width="250" height="200" />
<p><strong>鈴木</strong><br />
2002年4月から、グループの情報子会社であるセントラル・コンピュータ・サービス（株）（CCS）に異動になりました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そのときには、まだ新日鉱ホールディングスはなかったのですか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
「新日鉱ホールディングスを作ります」という発表があったのは、私がコンビニ本部にいた最後のころです。持ち株会社化して、実際にできたのは、2002年の9月ですね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
新日鉱ホールディングスができた時に、CCSの位置づけも少し変わったのでしょうか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
ええ。新日鉱ホールディングスの設立にともない、より明確に、独立事業会社として位置づけられたのです。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
プロフィットセンターだったのですね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
独立事業会社として、会社の経営基盤の充実を含め、利益をしっかり追求していくということでした。私自身も、コンビニ本部での経験を、今度は「システムを商売にする会社の中で生かしていこう」ということでCCSに異動になりました。<br />
ただ、システム開発の現場からはしばらく離れていたので、当時の社長の配慮もあって、「まずはよく分かっているグループのシステムを担当して、その後に、外向けの仕事をやっていこう」という指示を受けていました。しかし結果としては、グループのシステムの仕事を6年やりました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
グループの仕事というのは、主にどういう事業を担当されたのでしょうか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
CCSの開発担当部署の責任者として、石油、金属の両方のシステム構築を担当しました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
鈴木さんはそれまで、ユーザ企業のシステム部門、ベンチャーの情報システム部門と担当されてきたわけですが、この時にまた、会社の中での立場と視点が変わりましたよね。それによって、ご自身の中で何か変化はありましたか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
一つは、CCSはシステム構築をして収益を上げるという会社ですから、プロジェクト管理やプロジェクトそのものについても、売り上げ、コスト、生産性も含めて利益率などの会社の収益に直接関係する要因の重要性を考えるようになったことです。<br />
もう一つは、企業内の情報システム部では、部員の労務費は間接コストとしてかかりますが、今度はソフト会社ですから社員の労務費は直接コストとなってきます。30名ぐらいの部下がいる中で、どれだけ売り上げにつながる仕事をみんながやるのかということを考えなければなりません。まずはしっかり仕事を取って来ること、そして長期的な仕事などを含めて、やはり社員の有効活用ということは非常に意識しました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
利益を考えると、社内リソースの稼働率を上げていくことが大事ですよね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
ええ、そういうところがこれまでと比べて非常に違ってきましたね。ユーザ企業の立場と、メーカー、ベンダーの立場の違いによって、管理することや考え方を変えないといけないということです。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
確かにそうでしょうね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
ですから、ものづくりの部分の仕事だけではなく、それ以外の管理的な仕事も増えました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そういう仕事のほうが多いかもしれません。部下が30人いたら、それぞれの人に合わせたマネジメントも必要です。仕事をさせながら育てないといけないし、個々人の置かれている状況や不満も常に聞かないといけない。マネジャとして大変ですよね。<br />
人の育成という面で、何かこの当時に心がけていたことはありますか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
制度としては目標管理など、会社の中でもようやく人材育成のための制度ができてきていたのですが、実際にはその通りになかなかいきませんでした。人材育成のための時間が取れないというのが一番のネックになります。<br />
ユーザ企業であれば「セミナーを受講してきなさい」とか「こういう研修をやりなさい」と、わりと自分たちの都合で教育ができますが、お客さんを持って、稼ぐプロジェクトにメンバーを入れていますから、そういう人たちにどういうタイミングで勉強してもらうかが大変でした。長期的に見ても、勉強したことを活かす仕事が本当にあるのか考えつつ、研修と仕事にうまい具合に接点を持たせる形で仕事のアサインをしたいとは思っていたのですが、なかなかできなかったですね。毎年、人材育成の個人別レビューをやっているのですが、「今年もこれがあったがために、何も勉強できず」（笑）とかね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
それは世の中のみなさんが共通して抱えている悩みでしょうね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
稼がなければいけないというプレッシャーがありますから、そこをうまく調整して勉強の機会を与えるというのが難しいですね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうですね。ある程度余裕もないといけませんし。弊社も、プロジェクトマネジメントのコンサル会社なので、プロジェクトマネジメント・プロフェッショナル（PMP）という資格をみんなで取得しようとしています。「計画的にPMPを取ろう！」と目標管理の面談で繰り返し話しているのですが、なかなか取れないのが実情です。それと一緒ですね。</p>

<h2>受注側のプロジェクト管理の難しさを経験</h2>
<img src="/career/image/suzuki8.jpg" alt="鈴木　君男さん" width="250" height="200" />
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
いつも対談のときに皆さんお聞きしているのですが、システム開発のプロジェクトマネジメントでは、どういうところが一番のポイントというか、何が大事だと考えてやられていますか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
一番大事なのは、プロジェクトの立ち上げ、計画のところです。あとは、そこでどれだけリスクを減じられるのかということですね。私はやはり、プロジェクトは計画の段階で、どんなメンバーでこのプロジェクトを進めていくのかという人選、メンバー編成が一番大事だと思っています。それは当然、対お客さまの体制も含めてですが。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうですね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
本来、部長クラスの役割としては、プロジェクトマネジメントの実践はできる人たち（PM）に任せておけば、あとは「もう、ここを聞いてチェックするだけ」で済むはずです。そういう人材がたくさんいれば、それにこしたことはないのですが、なかなかそうはいかない現実があります。<br />
また、一時期はグループの仕事だけでも年間数十億という開発がありました。そうすると、どうしても限られたメンバーでやらざるを得ません。少々経験が足りないけれど、今のメンバーの中ではこの人が一番適任ではないかというメンバーをプロジェクトマネジャにアサインしますから、仕事を任せて人を育てるには、ちょうどいい機会ではあります。しかし、なかなかフォローしきれず、あるところまで進んでから「大変です」という声を聞いて、リカバリーをしていかなければならなくなったこともありました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
組織のマネジャになると、一つのプロジェクトではなく複数を見ることになります。自分たちの戦力、兵隊は限られているので、まずその兵隊の割り振りが難しいです。今お話にあったように、リスクテイクしないといけない分、マネジメントも難しいですね。そのときにはどういう考えで対応されていましたか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
リスクのありそうなところには、私自身も含めて、他のプロジェクトよりもサポートするメンバーを厚くしていくということがひとつ。それから、立ち上げの段階で、お客さんとの間でリスクを回避する進め方を詰めておきます。さすがに「まだ経験がちょっと足りない者を、今回はプロジェクトマネジャにしているので不安です」とは言えないですから（笑）。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
大っぴらには言えないですからね（笑）。そういうところが難しいですよね。<br />
それは、システムの仕事にかかわらず、全ての仕事で同じです。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
当然ユーザ側にもプロジェクトマネジャがいますが、ユーザ側なら、ある程度自分たちの事情で優先順位も付けてやっていけます。やはり同時にやらないといけないのだけれど、少しでもずらせることができるとか。ただ、注文を受ける立場になるとそれはできないのですよ。「じゃあいいよ。ほかに頼むから」と言われてしまう。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
発注する立場と受ける立場はだいぶ難しさが違いますよね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
そうですね。</p>

