プロジェクトマネジメント、プロジェクト管理におけるポータルサイト

HOME > プロマネの勘所 > 【林衛の業界探求シリーズ(5)】第一回 「学生時代の予想とは違っていたITの仕事」

2008年5月23日

【林衛の業界探求シリーズ(5)】第一回 「学生時代の予想とは違っていたITの仕事」

学校でと同じくらい、街で学んだ大学時代

日比喜博さん


日比さんとはこの3~4年、ずっと仕事を通じてお付合いさせていただき、だんだんに親交を深めてきました。

日比
私が当社の教育関係を担当していたころに、プロジェクトマネジャを養成しようということになって、社内の技術委員会でいろいろやってはみたのですが、どうもしっくりいきませんでした。そこで、実務的な教育をしっかりやっていただける方を探していて、林さんにお願いしたという経緯でした。林さんも名古屋出身なので、個人的にも意気投合しましたね。


日比さんとお話しするときは、50%は仕事で、50%は仕事以外の文化活動についてですね。特に、音楽が共通の趣味ですから、その話になることが多いです。

日比
ええ、そうですね。


本日は、改めて、日比さんがなぜITの世界に入られることになったのかというあたりからお聞きしましょう。

日比
はい。私は東京で理系の大学に行っていましたが、人よりも一年余分に学生をやりました。卒業研究では結晶の研究のために走査型電子顕微鏡を取り扱っていて、その画像を処理するのにコンピュータが必要だったというのが、コンピュータに興味を持ったきっかけです。もうひとつは趣味です。ちょうどアスキーの西さんたちが、マイコン雑誌の同人誌「I/O」や「ASCII」を創刊されたのが、ちょうど私が4年生から5年生のときでした。その創刊号が、今もうちにありますが、それがきっかけでマイクロコンピュータに非常に興味を持って、学生のころは一日中研究室にこもってマイクロコンピュータを作って遊んでいたのです。そういったこともあって、就職するときも、コンピュータをやってみたいと思っておりました。
卒業後は名古屋に戻って来ることになり、縁あって名古屋鉄道に入社しそのIT関連会社である「名鉄コンピュータサービス」(当時)に出向することになりました。「人としゃべるのは苦手なので、コンピュータの仕事をやっていれば、営業もしなくていいだろうし、ずっと設計をしていればいいのではないか」という非常に単純な動機です。


でも、その当初のもくろみは完全に外れましたね。コンピュータと遊びたいということだったのに、結局は人間と広く関わられて仕事をし、遊んでもいらっしゃる。

日比
やはり学生ですので、考えが甘かったです。コンピュータの仕事というのは、プログラムを組んだりITのことだけやっていれば仕事はできるのだと思っていました。経営的なことや業務的なことには全く興味がなかったといいますか、そんなことをやらなければいけないとは全く思ってなかったというのが正直なところです(笑)。


実は私もそうでしたが、理系の学生は社会のことを何も分かっていませんでしたね。実際に会社に入ってみたら全然違っていたでしょう?(笑)

日比
そうですね。


ご実家のある名古屋に戻られたわけですが、東京で就職することは考えなかったのですか?

日比
実は東京で就職しようとも思ったのですが、私が長男で一人っ子ということと、その当時、現在のかみさんと付き合っていまして、卒業したら結婚するつもりでいました。結局「名古屋で就職が決まりましたので結婚させてください」ということになったのです。名古屋へ戻って1年ぐらいしてから結婚しました。


かなり完璧に近いストーリーですね。奥様も名古屋の方でいらっしゃるのですか。

日比
いや、北海道の釧路です。東京で大学が一緒でした。かみさんが1年あとに入学してきて、でも一緒に卒業したというぐらい仲が良かったんですよ(笑)。


なるほど、奥様と一緒に勉強するために卒業を延ばしたのですね(笑)。学生時代は勉強にはそんなに熱心ではなかったとお聞きしたのですが、勉強以外のことはいかがでした? ただしマイコン以外でお願いします(笑)。

日比
最初は音楽関係の仕事がしたかったので、ジャズ喫茶でアルバイトをしたり、放送局のアルバイトをしたりしていましたが、その間に「音楽関係は全く才能がないので就職は無理だ」ということがよく分かりました。「自分は音楽では飯は食っていけないだろう。趣味で十分だな」と納得しました。


東京のどの辺に入り浸っておられたのですか。

日比
まずお茶の水ですね。それと、私の通っていた学校が飯田橋といいますか神楽坂にありましたので、四谷、新宿あたりをふらふらしていました。学校へ行った時間よりも、そのほうが長いのではないかという生活を送っておりました。


