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2006年8月 7日

【林衛の業界探求シリーズ】DDI創業期におけるシステム部門の様子~ユーザー企業のシステム部門とは

繁野高仁さん

繁野高仁氏プロフィール
1953年生まれ。1977年 北海道大学工学部電気工学科卒業し、日本NCR入社。1985年 DDI(現KDDI)に入社。DDIとDDIポケット(現ウイルコム)の創業に参画し、情報システム部門の責任者として社内システム全般を統括。2000年からは、DDIとKDD、IDOの合併に伴うシステム構造改革を推進し、昨年度の日経コンピュータ誌「情報システム大賞」グランプリを受賞。情報処理学会、経営情報学会会員。

ユーザー側のシステム部門を一から立ち上げ
「事業の成功あってこそ」との強い意識を持つ

繁野高仁さん


繁野さんがDDIに入られてからどのくらいになりますか?

繁野
21年経ちますね。


21年は長いですね。

繁野
ええ、長いです。特にNCRではいろいろなお客様を3年くらい担当しては終わっていましたからね。精魂込めて作ったシステムなんだけれど、また次のお客さんを担当するので別れるわけです。それが寂しいなという思いはありました。ユーザ側であれば、ずっと自分が作ったものを育てていくことができるし、効果を出していくことができるので、また違った面白さがある。

僕はずっとシステムをやってきていて、DDIに移った時も、基本的には情報システムということしか考えていませんでした。ただ本当に創業期でしたから、人を集めるところから始めないといけない。僕もけっこう人をスカウトしましたし、新入社員を育てながら、組織作り、人作りから始めました。そうやってシステム部門を立ち上げ、システムを立ち上げて、運用を立ち上げてということをやったんです。確かに僕はシステムを動かすことを期待されて入って来たけども、結局、事業が成功しなければ何の意味もない。だから事業が成功するために必要だったら何でもやるという思いがありました。

例えば、創業時には今のカスターマーサービスセンター、いわゆるコールセンターを立ち上げました。業務の内容はアメリカ等を視察して知っていたんですけど、システムがある程度稼働するというところで本社のカスターマーサービス部隊を見たら、業務経験はあっても企画ができる人間が誰もいないんですよね。一応経験者が部長でしたが、日常的なクレーム対応はできても仕組みを作ることができなくて、あとは新入社員がパラパラいるだけ。


それは、かなりヤバイ状況ですね(笑)。

繁野
それに気がついたのが開業の数ヶ月前ですかね(笑)。電話だけじゃなくて申込書も受付てコンピュータに入力する必要がある。電話も事務処理もする部署が、企画が余り得意でない人と新入社員がパラパラ。どうするんだ!と。もう開業間近で「何十万の申し込みを獲得してトップを取るぞ」とか言っているのに、何の体制もないわけですよ。これではいかんと思ったわけです。


そこで、繁野さんが実際に動いてしまった、と。

繁野
ええ。「分かった。俺がやるから」と総務部長にかけあって、まず場所が必要だから休憩室を全部空けて確保してくれというところから始めました。当時、僕は派遣会社って知らなかったんですけれど、とりあえず電話帳を見て一番広告の大きな会社に電話をかけて、「こういう事情で、全く準備がなくて人が要る」と言ったら、営業マンが飛んできました。「こんなに大規模なことをやるんだったら、一年くらい前から計画するものでしょう」と言われましたが、「しようがないじゃないか。任せるから手配してくれ」と言って、100人くらい女性をパッと入れて、それで受付部隊を作って始めたんです。もうボロボロになりましたけどね。


豊臣秀吉が三日で城を造ったみたいな感じですね。

繁野
一応形は整えたけれど、ノウハウはまるでないし。申込書も間違いが多くて、完璧な申込書なんて1割もないんです。まだ動きたてのコンピュータに入れても、ほとんどエラーではじかれる。エラーリストもきれいなものではないですから、どの申込書かよく分からない。それをね、我慢強い新入社員が、「頑張ります!」と言いながら山のように抱えてコツコツ直しているわけですよ。そうこうするうちにもう開業。そのようなことだから申込書を書いて申し込んだ人はほとんど開通していない。当然コールセンターはクレームの嵐です。開業した時に僕はコールセンター長も兼ねていたんですが、社員がもうガンガンお客様から怒られる。女子社員は泣いちゃうわけですよ。役員がテレビの取材にニコニコして応じている裏では、こっちが泣きながらクレーム対応している(笑)。