<h2>自社の利益か、グループへの貢献かというジレンマ</h2>
<img src="/career/image/suzuki9.jpg" alt="鈴木　君男さん" width="250" height="200" />
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
ここでは6年間やられたわけですが、CCSでのご経験を通してどのようなことをお考えになられましたか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
最初の2002年から2005年ぐらいまでは、グループの中の独立事業会社、つまりプロフィットセンターとして、しっかりした収益を上げていくにはどうすればよいのかを考えていました。そうすると、ソフト会社としては、人材も含めて、ある分野では非常にいいけれど、競争力のない分野もあるようだということがわかりました。各部の部長クラスも含めて、CCSをこれからどうしていくのかを真剣に考え、その先の進むべき道を歩み始めたところは、非常に勉強になりましたね。<br />
ただ、なかなか考えた通りには行かなくて、その道は険しいという判断が途中から入りました。ですから、その時点で「もう上場は諦めます」と社員にもちゃんと発表しました。言葉を換えれば、「上場しない。でも独立事業会社として、プロフィットセンターとして頑張れよ」ということは、グループの中の位置づけとして、プロフィットセンターとしてあまり期待されていないということが、何となく明らかになったということです。<br />
そういう状況でも、会社としてはしっかり存続していかないといけないということになると、私自身を含めて、グループの仕事であっても、より利益重視の仕事の仕方に傾いていく感じがありました。<br />
CCSに行ってからもシステム構築のプロジェクトをいくつも経験してきまして、その中には失敗のプロジェクトもあり、成功したものもあります。実は、ユーザとシステム会社とでは、何をもって失敗と定義するかも違ってきます。「システムはいいものができたけれど、大幅赤字でした」となると会社としては大変です。ユーザ側からみると「よく頑張ってくれて、いいものができた」ということでいいのですけれどね…。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
それはやはり失敗ですよ。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
もう一つ、「利益は出たけれど、システムがうまく使われてない」というケースがありますね。それはシステム会社から見ると成功なのですよ。成功と言っていいかどうかは問題かもしれませんが。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
一応、利益を上げるという目的は果たしていますよね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
そうなのです。でも本当は、それはグループ会社の仕事ですから、グループとしてどんな価値を生み出しているのかというと、「何にも生み出していないじゃないか」という観点でも見なければいけないという側面もありますよね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
自社の利益とグループとしての価値に引き裂かれるところが出てくるのですね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
例えば、グループ内企業からシステム構築が来たとしましょう。要件を聞けば、CCSにいるメンバーのほうが「この事業のこの仕組みだったら、こういうことをやればもっといいんじゃないか」というのが分かるので、そういう提案をします。でも、ユーザのある事業部が、「こういう要件で予算1億円取ったから、頼むね」と依頼してきたら、「そんなにお金をかけて、そこまでやらなくても、こういうやりかたならもっと安く済む方法がある」とか、「それだけかけるんだったら、いっそこの範囲までやったほうがいいんじゃないか」と、なかなか言いにくくなってくるのですよ。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
なるほど。自社の利益を考えればそうなります。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
本当は機能子会社的な立場なら、利益はなくても、とにかくグループの事業のためになるためのことをやっていけばいいはずです。私は根っこのところで「CCSでもグループの仕事をやる部分は、利益は赤字にならない程度でいいよ」というようにしたかったのですが、経営トップの立場になるとなかなかそういうわけにもいきません。外部からの受注で儲かっていればそれでもよいのですが、それが可能な環境ではなくなっている。そうなると、「グループの仕事も、そんな低い利益率でやってもらっちゃ困る」ということになってしまいます。</p>

<p>（次回に続く）</p>

<p>構成：萩谷美也子</p>]]>
        <![CDATA[<h1>鈴木　君男さん（３）<br />
<span class="guestco">新日鉱ホールディングス株式会社　企画・管理グループ（IT担当）　シニアマネージャー</span></h1>
<dl>
<dt>
<img src="/img/p/suzuki-l.jpg" alt="鈴木　君男さん" width="100" height="100" />鈴木　君男（すずき　きみお）さん<br />
新日鉱ホールディングス株式会社</dt>
<dt>企画・管理グループ（IT担当）<br />シニアマネージャー</dt>
<dd>1982年筑波大学第3学群情報学類卒。同年、日本鉱業入社。本社及び工場にて販売管理システム、生産管理システム等の開発、保守・運用に従事。1991年米国コーネル大学にてME（Master of Engineering）を修得。1995年よりコンビニエンス・ストア本部にて流通関連システムの企画とプロジェクト管理、2002年よりセントラル・コンピュータ・サービス（株）にて新日鉱グループのシステム開発を担当。2008年より新日鉱ホールディングス（株）企画・管理グループ（IT担当）としてグループのITガバナンスの整備を推進中。</dd>
</dl>]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>鈴木　君男さん（２）　新日鉱ホールディングス株式会社</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.promane.jp/career/2008/11/000729.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.promane.jp/blog_manager/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=6/entry_id=729" title="鈴木　君男さん（２）　新日鉱ホールディングス株式会社" />
    <id>tag:www.promane.jp,2008:/career//6.729</id>
    
    <published>2008-11-28T08:23:51Z</published>
    <updated>2008-11-28T08:42:22Z</updated>
    
    <summary>合併のあと、企画担当として視野の転換 能登原 情報システム部で銅箔事業を担当した...</summary>
    <author>
        <name>ブログ管理者</name>
        