あの界隈は、歴史と深みがあるジャズ喫茶が多いですよね

日比
私はお茶の水の「ナル」というところで2年ぐらいアルバイトをしていました。今でも仲間がたくさんいて、1年に1回、「ナル」の同窓会を東京でやっています。


ジャズ好きな人には、IT業界の人や研究者も多いのではないですか。

日比
非常に多いですね。うちの会社でもそうですが、ITが好きな人とはクラシック、ジャズに限らず音楽が好きだとか、芸術的なものが好きだという人が多いです。


私も最近気が付きましたが、ジャズかクラシック好きは多いです。アートは技術に通じるものがあるみたいですね。ITにもアートの部分が入って来ると、仕事も楽しめますね。アートばかりに走ると本来の目的から外れてしまうのだとは思いますが。

日比
おかげで私は学生のころから夜型の生活習慣になってしまい、夕方学校へ行っていました。先生も夜型だったので、私と先生だけ、夜の学校へ来ているというような状況がよくありました。


日比さんの行かれていた大学とはユニークな方が輩出されていますね。東京の会社のIT部門では、卒業生の方をよくお見かけします。

日比
とくに私のころの卒業生で、IT関連に就職した人はかなりの割合いるのではないでしょうか。


音楽は今も続けられているのですか。

日比
ええ。聴くほうが主ですが、CDとレコードを合わせれば1500枚から2000枚近くあります。それからメイテツコムは非常に面白い会社で、クラシックと軽音楽のバンド、社員のバンドが二つありまして、創立記念パーティーのときにみんなで一緒に演奏します。そういう機会もありますので楽しくやっていますね。

現場を経験したあと、業務系システムの開発へ

林 衛


名鉄に入社されて最初の5年くらい、日比さんはどんな仕事をされていたのですか。
ちょうどコンピュータの創生期、情報部門の創生期でもあるので、何か面白い経験をされているのではないかと思います。

日比
名古屋鉄道のコンピュータの仕事をする「名鉄コンピュータサービス」(当時)へ行くということで名古屋鉄道に入ったのですが、11月まで7ヶ月間、駅務員と車掌の実習をやりました。名古屋鉄道では「新入社員は全員が現場を体験しなさい」ということで、技術系は半年間、文系が1年間、全ての人が駅務員と車掌をやるのです。やっていたら、これが楽しくなってしまいました。技術系ですから半年で終わりというときに、人事の役員さんに「もう半年ぐらいやってみたいのですが」と言ったら、「もう行き先が決まっているのだから、だめだ」と言われまして、名鉄コンピュータに出向することになりました。
名鉄は非常に現場を重視する会社で、名鉄コンピュータサービスでも、最初の2年近くは、まずオペレーターをやらされました。そのころは全員、最初に必ずオペレーター部門に配属されていたのです。


それはいいことですね。運用が分かります。

日比
そのころの大型コンピュータの操作は、大学では学生はできないことだったのです。プログラムの勉強はしましたが、実際に業務でコンピュータをどう使っていくかについては、現場でいろいろ覚えることになります。
2年くらいオペレーターをやったのちに、いきなり開発部門に配属されました。今思い出してみると、特に最初の5年くらいの間に、相当いろいろなことをやったという気がします。最初は、「新卒でFORTRANができるだろうから、気象衛星ひまわりの画像を解析してディスプレイに出してみろ」と、画像解析をやらされました。そこで日曜日に会社に出てきてラインプリンタで重ね打ちして、それを広い会議室に広げて作業しました。


天気図ができるのですか。

日比
ええ、天気図をディスプレイに映して、「どうも日本のかたちに変換できていないから、うまくいってない」とか、日曜日丸一日、一人で会議室にこもって、ああでもない、こうでもないと遊んでいたこともあります。それから、オンラインが始まった時期でしたので、名鉄のタクシーグループとか観光バスグループのオンライン回線でデータをやり取りするシステムですね。


それはどういうアプリケーションなのですか。

日比
それぞれの会社から経理のデータや、人事のデータを本社に集めまして、一括で処理してそれをまた送り返すというものです。


なるほど。業務系のシステム開発ですね。

日比
そのあとに名鉄百貨店がPOSを入れることになりまして、まずPOSの設計から始めようというプロジェクトを1年、2年かけてやったのです。


それはかなり大変そうですね。

日比
今ですと出来合いのPOSをポンと買ってくればいいのですが、あるメーカーさんと一緒に、POSを設計から始めました。「どういうボタンを付ければいいか」とか、「表示ディスプレイはどうすればいいか」とか。ICとかマイコンの世界は大好きでしたので、そういうのは非常に楽しかったのですが、それはほとんどメーカーさんがやられて(笑)、私たちは業務の設計に回りました。

新しいクレジット会社用システム構築の責任者に

日比喜博さん

日比
ちょうどそれで百貨店のPOSをやっているときに、百貨店のお客様のカードシステムですとか、友の会のシステムですとか、信販に関するいろいろなものを勉強させていただきました。それが終わるか終わらないうちに、今度は新しく名鉄がメディアカードというクレジットカード会社を作ることになりまして、その仕事の技術的な責任者をやれということで任命されました。78年入社だから入社6年目です。これが大変な仕事でした。


