2009年2月13日
【林衛の業界探求シリーズ(7)】第一回 世界同時不況とノーベル賞受賞者から見えてくるもの
まっとうなものだけが生き残る、選別の時代へ
林
サブプライム問題に端を発する世界同時株安など、今まさに予想を裏切り、想定の範囲を超えるようなことがたくさん起こっています。
今井
まだまだ状況は動いていくので、どのように見通したらいいのか非常に難しいですね。
林
上級管理者の方は、今こそ腕の見せどころでしょう。
今井
と言いますか、こういうときには自社のまずい部分がよく見えます。今まで何をやれていなかったか、これからわれわれは何をやるべきなのか、浮き彫りにされてきますね。
林
弊社内でも全く同じことが起こっています。しかし、デンソーさんの歴史の中でも、外部要因によって事業環境がこれだけの影響を受けるのは初めてなのではないでしょうか。
今井
確かに過去にもオイルショックやバブル崩壊がありましたが、今回が一番ひどいのではないでしょうか。折角、世界各地に事業展開していても世界同時不況なのでリスク管理にならない訳です。
林
オイルショックは原因と結果がわりと明快でしたが、今回はつかみどころがないのが特徴です。株の問題にしても、複合的・連鎖的に今、世の中が動いてしまっています。
今井
今回は、人の考え方や心情的な問題が大きく影響しているのです。情報が非常に早く伝わるものだから、それが逆効果となって、変な方向に人がダーっと動いて、それによってまた状況が動くという形になっています。その傾向が、オイルショックのときに比べて一段とひどいですね。いろいろな情報が入り過ぎている。株の売買もノーベル賞級の高度な数学理論が使われていると言っても所詮はこれまでの経験値がパラメータとして組み込まれているに過ぎず、未経験のことまでは予測できないと言うことです。
林
金融の機能、とくに証券化の本当の必要性とは何だろうかと思います。サブプライムローンの破綻以降、世の中で起こったことは連鎖していますが、元をたどれば「返せない人に貸した」という事実があるだけです。
今井
ええ、倫理的には完全に「ノー」ですよね。倫理的にはおかしいのに、契約の世界では通用してしまう。しかも隠蔽された形で蔓延しました。でもみんな、「何かおかしい」というのは分かっていたのです。「いつ破綻が来るんだろう、いつ来るんだろう」と思っていたらなかなか来ないので、「もう来ないかもしれないな」と思っていたらやっぱり来たと(笑)。
林
やはり隠し事は時間がたつと成長します。本当にグローバル単位で成長するのですね(笑)。
今井
昔はよく言いましたよね、「お天道さまが見ているから、悪いことはできない」と。「誰も見てないからいいだろう」と思ってやっていると、お天道様が見ていて、絶対悪事がばれる。だから、コンプライアンスの問題は、ルールの上での善悪ではなく、その人の本質的な倫理観や世界観に委ねられています。そこがおかしかったら、何でもありで、こういうことが起きてしまいますね。
林
私も今、いろいろ基本的なことを、「ほんとにこれで良かったのだろうか」と点検しています。私どもなりのレベルで策を練っていますが、そのときに、基本部分が正しいかどうかがはっきりと出ますね。特に人の面では、実力の差はごまかしが効きません。サブプライム問題から端を発して世の中が不安になってくると、本当にちゃんと生きている人であるかどうかが問われます。
今井
企業でも、本当に実力があったところは、今でも修正がききますが、実力がないところが今から実力を付けようと思っても遅いですよね。でも、そういう方向に切り替えていかざるを得ないでしょう。
林
「もうこの際、全部きれいにしたいな」という感じですね。
世の中が変化しているという話で言えば、悪い話ばかりではありません。ノーベル賞も一気に愛知県から三人出ました。
今井
そのうちのお一人、益川さんは私の中学校の先輩なのです。たまたま中学、高校一緒です。北山中学、向陽高校。
林
今井さんも名古屋のご出身ですものね。私は、桜山中学です。
今井
そうですか。すぐ隣の学区じゃないですか。
林
高校の同窓でノーベル賞が出るというのは誇りですね。
小林さんは明和でした。テレビのノーベル賞のインタビューで、お二人は名古屋弁だったのですよ。
今井
そうそう(笑)。
林
「これは身についた名古屋弁だな、名古屋のコアだな」(笑)と思って調べたら、やはりお二人とも名古屋市出身でした。
今井
益川さんの名古屋弁は、すぐ分かりました。さすがに名古屋だ(笑)と。
林
これからもめちゃくちゃなことが起こるのでしょうけど、ノーベル賞がこれくらい身近になったということで、いろいろ勇気づけられます。私はブログに「ノーベル賞が身近になった。もっと元気になろう」という話題で書きました。
今井
すごい執念というか、一途な研究ですね。
林
本当に立派だと思いますよ。
父の背中を見て目指した、技術者の道とスポーツ
林
では、益川さんと同窓だった北山中学のあたりのお話から。中学、高校時代はどんなお子さんで、何に興味持っていて、現在に至ったかというようなことをお話いただけますか。
今井
私はもともと名古屋の生まれです。愛知県名古屋は公立一本でいくという志向性があるので、私は吹上小学校、北山中学、向陽高校と、ずっと公立でした。小、中、高と自宅から少しずつ遠くなっているのですよ。それでも自転車通学が許されない距離なのですよね(笑)。
林
なるほど。
今井
本当は大学も名古屋でと思ったのですが、先生の薦めもあって大学だけは東京に行くことにしました。父親が技術屋だったので、その後ろ姿を見ながら育っていまして、全く文系志向はなかったですね。最初から技術屋になろうと思っていました。よく父親が家で特許関連の書類をいろいろ書いたりしていたので、それを覗き込むと「これはこうなってな…」と説明してくれるのですが、さっぱり分からない(笑)。