    </author>
            <category term="18.第18回　鈴木君男さん" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.promane.jp/career/">
        <![CDATA[<h2>合併のあと、企画担当として視野の転換</h2>
<img src="/career/image/suzuki4.jpg" alt="鈴木　君男さん" width="250" height="200" />
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
情報システム部で銅箔事業を担当した後に、企画担当になられたのですね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
ええ。企画担当を2年くらい勤めました。そこではIT技術系社員の採用から教育までを担当しました。企画的な仕事としては、IT予算、IT中期計画の取りまとめといったことを経験しました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
具体的にはどういったお仕事だったのでしょう。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
IT中期計画では各事業部門から上がってきたシステム化案件を情報システム部の企画担当で取りまとめて、システム化全体計画を作成します。全社の中期計画策定の時期になると、会社の経営企画部門のヒアリングがあり、そこで、事業部門の人たちが設備投資案件の一部としてシステム化案件を説明をします。システムの取りまとめ担当ということで、その場には必ず出席していましたね。<br />
そこでは、会社の経営企画部門から、そのシステムの目的はどうなのか、採算性はどうなのかと、厳しく質問されるわけです。その場にいることで、システム部が描いた絵だけではなくて、それを使う人が真面目に、真剣に取り組んでシステムを活用していくということがなければいけないということ、つまり「情報システムをとりあえず作って、動いています」というだけでは、本来の効果が出ていないということがひしひしと感じられて、事の重要性を痛感しました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
鈴木さんは、それまで現場の仕組みを作るお仕事をされていたわけですから、企画となるとまた違った視点、例えば経営的視点から見ることになって、仕事の中身が変わったと思います。それは鈴木さんにとってはどう感じられましたか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
そこで感じたのは、作る現場から、「そのシステムを使うと、どういう効果が出てくるのか」をきちんと考えていかなければならないということです。また、企業の目指すべき方向性と合ったものを作って、しっかりシステムで支えていかないといけないということを強く感じましたね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
なるほど。ところで、石油精製を担当していた日本鉱業と販売を担当していた共同石油が合併したのは1992年でしたね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
ええ、合併してから1年間は日鉱共石という名前でした。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
１年後には、株式会社ジャパンエナジーという名前になったのですね。合併はまさに一大事業で、その大変革期が1992年から今の新日鉱グループに起こっていたことになりますね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
そうですね。合併したときは、私はまだ銅箔事業担当でした。アメリカから帰ってきてすぐに「合併します」というアナウンスがあって、1993年の日鉱共石時代は銅箔事業担当をやっていました。企画に移ったのは、ジャパンエナジーになってからです。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
合併したときには情報システム部門としても、日本鉱業、共同石油のどちらの仕組みを使うか、それとも新規に開発をするかという整理が大変だったと思いますが、その作業も主導されたのですか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
いえ、そのときは、まだ銅箔の営業システム開発をやっていました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
ということは、企画に移られたのはそのあと、一段落してからなのですね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
そうですね。</p>

<h2>コンビニ本部に出向し、第一線の店舗開発を担当</h2>
<img src="/career/image/suzuki5.jpg" alt="鈴木　君男さん" width="250" height="200" />
<p><strong>鈴木</strong><br />
企画担当を２年くらい勤めた１９９５年の８月頃の話ですが、「今後の事業展開としてコンビニエンスストア事業をさらに伸ばしていく」ということになって、その事業のシステム部門の要員を強化しなければならないという話になりました。私の前にも先輩が何人か先に配属されていたのですが、さらに強化するということで、辞令をもらってそちらに行きました。<br />
ところが、システム部門を強化すると言っていたのに、行った先ではシステムの仕事をせずにコンビニの店舗開発をしました。コンビニ本部の営業活動の、第一線の仕事を約2年間やったわけです。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
店舗開発担当ですか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
店舗開発担当の業務としては、まず商売を実際にするオーナー候補の方を口説いてコンビニを運営してもらうという仕事と、とにかくよい立地を探して店を作るという仕事と、大きく2つのパターンがあります。ですから、市場調査を行って、立地が良くてよく売れる場所はどこかというのを自分で探してくることになります。これは勉強になりました。<br />
例えば、都市計画法という法律があって、店を出すことのできる場所は限られています。システムだけやっていたので、このような法律があることを知りませんでした。また、店を作るには、店舗のオーナーが自分の資金でコンビニ店舗を建設するのが原則でしたから、お金の調達に必要なアドバイスもしました。金融機関から借りるときのお手伝いです。金融機関はお金を貸すわけですから、その場所で店を運営して返済がちゃんとできるのかどうかをチェックします。コンビニの１店舗毎に事業計画をしっかり作って、その事業計画に基づいて借り入れをします。また、オーナーさんに決断してもらうためには、オーナーさんが疑問に思っていることに、どれだけ説得力を持って答えられるかが重要なのだということも勉強させてもらいました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
情報システムの仕事をしようと思ってコンビニエンスストア事業に行かれたのに、結局行ってみたら違ったわけですよね。ご自分の中で、そのあたりの折り合いはどうされたのですか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
仕事を実際にやってみて分かったのは、コンビニ経営の裏を支えているのはほとんどシステムだということです。システム産業そのものであり、システムを利用する産業そのものだと思うのです。ですから、そのシステムをどう使えば価値があるのかということを、しっかり店舗開発担当の人が分かってないと、オーナーさんに説明出来ません。<br />
そこで再認識したのは、システムは使ってこそ価値が出るということでした。また、店舗開発担当をしていると、自分で作っている仕組みではないこともあって、「このシステムでは、店舗運営者（オーナーさん）から見ると、本当にやりたいことが出来ないね」という経験もあります。ですから、使う側の立場で、システムがどうあったらいいのかも分かるようになりました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
このときには、店舗のシステム担当の人に、鈴木さんのほうから要望をいろいろ出したりしたわけですか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
はい。わりと小ぢんまりとした会社でしたから、その辺りは風通し良くできました。ただ、その通りにシステム開発予算を取ってできるかは、また別問題ですが。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
ジャパンエナジーから見ると、規模も風土もベンチャー企業のような感じですね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
そうですね。</p>