お聞きするだけでも、非常にたいへんそうですね。

日比
名鉄百貨店の信販のカードが、ちょうど84年4月からリニューアル・スタートというときに、その84年の1月か2月に、「実は来年、85年の4月に新しいクレジットカード会社を設立するので、システムを全部作れ」という、極秘のプロジェクトだったのです。


しかも、極秘だったのですね。

日比
まだ百貨店のほうも動いてないうちですから、そのシステムも動かさないといけません。その上に誰にも言えないプロジェクトでしたので、内部的にその二つのプロジェクトを動かしました。しかも84年4月に動かした先行プロジェクトは、1年経ったら消えるプログラムなのです。それは今までの経験でも初めてですし、今まで1回しかなかったタイプのプロジェクトです。それに、まだできてもいない会社のシステムを構築していくという経験はなかなかできないことだと思いますね。まだ準備室の段階から一緒にやらせていただいて、SEとしては非常に勉強になった時期です。


80年代の話ですね。

日比
ええ、80年代はそんな仕事をやっていました。


そのカードの新会社の仕事で一番大変だったのは、どんなところでしょうか。楽しかったですか。

日比
ええ、私は非常に楽しんで仕事をやるタイプですから。実はこのころ、1年364日出社という記録をつくりました。元旦だけ休んで、あとは全部会社に出て来ていたのですが、非常に楽しく仕事をしていました。日曜日は誰もいないと会議室のPAを持ってきて、音楽を大音量で鳴らして、システムの準備をしたりプログラムを作ったりしていました。そのころは非常に大らかな時代でしたので、日曜日に上司がやって来ても「おお、大きな音だなあ」と言って、別に怒ることもなく「ごくろうさん」と言って帰られたのです(笑)。今、思い出しますと、上司も非常に偉かったですね。素晴らしい上司だなと思います。


上司に恵まれたのは、非常によいことですね。

日比
その代わり、とてもスリルのある仕事でした(笑)。夜中に何かトラブルがあると、朝の5時までにどんなことがあっても回復しなければいけないのです。3時間でバグを見つけて、次の日の朝の5時の立ち上げまでに、どんなことがあっても直さなければということで、夜中に一人で苦しみました。うまくいかないと泣きたくなるような苦しさで、「先輩に電話して助けに来てもらおうか」と何回も電話に手がいくのですけれども、何とか頑張って5時までにプログラムを修正していました。いま思うと、なかなかスリルのある仕事だなあと(笑)。今なら、そんなことはとても許されなくて、3人か5人は待機しますね。


仕事のやり方もそうですが、全ての点で新しいことにチャレンジされていたわけですね。そこでも、学生時代に夜型の生活をしていたのが、だいぶ役に立ったのではないですか(笑)。

日比
そうかもしれませんね(笑)。そのころCAFISとの接続がありました。今のようにテスト機と本番機が別というのが一般的ではなかったので、本番機を使って夜中にテストをするのです。ですから夕方の6時、7時にみんなが帰るころ「おはよう」と言って会社に出て来て、朝の7時、8時にテストが終わって帰るのです。1ヶ月くらいは全く人と反対の生活をしていました。今から思うと、それは非常に楽しかったです。


それは何人かのチームでやられていたのですか。日比さんお一人だけということではないですよね。

日比
はい。当社のプロパーのチームは4~5人で、協力会社の方が15~16人いるような仕事でした。特に協力会社の方がほとんど年上の方ばかりだったので、打ち合わせとか仕事をお願いするのが、若かった私にとっては、非常にコミュニケーションの勉強になりました。


その辺りから、学生のときに想像していた、コンピュータの仕事とはだいぶ違ってきて、マネジメントや社会科学的な世界に入ってきたわけですね。

日比
もう、想像していたのとは全く違いました。きちんと設計書や設計図を書けばいいと思っていたのが、それを書くのは当たり前で、どうやってそれを年上の協力会社の人にやってもらうかが大事です。もし、書いたものが間違っていたら、そのころの人は協力会社といえども、若造を捕まえて遠慮なく怒鳴りますので、「これは間違っている」とか「こんなものでは仕事できないよ」とか、相当ご指導いただきました。


なるほど。

日比
それを言われると悔しいので、次の日の朝まで徹夜して直します。協力会社の人たちに一生懸命やってもらえるように、一緒にご飯を食べに行ったり飲みに行ったりもしました。まあ、学生のころも飲んで騒ぐのは大好きだったですから、それも得意なうちではありますが。


学生時代からの得意分野を、仕事でも遺憾なく発揮していますね(笑)。

日比
そういう意味では、私は得意分野を生かせる職場に入らせていただいて、非常にラッキーだったと思います。

(次回に続く)

構成:萩谷美也子

| トラックバック[0件]

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://www.promane.jp/blog_manager/mt-tb.cgi/580

↑ このページの先頭へ