やっぱりレストランのフロアと厨房は違いますよね。その感じ、よく分かります。

繁野
システムはボロボロ。それにコンピュータも、例えばレスポンスが劣悪で、何か照会してトイレに行って帰って来てもまだ出てこないとか、最初はうまくいきませんでした。でも、まあなんとかなるんですよね。


私の経験でも、そのまま「死んじゃった」システムはないですね。なんとかなります。

繁野
僕もNCRの時にそういう経験は何度もしてきたし、まあ、成功か失敗かと言えば、まがりなりにも使い続けられるところで収まれば成功だろうと思っていました。それまでの間は迷惑かけても、最後に収まって静かになればそれでいいじゃないかという感覚でやってきたのですが、結構それに近かったです。


システム開発は問題意識と強靱性ですからね。

繁野
あきらめずに粘り強くないとね。当時いろいろなソフト上の問題があって、ちゃんとデータが入らないし、料金計算もスムーズにはいかない時期があって、もうグジャグチャ。例えば、開業直前になって仮申込み、仮登録の仕組みを入れろということになった。どうしても期間的にまともには作れないから、当時、僕がスカウトした優秀なやつがコツコツMTベースでまず作る。そこからいろんなオーダーを出したり帳票を出したりという仕組みをとりあえず作ったんですよ。ところが、開業してもMTにある登録データを本番のシステムに移行できなくて、毎晩MTをかけては、申し込みデーターを登録してオーダーの作成するという処理を続けざるを得なかったんです。当然、申し込みはどんどん来るから、一夜ごとにMTの本数が増えるわけです。

最後になって「もうこれ以上、処理しきれません」と泣きついて来られて、どうしようかと思ったら、ネットワークが限界に達して受付停止になった。それで数ヶ月の余裕が出来たので、システムをもう一回リセットして立ち直らせたんですけどね。あれがなかったらどうなっていたか。「7年後に200万加入目標が達成できたらいいな」とかって言っていたのが、いきなり開業時に40何万回線(笑)。コンピュータはあっという間にパンクですよね。


予想をはるかに超えた事態だったんですね。

繁野
開業してすぐにパンクして、すぐに入れ替えて、年に1~2回入れ替えるような勢いで、ダーッと増やしたんですよ。当時、僕はコンピュータ部門をみて、片方で、さっき説明した、コールセンターをみていたんですよ。その両方が火を吹くわけです。もうやっていられないですよ。コールセンターで派遣社員に泣きつかれても困るし。特に僕は、クレームを受けて謝るのが苦手なんです。「センター長出せ」とか来るじゃないですか。もう逃げまくるわけですよ。本当に向いてないんですよね、むきになっちゃうから。


確かに、繁野さんのように論理的な人はクレーム対応に向いていないかもしれませんね。

繁野
そう、僕は物事をはっきりさせながら分析して、きちんと解決していくというのが大好きなんですよ。だからロジカルにパッパッとやりたいんですね。でもクレームかけてくる人って感情的になっているから、逆に冷静にロジカルに対応されると、もっと燃え上がっちゃう。僕は全然そういうのに向いてないです。だからそっちは、当時三菱商事から出向して来ていて、今はカーライルの日本代表をやっている安達君に頼んだら、男気があるやつで引き受けてくれた。そっちは任せて僕はコンピュータの立て直しに入ったんです。安達君は優秀だしスポーツ万能で、テニスは国体級だし、格好もいいわけですよ。コールセンターのセンター長になったら社員の女の子が喜んじゃってね(笑)。彼はもともと工学部出身なのに商社に入って、今は金融の専門家です。


やはり優秀な人は「私はこれの専門だから」みたいなことを言いませんよね。問題意識と、そこに集中力がすごいですからね。

経営者の判断を必死で先読みしながら経営的にベストのシステムを考える

繁野高仁さん


繁野さんは今CIOというお立場ですけど、それ以上の視点でずっと仕事をされていますね。別にCIOという言葉やCMOのトップという言葉とは関係なく、事業の中でのITの位置付けということですが。