<h2>システム開発も24時間体制を求められる</h2>
<img src="/career/image/suzuki1.jpg" alt="鈴木　君男さん" width="250" height="200" />
<p><strong>鈴木</strong><br />
店舗開発担当を2年間やったあと、ようやく情報システムの部長になり、3年間担当しました。本当にベンチャーというか、小ぢんまりしたところですし、システムの部長が経営幹部と話をする中で、自分たちのやりたいことを実現するのには非常によい環境でした。いろいろなことをやりすぎたのではないかというのはありますけれど（笑）、やりたいことが自分で意志決定できるという環境でした。<br />
その中で、店舗のPOSシステムや本部の情報系システムの更新と、年間10億から20億円ぐらいのシステムの開発を3年くらいやりました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
POSの入れ替えがメインだったのですか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
コンビニのシステムは、まず店にPOSがあって、バックルームにストアーコントローラーという店内サーバがあって、そこから本部の計算センターに全部の情報を集めてくるシステムがあり、本部で受発注処理や経理処理をやるということになっています。同時に本部のほうには、大量のデータを処理してマーチャンダイジングに使うための情報系のシステムもあるという形です。情報分析の観点では、店舗のPOSシステムで、商品一つ一つがいつどんな人にどれだけ売れたのかという、現場の生の情報がどれだけ早く集まり、見やすい分類で意思決定に応じた形に加工され、しっかり使えるのかどうかというのが、本社の商品担当者にとっては重要です。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
なるほど、情報の流れのタイミングと、利用しやすい加工の仕方の両方が重要なのですね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
ええ。コンビニでは、欠品状態という、「もっと売れるのに品切れということ」ことがあります。これは大きなチャンスロスです。ですから、店舗側にとっては、類似した立地にある店舗で何がどれだけ売れているのかという情報が、発注のタイミングに間に合うように素早く伝えられるシステムであることが重要です。そういう意味ではコンビニおける情報活用のあるべき姿というのを、非常に現場に近いところと本部の両方で体験できました。<br />
それから、システム部員としては10人いない状況で、ベンダー、メーカーの方々と一緒になって大規模なプロジェクトをやっていきますので、その総責任者として納期を守りながら要件に合ったものを作りあげていかなければなりません。PMとして各社にしっかりとやってもらうというのが、けっこう大変でした。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
少人数で10億、20億の開発を毎年やっていくのは、大変な仕事だと思います。そのなかでも、何が一番大変でしたか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
コンビニ店舗は24時間やっていますので、こちらもそれに応じた仕事することがあります。年末も店舗が開いていますから、ほとんど休みなしです。それが一番大変でしたね。店舗が開いている間は、いろいろなトラブルがあるわけです。それが最終的にはシステムに関係することもあります。<br />
毎年大晦日に、年替わり処理というのをします。「今年は何とか無事終わったかな」と思って家で酒を飲んでくつろいでいた時に、「年替わり処理をやったあとで、うまく酒の発注ができなくなった」という問い合わせが店から来たこともありました。最初はその店の問題じゃないかと思ったのですが、同じ問い合わせが他の店舗からも来て、システムの年替わり処理に何か上手く行かなかったところがあるということがわりました。その対応に本部に集まって正月を過ごしたとか、そんなこともありました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そういうときは、鈴木さんも駆けつけて行くのですか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
そうです。当時はまだ携帯電話もない時代でしたから、ポケットベルの呼び出しですが、あまりいい思い出はないですね（笑）。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そちらには7年間いらっしゃったのですね。総括するとこの7年間はどういう期間でしたか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
普通のIT部門ではなかなか味わえない経験をしました（笑）。<br />
最後の一年間は、今度は店舗運営の指導をするオペレーション部、つまりスーパーバイジングをする部署の統括部長として、販売促進の企画と実際の指導、徹底の仕事をやりました。それこそまさに「自分たちが作ったシステムをどう使って効果を出すか」ということですから、システムの再評価を自らやっていたようなものです。オーナーさん一人一人のことを考えると、「これは使い勝手が悪い」とか、「こちらが思っていた通りには使われていない」というのが、また分かってきました。ですから、システム部は離れましたが、その結果をまたシステムにフィードバックして次のシステムには生かしていこうと思いました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうですね。そうするとPDCAが最後まで回りますね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
もうひとつ感じたのは、人が使うシステムはなかなか理想通りにいかないものだということです。最初から百点満点を狙うと、うまくいかないことが多い。最初は７割ぐらいの目標なり機能を満たすものを作って、そのあとで実際に使い勝手を見ながら、追加すべき機能や改良すべきことを、もう一度見直してやっていくということが、やはり重要なのかなと思いました。</p>

<p>（次回に続く）</p>

<p>構成：萩谷美也子</p>]]>
        <![CDATA[<h1>鈴木　君男さん（２）<br />
<span class="guestco">新日鉱ホールディングス株式会社　企画・管理グループ（IT担当）　シニアマネージャー</span></h1>
<dl>
<dt>
<img src="/img/p/suzuki-l.jpg" alt="鈴木　君男さん" width="100" height="100" />鈴木　君男（すずき　きみお）さん<br />
新日鉱ホールディングス株式会社</dt>
<dt>企画・管理グループ（IT担当）<br />シニアマネージャー</dt>
<dd>1982年筑波大学第3学群情報学類卒。同年、日本鉱業入社。本社及び工場にて販売管理システム、生産管理システム等の開発、保守・運用に従事。1991年米国コーネル大学にてME（Master of Engineering）を修得。1995年よりコンビニエンス・ストア本部にて流通関連システムの企画とプロジェクト管理、2002年よりセントラル・コンピュータ・サービス（株）にて新日鉱グループのシステム開発を担当。2008年より新日鉱ホールディングス（株）企画・管理グループ（IT担当）としてグループのITガバナンスの整備を推進中。</dd>
</dl>]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>鈴木　君男さん（１）　新日鉱ホールディングス株式会社</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.promane.jp/career/2008/11/000727.html" />
    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://www.promane.jp/blog_manager/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=6/entry_id=727" title="鈴木　君男さん（１）　新日鉱ホールディングス株式会社" />
    <id>tag:www.promane.jp,2008:/career//6.727</id>
    
    <published>2008-11-14T11:43:33Z</published>
    <updated>2008-11-14T11:53:18Z</updated>
    