林
お父さまはどのような分野のエンジニアをされていたのですか。
今井
制御関係です。いろいろな自動化ラインを設計製造する会社に勤めていました。戦争から戻って来て、その会社に技術屋として入って、最後は経営者としてやっていました。でも、基本はやっぱり技術屋なのですよ。非常に真面目で、夜遅くまで会社で仕事をして、家に帰って来ても仕事して。そういう父親の後ろ姿を見ながら育ちましたから、私も技術に興味があって技術屋になろうと考えたわけです。
父親は学生時代野球選手でスポーツをやっていたので、スポーツはやらなきゃいけないと思っていました。考えてみると、無意識に父のようになりたいと、父をモデルに育ったのかなという思いはしますね。
林
今井さんも野球をやられていたのですか。
今井
いや、草野球はやっていたのですが、中学校ではテニスをやりました。高校に行って卓球をやりました。で、大学に行ってゴルフをやりました。ボールがだんだん小さくなるというか、小さいボールしかやらない(笑)。
林
大学でゴルフとは、かなり時代を先取りしていましたね。
今井
父親がゴルフをやっていて、中学のときから練習場について行っていたので、いつかはやりたいなと。慶応の理工学部に入ったら、たまたまゴルフ部があるのが分かって、それで誘われて入りました。本部のゴルフ部は強いのですが、理工学部のゴルフ部は同好会みたいなものでした。それまでコースに出たことがなかったので、「ぜひコースに出てみたい。クラブに入れば出られるかな」と。
林
日吉ですよね。
今井
日吉です。ちょうど先輩の代で小金井キャンパスがなくなって、私の代からずっと日吉なのです。
林
今井さんは私の4学年先輩なので、慶応でゴルフをされたというのは、かなり早いですよ。
今井
当時は、今とはだいぶ違います。バッグを担いで、目土を持って、ボールのところまで走って、それで打つ。下手な人ほど落ち着いて打てない。一方、うまい人はゆっくり歩いて行っても十分間に合うのです。下手な人はちょっとしか飛ばなくて、走って行って打つのですが、どんどんスコアが悪くなるのですよ。それでもスポーツとしてやっていましたから、フォームはそこそこです。スコアは別にして。
林
そのときの鍛錬が今に生きているというわけですね。
今井
なかなか腕は上がらないですけどね。でも、スポーツをやっていると、いろいろな意味で気分転換になったり、集中したりできるのがいいと思います。子どもにも、「とにかく勉強だけではなく、何か別のもので自分が集中できることをやりなさい」「特にスポーツをやりなさい」と勧めました。
林
今でもゴルフはかなりやられているのですか。
今井
今は家内と一緒にやっています。アメリカに出向したときに、家内もゴルフを覚えて、二人で行くようになりました。だから老後は旅行しながらゴルフをするというのが一番の楽しみですね。
林
素晴らしいですね。私も女房に勧めているのですが、「あなたとは嫌」(笑)と言われるのです。
今井
夫婦でゴルフをやる場合の不文律があって、教えてはいけないというか、コメントしてはいけないのです。
林
その通りだと思います。
今井
コメントしだすと、これはけんかになりますよ。だから夫婦の間ではコメントはしない。すぐ言いたくなるのですけどね。一生懸命堪えています(笑)。
林
それはいろいろな意味で(笑)、非常にいいことですね。
卒業研究でキャラクタディスプレイを制作
林
もちろん、大学ではゴルフだけではなくしっかりと勉強もされて。
今井
実は大学では、キャラクタディスプレイを卒業研究でつくるということをやりました。今では当たり前になっていますが、30年以上前ですから、オンラインなんてありません。何で作ったかというと、オシロスコープなのです。オシロスコープのXY軸上で波形を作って、Z軸でその波形の上を照らすのです。
そのときにやったのは英数字だけですが、キーボードのキーを押すとその文字がオシロスコープ上にパッと現れる仕組みです。当時のミニコンとオシロスコープとを接続するインターフェース回路も自分で設計し手作りしました。
林
なるほど、そういう仕組みですか。
今井
ええ。ダイオードで8×8のドット・マトリックスをつくる。そういうものを友人と二人で共同して卒論にしました。でも、それはたまたま卒論でやっただけで、IT業界に入ろうとは思ってなかったです。それとは全く関係なく、とにかく電子工学が好きだったのです。
林
電子工学科だったのですか。
今井
いえ、学科としては計測工学です。慶応の場合は計測工学の中に電子工学と制御と物性と三つの専門分野があって、僕は電子工学を選択しました。
林
計測の中にそういう分類があったのですね。
今井
ええ。ですから計測工学は非常に電気科とも似ているし、管理工学とも似ています。
林
物性ですと完全に応用物理、物理系ですね。私の専門はそちらでした。
今井さんはその計測工学の中で、ミニコンのハードウエアも触って、インターフェースとかそういうI/Oの電気回路も設計されたのですね。
今井
はい。完全にゼロから手作りです。ソフトも設計しました。アドレスのボタンを1個ずつ押して、出てくる信号を読みながらデバックしました。そのころからコンピュータには親しんでいますね。
林
その時代の卒論は、今につながるいろいろなことをやられていることが多いです。ディスプレイのキャラクタは一つだったのですか。
今井
いや、キャラクタがそのオシロスコープに、十何行出る形でした。昔のIBMさんのキャラクタディスプレイみたいに。
林
3270ですか。80キャラの。
今井
ええ。あれぐらいの文字は出ました。
林
それは素晴らしいですね。
(次回に続く)
構成:萩谷美也子
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