繁野
まあ、そうですね。性格的に一つのことに閉じこもるタイプじゃなくて、他が気になるので、どうしてもそうなってしまうんですね。それにシステムを作ろうとすると、やっぱり周りをよく見て深く考えないと満足なものができないんですよ。

稲盛さんにしても千本さんにしても、それに技術の深田さんという有名な人がいましたけど、とてつもない事業を立ち上げる人たちは、もう傍若無人でこっちのことなんか斟酌しないですからね。DDIポケットの時は、いつ開業するか、どのくらいの規模か、どういう事業になるかも分からない。こっちも様子を見ながら用意するしかないんです。それで上手くできなければ事業は上手くいかないわけだから。結局、自分に降りかかってくるわけですよ。そういうことに対しては、トップは本当に何も語らないし、たとえこうだと言ったって翌朝は変わるんですよ。


世間から見ると、時代の最先端で戦っている企業という印象がありますけど、その光景というのが以心伝心というか非常に強い意志やビジョンで築かれているというのは、まだ日本にも日本的経営があってうれしいと思いますね。

繁野
そうですね。それにトップの判断が変わることは別に悪いことじゃないんです。気分でころころ変わるのはまずいですが、ロジカルに考えて考えて、考えた結果変わるのはしかたがないんです。経営環境も変わるし、それに対して変わらないほうが逆におかしい。優秀な経営者ほど周りに敏感だし常に考えているから、どんどん変わるんですよ。過去に拘泥しない。


未来を見据えて考えていますよね。

繁野
だからそんな人に、何か約束してもらっても意味ないんです。何の保証にもならない。相手の先を見るなり、相手が考えそうなことを考えながら、自分なりに判断して、その結果が合っているかどうかだけなんですよ。だから必死になってそれに合ったシステムを考えるわけです。「ここは危ないからこういうふうにしておこう」と考えながら作らざるを得ない。「仕様書どおりにやったから俺に責任はない」みたいなのは、はなからダメなんですよ。


これまでお話をお聞きして感じたのですが、繁野さんは人から指示されて仕事をしたことはないですね。

繁野
ないですね。嫌いですから。


私と同じですよ。たぶん。新入社員時代から指示されてなかったです。全部、自分で決めるから、それで失敗もしますよね。

繁野
僕に指示するのは家内だけです(笑)。仕事上は、自分の考えに合わないとか、理屈に合わないことをやると、ものすごいストレスがたまるんですよ。自分が納得できない考えには毛頭合わせる気がないし、自分の信念を曲げる気もない。ただ聞いてみてそれが正しいと思えばすぐ変わりますよ、僕も。正しいと思わなければ絶対に変わらないんです。どちらかというと弱い者より強い者に対して刃向かいたくなる。


私も、上には強い態度で、下には優しくというのがやはりマネジメントの心得というか、心だと思っています。

繁野
そういう意味では、稲盛さんとか千本さんはすごいです。千本さんは「もう任せるよ」と言ったら一切口は出さないです。だけど、なにかお願いした時には、「分かった、ついて来い」ととても頼りになる。


それはカッコいいですね。

最初の「難あり」システムを自分の手でよいものに替えたい

繁野高仁さん

繁野
当時は僕も通信業は始めてで若かったし、開業してしばらくはシステム的にはいろいろ問題があって、それは自分でなんとかしなきゃいけないという思いはあったんですけどね。その時に社長だった人がシステムに関心がある人で、社長のつてでコンサルが入ったんです。その報告書を見ると、もう、ぼろくそに書いてある。こんなシステムなんてあり得ないみたいな、誹謗中傷もいいところでね。社長は当然仰天しますよね。だったらもっとコンサルに入ってやってくれということになって、僕もそっちの専任のような形で半年以上付き合いました。

僕は理屈に合わないことが嫌いなんで、ことごとく質問していったんです。コンサルの責任者はそうとう年配のすごい重鎮なんですけど、どうも変なんですよ。例えば、「情報システム戦略を立てるためには経営戦略を見極める必要がある」とか言って、「経営戦略を知るために全部門のヒアリングをしたい」と言うわけ。


よくないコンサルの常套手段ですよね。

繁野
実際そのヒアリングで聞いていることは、別に経営戦略でも何でもない低レベルの話なんですよ。今の社長の小野寺さんなんて怒っちゃって「そんなこと聞くんだったら、パンフレット読め!」とか言ったくらい。そんな話を延々と積み重ねて、その中でキーワードを勝手に並べてポンと経営戦略が出るみたいな話は変じゃないかと、さんざん僕は盾を突いた。