    <summary>コンピュータを作る側より活用する立場の仕事を志向 能登原 この対談ではみなさんに...</summary>
    <author>
        <name>ブログ管理者</name>
        
    </author>
            <category term="18.第18回　鈴木君男さん" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.promane.jp/career/">
        <![CDATA[<h2>コンピュータを作る側より活用する立場の仕事を志向</h2>
<img src="/career/image/suzuki1.jpg" alt="鈴木　君男さん" width="250" height="200" />
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
この対談ではみなさんに、「そもそもなぜコンピュータに関係する仕事をするようになったのか」ということからお聞きしています。鈴木さんは、大学が筑波大学の情報学類ということですが、コンピュータの学科をなぜ選ばれたのかというあたりからお願いします。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
高校時代に理数系の科目が得意でしたから、大学では理数系の勉強しようと思っていました。理数系にもいろいろありますが、私はデザインをしたり絵を描いたりするのが非常に苦手なので、そういう要素がない分野で、社会の中で役立つことを勉強したいと考えました。1970年代の後半は、「コンピュータ」という言葉が世の中に出始めてきた時代でした。そういう最先端の勉強ができる環境があるということで筑波大学はとても魅力的でした。<br />
大学では情報学を専攻し、ハードウェアとソフトウェアの両方を勉強してきました。卒業研究のテーマは、「赤外線スペクトラムデータのデータベース構造」です。赤外線スペクトラムの実際に測定した結果を照らし合わせるためのデータベースの構造を研究し、検索に最適と思われるデータベースを設計しました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
その当時はコンピュータパワーも不足していたし、データベースの研究は旬なテーマでしたね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
たまたま指導教官が、そういうことをやってきた先生だったのですよ。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
それはリレーショナル・データベースとか、そういう一般的なものではなかったのですね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
その当時からリレーショナル・データベースについての理論はありましたけれども、実際のシステムとしては、世の中にはまだ普及していませんでした。大学時代のコンピュータの環境は、メインフレームの世界でした。研究課題の実装としては、自分でインデックスファイルとシーケンシャルファイルを組み合わせたかたちで、検索がうまくできるようなものを手作りしたと思います。30年ぐらい前の話ですからね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そういう研究だったのですか。それで、今の会社を選ばれたわけは何だったのでしょうか？</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
コンピュータを専門に勉強しましたから、IBM、日立、富士通、NEC等々コンピュータメーカーに進む同級生もたくさんいましたが、私はコンピュータそのものを研究するとか、ソフトウェアを作り出すということよりも、「コンピュータをどう使って社会に貢献していくのか」ということに非常に興味がありました。<br />
そこでコンピュータを利用する企業の中で仕事をしていきたいと考えて、ユーザ企業である日本鉱業に入社しました。当時の日本鉱業は、日本企業の中でもコンピュータの利用・活用という面で先を行っていると感じられたのと、学生時代はバスケットをやっていたので、バスケットボールで有名ということも入社の一つのきっかけにはなっています。</p>

<h2>時間のゆとりを活用して、利用者の声を把握</h2>
<img src="/career/image/suzuki2.jpg" alt="鈴木　君男さん" width="250" height="200" />
<p><strong>鈴木</strong><br />
入社後は、情報システム部に所属し、日本鉱業の主力事業のひとつである金属加工事業を担当するグループに配属され、本社で１年半勤務しました。<br />
私が配属されたときの金属加工のグループは、販売管理システムと棚卸し計算システムの開発が終わって一息ついたところでした。情報システム部の他のグループにも同期が何人かいましたが、私だけ結構ひまな状況だったのですよ。<br />
そこで、「今あるシステムからこんなデータを取りだして欲しい」というユーザ部門のかたから、臨時の依頼をもらって、それに対してアウトプットを提供する仕事をやらせてもらったのです。それが今になって思うと非常に良かったです。依頼者は「こういうデータが欲しい」とは言ってくるのですが、そこでもう一度「それは何の目的に使うのでしょうか？」と詳しく利用の目的を聞き、「だったら、このデータも一緒に出したら、より使えるんじゃないですか」というようなやりとりを、新入社員でありながらもやっていたのです。データをどう使うのか、まさに利用者の生の声を聞くことができました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうですよね。情報システムを作っただけではユーザには何もメリットもなくて、情報システムの中にあるデータをすばやくタイムリーにユーザに提供して、初めて効果が出ますから。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
実は最初のころ、何度か失敗したのですよ。そのまま要望されたとおりのデータを持って行ったのですが、「ちょっと違うんだよね」と中身を見て言われてしまう。そうするとまたやり直しで、前回にやった仕事が無駄になってしまいます。「ほんとうに欲しいデータは何ですか」ということを最初に確認して次の仕事を行うことが大事だなと感じましたね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
なるほど。その通りですね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
とにかくいろいろな人から依頼が来るので、金属加工事業部の管理室、営業企画の人たちと、たくさんの人と仕事を通じて知り合いになりました。そのことが後々プロジェクトを進める上ですごく役立つということを、あとになって実感しました。<br />
当時5階建てのビルで各階に同期入社の友人もいましたし、プロジェクトに入っていなくて時間に余裕がありますから、「お前、今何の仕事をしてるんだ？」と同期の部署に遊びに行ったり、年次が近い先輩の話を聞いたり、毎晩のように酒を飲みに行ったりということが、今になっても結構役に立っています。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
 そうすると公式と非公式に社内中の部署をヒアリングしていたような感じだったのですね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
結果としてはそうですね。そんな感じで、1年半本社で仕事をして、昭和58年の7月に神奈川県寒川町にある金属加工の主力工場である倉見工場に転勤になりました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
倉見工場では、やはり生産管理に関するシステムを担当されていたのですか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
倉見工場ではちょうど、仕上出荷のFＡ化、いわゆる自動化とそれを動かすコンピュータシステムの構築という大プロジェクトがありました。私はそのプロジェクトで、工場の仕上出荷工程の入り口にあたる「スリット指図計画」のシステム担当として、開発プロジェクトに加わりました。当時は工場にもメインフレーム（汎用機）がありまして、その担当もやっていましたので、プロジェクト活動と並行して、メインフレームの更新計画、それからシステムの保守、運用の自動化等も担当していたという感じです。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
仕上出荷のFＡ化計画は、非常に大きい計画でしたね。設備も入れ替えましたし、情報システムも相当作りました。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
そうです。まだ入社2年目の若造が、大プロジェクトの中のサブシステムですが、そこの責任者として任されて、相当なプレッシャーでした。プレッシャーで本当に胃が痛くなるということも経験し、また大きなプロジェクトを進めていくことの難しさも感じましたね。<br />
また、意思決定に使うツールとして最適化計算の手法である線形計画法を用いた工場全体のモデルが1982年に作られていました。私はそのメンテナンスを本社で担当していたのですが、倉見工場にそのシステムを持って行って、年度予算や中期計画の検討時にシミュレーションに近い使い方をする際の、モデルの維持管理も行っていました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
入社後の早い時期にそういう大きいプロジェクトを経験したことは、とても良い経験になっているのでしょうね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
そうですね。そのおかげで、工場でその後も生産管理を中心としたシステムの開発、保守、運用をいい形でおこなうことができたと思っています。</p>

<h2>アメリカに2年間留学した後、銅箔事業の担当に</h2>
<img src="/career/image/suzuki3.jpg" alt="鈴木　君男さん" width="250" height="200" />
<p><strong>鈴木</strong><br />
社内に国外留学生制度がありましたので、1989年の6月からアメリカのニューヨーク州にあるコーネル大学の大学院で、インダストリアル・エンジニアリングという製造現場のシミュレーション、最適化計算など、製造の現場で利用できる理論を勉強して来ました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
このときの留学生活はいかがでしたか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
もともとそんなに英語が得意ではなかったので、行く前には相当英語を勉強してから行ったんですけど、なかなかね、そう簡単に力がつくわけではないです。全て英語でやる授業を聞いてレポート出して、発言してという中で、相当苦労しました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
苦労されましたか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
ええ。何とか、無事卒業することができました。でも、楽しみもありました。学生ですから夏休みが3ヶ月間あります。一緒に行っている同僚の方々には夏休みも勉強している人もいましたが、私はその3ヶ月間は「いかに勉強しないで過ごすか」ということを目標に、有意義な夏休みを過ごすことができました（笑）。旅行に行ったり、スポーツをしたりしていましたね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
アメリカ国内を旅していたのですか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
アメリカ国内を東から西、南から北というかたちで。ただ、子供も連れて行っていたので、子供の具合を見ながらで、あまりハードな旅はできませんでした。あの当時は2歳だったかな。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
お子さんがまだ小さかったのですね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
ええ。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
行かれた場所で印象に残っているところはありますか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
国立公園に結構行きましたので、イエローストーンやグランドキャニオンは非常に印象的でしたね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
なるほど。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
留学の最後は、半年間、現地の米国企業で銅箔事業のシステムの勉強をしました。<br />
「アメリカの会社におけるシステムはどんなものかな」ということで、企業での実習も経験して帰ってきました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
その実習は、授業を受けながらされたのですか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
いや、2年間の留学期間の中で、大学院での勉強を1年半で終え、残り半年で、企業実習を行いました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
企業実習をしてみていかがでした？　日本とはだいぶ違いましたか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
企業実習といっても、現地の関連会社に頼んでお邪魔しただけなので、きちんとしたプログラムがあるわけではないのです。会社に行って自分で勉強しながら、ハード・ソフトの環境だとか、どんな画面でどんなふうにやっているかを見せてもらいました。画面のデザインはそんなに凝らなくて、シンプルでしたね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
先方の企業のシステム部の人と一緒に仕事をする機会はありましたか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
ええ。会話はよくしましたし、システムの使い方は教わっていました。ただ、多くは自分で、いろいろなレポートを読んだりしていました。また、実習の半年の間に、1か月ぐらいアリゾナにある工場にいき、まぶしい太陽を浴びながら、長期滞在型のホテルにいました。あれは良かったですね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
なるほど。アメリカに2年間行って来られて、随分考え方にも変化があったと思いますが、戻って来られてどのような業務を担当されたのですか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
1991年に戻ってきて、銅箔の営業システムを１年ぐらいかけて構築しました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
アメリカで銅箔に関係した企業で実習したこともあって、銅箔事業に関係する業務を担当されたのですか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
そうですね。当時、会社は銅箔事業の拡大を進めていましたが、まだ東南アジアに銅箔の生産拠点がなく、東南アジアへの輸出計画は、日本とアメリカでバランスさせながら進めることになります。実際にデリバリをするときは、本社（虎ノ門）の営業担当が「アメリカにある銅箔の製品在庫がリアルタイムで見たい」という話が出てきました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そういう要望があったのですね。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
当時まだインターネットは全然普及してない時代で、専用線をアメリカと本社（虎ノ門）で結んで、それでアメリカのシステムにアクセスする形にしました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そういう面では、だいぶ早かったですね。まだその時は、日本の工場では生産管理システムはできていなかったのですか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
作りつつありました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
同時に作っていたわけですか。</p>
<p><strong>鈴木</strong><br />
そうです。それまで本社の情報システムには、銅箔事業のシステム担当はいませんでした。でもこれからは銅箔事業をさらに伸ばしていくという時代だということで、情報システム部の中でも担当を作って、私が担当になったというわけです。「なったからには、事業に役立つものを持って行かないといかんかな」（笑）ということで銅箔の営業システムを構築しました。</p>

<p>（次回に続く）</p>

<p>構成：萩谷美也子</p>]]>
        <![CDATA[<h1>鈴木　君男さん（１）<br />
<span class="guestco">新日鉱ホールディングス株式会社　企画・管理グループ（IT担当）　シニアマネージャー</span></h1>
<dl>
<dt>
<img src="/img/p/suzuki-l.jpg" alt="鈴木　君男さん" width="100" height="100" />鈴木　君男（すずき　きみお）さん<br />
新日鉱ホールディングス株式会社</dt>
<dt>企画・管理グループ（IT担当）<br />シニアマネージャー</dt>
<dd>1982年筑波大学第3学群情報学類卒。同年、日本鉱業入社。本社及び工場にて販売管理システム、生産管理システム等の開発、保守・運用に従事。1991年米国コーネル大学にてME（Master of Engineering）を修得。1995年よりコンビニエンス・ストア本部にて流通関連システムの企画とプロジェクト管理、2002年よりセントラル・コンピュータ・サービス（株）にて新日鉱グループのシステム開発を担当。2008年より新日鉱ホールディングス（株）企画・管理グループ（IT担当）としてグループのITガバナンスの整備を推進中。</dd>
</dl>]]>
    </content>
</entry>
<entry>
    <title>浜田　佳正さん（６）　東芝情報システム株式会社</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.promane.jp/career/2008/09/000712.html" />
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    <id>tag:www.promane.jp,2008:/career//6.712</id>
    