どうも彼らには予め想定したストーリーがあって、それに向かって一生懸命に理屈を組み立てるみたいで、こんなのにかき回されたらたまらんと。それで頭にきて、なんとか稲盛さんに話を聞いてもらう機会をつくって、「こんなことになっているんです」と話したら、「わかった」ということで、その直後、プロジェクトの最終発表に稲盛さんも出て来てくださった。そこでコンサルのプロジェクトリーダがとうとうと述べるのを聞いていて、最後に稲盛さんが言ったのは、「私は、一緒に苦労してこの事業を立ち上げてきた仲間を信頼しているんだ。あなた方は出て行ってくれ。」と言ってコンサルを追い出したんですよ。


その状況はよくわかります。逆説的に言えば、コンサルを上手く使うというのはそういうことですよね。

繁野
稲盛さんは別にシステムに詳しいわけではないんだけど、原理原則をものすごくピシッと考えている方で、僕はそういうところをとても尊敬しています。確かに外部にいくら優秀な人がいたって、いくら社内の人間が愚かで能力がなくても、リスクを一緒にとって汗をかくのは社員しかいない。社員を信用しないで外部を信用して「こいつの言う通りにやれ」みたいなことだと絶対に上手くいかないんですよ。稲盛さんは自分が創業した時から、そういう人たちと一緒に会社を立ち上げてきたから、身にしみて分かっているんですね。だからこういう時にぴしっと方向性を示す。それはすごくありがたいです。


外部から問題や課題をまとめるということをネガティブにとらえなければ、そういうきっかけがテコになって経営が良くなることが一番のプラスですよね。

繁野
おっしゃるように外部の知恵を借りるだけならいいんですけど、こっちに受け皿がちゃんとあってそれを上手く消化して、社内の人間がちゃんと育つというのが前提です。こっちが反発しているのに外部の言うことを聞けと言うからダメなんで。

僕はその時のことを本当に強烈に覚えています。確かに僕の作ったシステムは問題だらけだし、ここまで稲盛さんが言ってくれるんだったら、これはなんとか自分の責任として、きちんとしたものを作らなければDDIに来た意味がないじゃないかと強く思いました。なんとかそういうちゃんとしたシステムにするためにどうしたらいいか考えていた。

当時、僕にとって大先生である手島さんと知り合えたばかりで、そういうふうに外部のコンサルタントと喧嘩をした裏にはそれもあったんですね。だったら手島さんの考え方、やり方でやり直したいという思いがあった。ただ、動き出したばっかりのシステムをそんなに全面的に大改造なんてできないですよね。たまたまその時に、PHS事業の立ち上げという話がありました。当初、僕が行くはずじゃなかったんですけども、ぜひやらせてくれと言って、千本さんと一緒に始めました。千本さんは僕にシステムを任せてくれたので、手島さんの指導を受けながら、新たに大和総研と組んでシステムを開発しました。大和総研と知り合ったのは、先ほどのコンサルが入ったときです。担当役員が心配して、二社目のコンサルとしてプロジェクトに入れてくれたんですが、彼らとは意気投合して「このコンサルのやり方はおかしいな〜」とか(笑)盛り上がったわけです。


そういうよい結束が生まれたんですね。

繁野
すっかり意気投合して、「じゃあ、今度DDIポケットをやるから一緒にやってくれ」という話になって、全くさらからシステムを開発したんですけど。それが上手くいって95年に開業しました。もう10年以上経ちましたけど、構造的には本当にきれいなままだし、良好な状態を保っています。


今のお話は90‐95年頃のことですか。

繁野
90年くらい。今から15年くらい前で、まだ僕が30代の頃ですね。その時のシステムには三段跳びのホップ・ステップ・ジャンプから「ステップ」という名前を付けたんです。最初のシステムがホップだとしたら、次がステップで、必ずその次にジャンプがあるんだという思いで付けたんですよ。いずれ僕は最初に手がけた、稲盛さんにも迷惑をかけたあのシステムを自分の責任でなんとかしたいと思っていましたから。

(次回に続く)

構成 萩谷美也子

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