    <published>2008-09-19T06:57:53Z</published>
    <updated>2008-09-19T07:13:14Z</updated>
    
    <summary>教育にもイノベーションが求められている 能登原 最近は、その当時とは仕事の内容も...</summary>
    <author>
        <name>ブログ管理者</name>
        
    </author>
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.promane.jp/career/">
        <![CDATA[<h2>教育にもイノベーションが求められている</h2>
<img src="/career/image/hamada15.jpg" alt="浜田　佳正さん" width="250" height="200" />
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
最近は、その当時とは仕事の内容も、挑戦されている部分もだいぶ違ってきているのですか。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
先ほどもちょっとお話しましたが、最近は、東芝本社から関連会社、グループ全体に対して、イノベーションということを非常に強く言われています。<br />
その中で、私の今の職責である教育と技術管理として、考えなければならないことが二つあります。一つ目のテーマは、イノベーションに際して必要な教育や技術的なものとは何かということです。例えば、現場が「今後、Oracle EBSのソリューションベンダーのナンバーワンを目指すために、EBSの技術者を増強する」ということを計画した場合に、それに対して、教育の立場としては何を提供できるかということが一つ。そしてもうひとつのテーマは、教育自体のイノベーションを考えるということです。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
ああ、なるほど。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
前者の場合は、「それならば一緒に教育をしてきましょう」という話をしていけばいいと思います。しかし後者の場合は、自分で「教育のイノベーションって何だろう」と考えなければいけません。こちらのほうは、難しい課題ですよね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
一つにはやはり、人材育成というもう少し大きい枠組で教育を考えなければならないと思うのですが、すでに浜田さんなりに考えて、実施されていることはありますか。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
ええ、例えば先ほどのPMO（Project Management Office）がそうです。PMOの人たちはPMの経験が非常に豊かですから、そういう人たちのノウハウを、新しいPMの人たちに吸収していってもらいたいという、トップからの思いがあります。ですから、今社内で、PM教育の枠の中にメンタリングを取り込もうとしています。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
メンタリングですか。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
PMを育成する上で指導者が付きますが、単にプロジェクトに関してだけではなく、その人の人間形成も含めて育てていこうとしますよね。ですから、今までは、現場の上長がメンターになっていました。人間形成上はそれでいいのですが、PMのノウハウはPMOからもらうのがいいのではないかなと思って、PMOの方にPMのメンタリングの場に出ていただいて、そこでいろいろ指導いただくということを、ここ2期くらい実施しています。<br />
PMOの方には負担が大きくて申し訳ないのですが、すごく効果が出ています。メンタリングを受けるPMの側が、育っているという気がしますね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうですね。日常的に孤立無援でがんばっているPMにとっては、経験が豊富な人が「いや、それはこうだよ」と言ってくれると、少しほっとするでしょう。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
叱ってもらうことでも、「ああ、こっちのほうがいいんだ」と確信を持てます。PMの人は、いつも悩んでいますからね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
常に悩んでいますよ。「意志決定をしたんだけど、ほんとうにこの意志決定でよかったんだろうか」とか。特に人の問題になると、もっと大変です。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
ええ、難易度が高いです。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
とにかくPMは悩みが多いですからね。的確なメンタリングは、非常に役立つと思います。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
そういう活動を、ここ一年行っています。</p>

<h2>コーチング関連で興味を持っていること</h2>
<img src="/career/image/hamada16.jpg" alt="浜田　佳正さん" width="250" height="200" />
<p><strong>浜田</strong><br />
さらに最近、個人的興味もあって、もうちょっと幅広く調べ始めました。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
それはぜひ教えてください。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
コーチングや、それに類するもので、エニアグラムというものがあります。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
私はエニアグラムについてはよく知らないのですが。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
エニアグラムは、人間の基本性格を9つに分類し、それを知ることで、思い込みや誤解による摩擦を少なくして、円滑なコミュニケーションが取れるようにし、人間関係を上手にコントロールしようというものです。また、基本性格の組み合わせによってチームが生きたり、あるいはメンタリングの関係が生きたりするので、そういった活用の仕方をすると、組織が非常に上手く回るというものです。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
それはチームビルディングに使えますね。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
私も最終的には、そこに使うと一番効果が出ると思っています。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
私も勉強してみます。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
アフガニスタンのある部族の中で、2000年の間、継承されてきた奥義らしいのですが、それがヨーロッパに伝わって今のかたちになったようです。日本でも何冊か本が出ています。<br />
Webでも「タイプ診断　エニアグラム」と入れて検索すると、いろいろなホームページが出てきて、そこでタイプ診断ができますよ。自分のタイプが何であるかも、「このタイプはこういう性格の人なんだな」というのも、そこで分かります。<br />
最近、コーチングとエニアグラムには、共通した発想があるような気がしていまして、そのあたりが非常に面白いと思っています。いきなりチームビルディングまでは無理だとしても、個人の成長に使えないかなと考えて勉強しています。<br />
ですからPMのメンタリングのときも、自分の部下や回りの人にも「タイプは何？」と聞くようにしています。タイプが分からない人には、2分間でタイプ診断ができるCDがあるので「じゃあ、これでタイプ診断してみる？」（笑）といって、やってもらったりしています。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうすると、「この人とこの人は、こういうふうに合う・合わないがあるな」ということも分かってくるのですね。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
そうですね。例えば、「何でこの人は、いつもこういうことを言うんだろう」と感じて、腹が立つことがあったとします。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
ええ、ありますね。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
その発言のベースになっている、その人の考え方のクセのようなものが見えてくるのです。「この場で、何でこういうことを言うんだろう」と思うときがあったら、その人のタイプを見てみると「あ、そうなんだ」と理解できるようになります。そうすると、「ああ、可愛いいんじゃない」と（笑）、余裕が持てたりするので、相手のことが好きになってきます。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
それはやはり、通常のコミュニケーションでは理解できない部分ですね。その人のことを理解しようとして、コミュニケーションをいかに尽くしても、分からないところがあります。それがエニアグラムで「あ、たぶんこの人は、こういうことで言っているんだ」ということが分かると、相手の行動原理が理解できるので、腹が立たなくなってくるということですね。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
ええ。コーチングは分類の仕方が、エニアグラムのように九つではなくて四つですが、似たような分類をしていますよね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
なるほど。なんとなく分かります。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
その「アフガニスタンの2000年の歴史」が科学的にもいろいろ調査されているらしくて、最近分かったのは、分泌物質が三つあり、その三つのバランスで、性格というかタイプが決まるのだそうです。<br />
活動的なドーパミン系の物質がアクセルとなり、精神を落ちつかせるセロトニン系がブレーキに、ノルアドレナリン（ノルエビネフリン系）がステアリングの役割をします。この3つのどれがたくさん出ていて、どれが少ないかによって性格が決まるらしいですよ。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
ということは、ある程度その人固有の気質としてあるので、なかなか変えられない部分もあるということですね。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
そこでコーチングが出てきます。その神経物質の出方を、人間はコントロールできるらしいのです。それを知らず知らずに人間はやっていて、そこからはコーチングの世界になってくるのです。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
気質としてはもともとあるけれども、体験や経験を積むことによってコントロールできるようになり、変えることができるということですね。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
そういうことです。それを「成長する」と言うらしいのです。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
なるほど、まさに「成長する」ということですね。昔は怒りっぽかったけれど、だんだん性格が丸くなったといった話はよくありますものね。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
ええ、そうです。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
教育の担当として、そういうことも興味を持っていらっしゃる。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
ええ、これから活用できないかなということで、まだ勉強中なのですが。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そういう話も楽しいですね。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
これもやっぱり奥が深いなと思いますね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
深いですね。難しいですが。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
楽しいですけどね。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
浜田さんは、やはり分析したり、そういうふうに考えるのが大好きなのですね。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
大好きです！　一度知りたいとか、不思議だと思うと、もう駄目なんですよ（笑）。分野も決まってなくて、どこへでもいってしまう感じですね。仕事に生きないことも多いです。</p>

<h2>原点を考え続けることで、時に応じた答えが見えてくる</h2>
<img src="/career/image/hamada17.jpg" alt="浜田　佳正さん" width="250" height="200" />
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
われわれはプロジェクトマネジメントが本業なので、「プロジェクトマネジメントで一番大切なことは何ですか」ということを、いつも対談の最後に聞いているのですが、今の浜田さんのお仕事から考えると、人材育成や組織の成熟度を上げること、つまり成熟させて、生産性とか品質を高めるということがミッションだと思います。それをやるにあたって、何が一番大切だと思われますか。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
難しい質問ですね。<br />
まず、自分自身に当てはめて考えると、「その仕事って、何だろう」と考えていくのが、自分にとって一番重要な仕事かなと思います。「どうやったら上手くいくのか」と考えたら、たぶんそんなにいい答えは出てこないのではないかと思います。「その仕事って、何だろう」と考え続けていくと、毎回毎回いろいろな答えが出てくるような気がします。そこから新しい興味が出てきたら、それにまた取り組んでいけばいいのではないかと思います。<br />
自分自身については、そういうふうに対応していけばいいと思っていますが、現状、いろいろな課題があるので、考え続ける過程で出てきたいろいろな答えを、一つずつ上手く組み合わせて解決していくのが役割ですね。先ほどイノベーションの話をしましたが、「教育のイノベーションって何だろう」というのが、今の自分にとって一つの課題かなと思います。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
考え続ける過程で、答えが出てくる。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
「教育のイノベーションとは」という、その答えも、難しそうで、何かすぐそこにあるような気もするのです。<br />
例えば、5年前に、アイ・ティ・イノベーションさんに「こういう教育をやって下さい」とお願いしたことは、ある意味で、教育というか人材育成のイノベーションだったと思います。それまでは、いろいろな教育ベンダーさんや、教育機関の既存の教育の中から、「何を選択し、どうやって組み合わせてやれば人材が育成できるのか」という視点で選択していたと思います。それをがらりと変えて、自分たちで「われわれに必要な教育って何だろう」と考え、「適当なのがないみたいだ。じゃあ、その教育を作っちゃおう」と決めたというのは、やはり一つのイノベーションではないかなと思っています。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうですね。発想がもう全く違いますよね。おっしゃるとおりです。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
その流れでいくと、そういった新しい教育をどんどん作り出していくというのが、まず当面、自分にできる仕事かなと思います。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
そうですね。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
はい、「今期はこういうのを、やりたいな」ということも、幾つかあります。また、お願いに伺いますので。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
ぜひ、ご協力をさせていただきます。もっともっとこれから深く、どんどんと協力させていただきたいと思っています（笑）。<br />
また、われわれも面白い勉強をさせていただけそうですね。</p>
<p><strong>浜田</strong><br />
こちらこそ、よろしくお願いします。</p>
<p><strong class="n">能登原</strong><br />
今回はお忙しいところ、ありがとうございました。</p>

<p>（終わり）</p>

<p>構成：萩谷美也子</p>]]>
        <![CDATA[<h1>浜田　佳正さん（６）<br />
<span class="guestco">東芝情報システム株式会社　第二SIソリューション事業部　技術管理部長</span></h1>
<dl>
<dt>
<img src="/img/p/hamada-l.jpg" alt="浜田　佳正さん" width="100" height="100" />浜田　佳正（はまだ　よしまさ）さん<br />
東芝情報システム株式会社</dt>
<dt>第二SIソリューション事業部<br />技術管理部長</dt>
<dd>1981年、青山学院大学経営学部卒業。同年4月東芝情報システム（株）に入社、分散処理コンピュータのビフォアSE、システム開発作業に従事。<br />
1992年に、（株）東芝と協働で、C/S方式に切り替える顧客向けにDOAによる要件分析を開始。1999年よりISO9001、CMMに基づいた品質・生産性向上活動に従事。<br />
2003年より現在まで、事業部の人材育成・技術管理を担当。</dd>
</dl>]]>
    </content>
</entry>

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